5.高柳

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5.高柳

 喧嘩というほど深刻なものではない、とは思う。ただ、ちょっとヤキモチを妬いてしまっただけのことだ。さらっと謝れば、きっと聖は許してくれる。  だが、そういうときに限ってお互いのスケジュールが合わない。昨日、コンビニから帰ったら、聖はもう眠ってしまっていたし、朝も講義があるとかで慌しく出かけてしまった。  天気も、気持ちに連動するように、雨。  鬱々として晴れない、今日の天気のような気持ちをいつまでも抱えているのが嫌で、体が空いた午後四時、柊は聖のバイト先である書店に向かった。  駅ビル内のワンフロアにあるそこは、学校帰りの学生や、仕事途中に立ち寄ったと思しきビジネスマン等でごった返している。店員も皆、忙しそうだ。聖に会ったとしても、声をかけることはやめたほうがいいか、と方向転換をしかけた柊はそこでふと動きを止めた。  本棚に本を補充するひとりの青年の姿が目に入った。その妙にぴんと伸びた背筋と櫛を入れるのも大変そうな癖毛に覚えがあった。 「高柳?」  呼びかけると、本棚に手を伸ばしていた彼がふっとこちらを見る。高校のときと変わらない丸眼鏡越し、大きく目が見開かれた。 「わ! 柊じゃん!」  大声で言ってから彼ははっと口を押える。先輩書店員らしい男性が険しい顔をこちらに向けているのが見えた。そちらに首を曲げるようにして謝ってから、彼は柊に囁きかけた。 「元気そうだなあ。会えて嬉しいよ」 「お前は相変わらずだよな」  声は潜めているけれど、興奮が抑えられないせいか、いちいち動きがオーバーだ。高校時代となにも変わらない彼になんだか笑えてしまう。高柳のせいでもやもやしていたはずなのに調子が狂う。  苦笑した柊に高柳は、はは、と笑い返してから、ひょいと周囲を見回した。 「聖に用か? 裏でブックカバー折りしてるよ。呼んでこよっか」  さらっと聖の名前を出す。その声には揶揄も興味も含まれていない。こういうところがあるから学生時代、こいつの周りには人が絶えなかったんだな、と納得する。  言葉が足りないために誤解されがちな聖のことを、色眼鏡無しで見てくれたのもまた、高柳だったことを柊は思い出した。  そんなやつだから、聖が信用するのも、当たり前のことなのに。  ちっぽけな嫉妬心に駆られて聖に随分嫌味な言い方をしてしまった。  うなだれた柊を、どうした? と高柳が覗き込んでくる。 「聖さ、俺のこと、なにか、言ってた?」 「なにか?」 「いや、その、高柳にはなんでも話すみたい、だから」 「えええ?」  質問の意図を測りかねたように高柳は声を上げてから、そうだなあ、と宙を睨んだ。 「そうそう! 面白いことは言ってた」 「なに?」 「カラオケがうまくなる方法ないか、って」  ……カラオケ?  聖が? 沈黙の貴公子の、聖が? 「びっくりだろ。カラオケなんて爆発しろ、って感じの聖がさあ。でも聞いてみたら、嫌いっていうかあいつ、音痴なんだって。音はわかるんだけど声にするとうまく出せないとかなんとか」 「そう、なのか」  幼馴染の自分も聖が歌を歌っている姿をあまり見たことがない。音痴だったかどうかも記憶が曖昧だ。 「俺さあ、実はここ以外でもエレクトーン教室で受付のバイトしてんの。だから教えてやったんだよ。お前の場合、音痴だって自覚があるから、音程自体はわかっている音痴だと思う、だから、まずは思った音通りの声が出るようなレッスンするといいよ、って」 「レッスン……」 「そそ。まずは馴染み深い曲を鼻歌で歌ってみな、って教えた。聖、そっかあ、ってえらく喜んでたよ」  馴染み深い曲を、鼻歌で……。  それがシャトルランのあれだというのか。もっと他にもいろいろ曲あるだろうに。なんというか……聖らしいというか。  噴き出した柊を高柳はにこにこして眺めてからぽん、と柊の肩を叩いた。 「聖、うまくなるといいな、歌」 「あ、ああ」  頷いたタイミングで、高柳くん、仕事して! と声が飛んできた。おっと、と肩をすくめ、高柳が走っていく。彼の背中を見送り柊はふっと息を吐いた。  高柳と会って、もやもやは晴れたけれど、聖に嫌味なことを言ってしまったことに変わりはない。帰ったらちゃんと謝ろうと決めてフロアを横切った聖は、店の外に出て空気が違うことに気づいた。  雨が上がっていた。  ほっとしつつ空を仰いだところで、柊、と呼ぶ声が聞こえ、柊は足を止める。  店のロゴ入りのエプロンをした聖が追いかけて来るのが見えた。 「来てたんだ」  聖がうっすらと微笑んで言う。ああ、と曖昧に頷くと、彼はちらっと腕時計に目をやってから柊の肩にそっと手を触れた。 「もう少しで終わるから、待ってて」  肩がじわり、と温もる。うん、と頷くと、涼し気な笑みがまた返ってきた。
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