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思い出のアルバム
アリス達の星を守る戦いは終わった。
けれど、世界はこれからもずっと続いていく。
そう、アリスの未来はまだ始まったばかり。
この世界をどう変えていくのか、それはアリス達の手腕にかかっているのだ!
「お嬢様、そんな偉そうな事を大声で叫んでいないで、何か良い案をそろそろ出してもらえませんか。俺達も暇じゃないんですよ」
キリは突然叫びだしたアリスの目の前に大量の書類をバサリと放りだした。それは各地から届いた『あったらいいなリスト』である。
アリスが長年に渡って色んな商品を世に発表した事で、今やアリス工房は大陸にもその名が轟いていた。
それだけならまだ良いが、以前一度だけ少しだけ不便な物を募った結果、期間を過ぎてもこんな風にバセット家に直接リストが届くようになってしまったのだ。
アリスはリストに目を通しもせずに机に突っ伏した。
「だって、何も浮かんでこないんだもん! 傘を持つのが面倒!? カッパ着れば良くない!? もしくは水着とか! いっそ頭に傘差し込む!?」
そう、期間を過ぎたリストの大半はこんな風に無理難題が多かったのだ。だからアリスは適当な理由をつけて全て断り続けてきたが、世界が進歩するにつれて無理難題を言う人達は増えていく。
便利になったらなったで、もっと、と言う人は多い。それは分かっていた。分かっていたが、アリスだって万能な訳ではないのだ。むしろ出来ない事の方が多い。
「まぁ流石にこれは難しいって言うのが多すぎるね。傘もそうだけど、何百年も姿を変えなかった物は、それが既にベストな形という事だから」
苦笑いを浮かべながらまだ机に突っ伏しているアリスの頭を撫でたノアが言うと、アリスはガバリと顔を上げた。
「そうなの! そうなんだよ! もう傘はあれがベストなの! 便利な傘もあるけど、それは風で裏返りにくいとかそういうのだよ! 持つのが面倒はただの個人的な感想でしょ!?」
「お嬢様よりも怠惰な方なのでしょう、きっと。ではこちらはどうです? 歯折れクッキーの柔らかいの」
「……それは普通のクッキーだよね?」
「そうですね。でもこの方はどうしても歯折れクッキーの柔らかいのが欲しいそうですよ」
「味が好きって事?」
「どうなのでしょうか。でもそれは同じシリーズの赤ちゃんビスケットが同じ味の筈なのですが」
眉根を寄せるキリにアリスとノアも頷く。
「それにしても赤ちゃんシリーズは大好評だね」
アリス工房の赤ちゃんシリーズは今や全世界で愛されている。それもそのはずだ。今まで赤ちゃん用品など、本当に限られた物しか無かったのだから。
おまけについこの間、とうとう待望のオムツが完成したのである。これはもう本当に飛ぶように売れている。
「ヘンリー様のおかげで、もう手が回らないぐらい販路拡大してるからねぇ」
「流石キャロライン様のお父さんだよ! もうね、毎日色んな所から欠品通知が来るの!」
「嬉しい悲鳴と言うやつですね。それにしてもこのノートはもう何冊目でしょうか」
キリは机の上に山のように置かれたアイディアノートをじっと見つめて言った。
「ほんとだねぇ……こうやって改めて見ると僕たちはそれこそアリスがちっちゃい時からこうやって色んな物作ったねぇ」
ノアは目を細めてノートの山の中から一冊のボロボロのノートを引き抜くと、破いてしまわないように慎重にページをめくった。
そこにはアリスのミミズがのたくったような字とミミズがのたうち回ったような絵が描かれている。その横にノアとキリの拙い注釈が細かく付け加えられていた。
「見て、キリ。懐かしいよ」
「どれですか? ああ、これはお嬢様が初めて描いたメモですか」
「うん。アリスが琴子時代を思い出すまでは、こうやって色んな紙に描いてたんだよね」
ノアの言葉にキリは何かを思い出したかのように深くため息を落とした。
「本当に……一番驚いたのはトイレの紙を全部使われてしまった事です。俺はあの日、ハンナの叫び声で目覚めました。忘れもしません」
「そんな事もあったね! あれが全ての始まりだったんだっけ。懐かしいな」
何かを思い出すように目を細めたノアにアリスがぴったりと寄り添ってきてノアの手元のノートを覗き込む。
「こんなのいつ描いたんだろう? 全然覚えてないや」
「そりゃそうでしょ。君はいっつも寝ぼけてこれを書いてたんだから。これはね、アリスが4歳の時だよ。あれは確か――」
そう言って、ノアはアリスの頭を撫でながら話し始めた。
あれはアリスが4歳になってすぐの事である。
当時この世界はまだまだ発展途中で、特にバセット領は辺鄙な所にあった事と、他の貴族との繋がりが無さ過ぎて社交界に招かれる事も無かったので、色々な文化が遅れていた。
4歳のアリスは覚えたての字を家族に披露するのが大好きで、それこそ至る所に字を書いて見せていた。
「お嬢! またこんな所に落書きして!」
ハンナは雑巾と重曹を持って仁王立ちすると、アリスの部屋の壁をこすり始めた。それを見てアーサーが苦笑いを浮かべながら言う。
「まぁまぁ、ハンナ。アリスは今楽しくて仕方ないんだよ。でもね、アリス。絵は紙に描こうって父さまは何回も言ったね? ノアもキリも言ってなかった?」
「いってた! だからえはかいてないもん! じだもん!」
「え……字? これ、字!?」
思いも寄らないアリスの言葉にアーサーとハンナはギョッとしたような顔をしてもう一度落書きをまじまじと見つめるが、やはりどこからどう見ても字には見えない。何なら絵にも見えない。
「うん! じょうずでしょ?」
二人がそんな事を考えているとも知らずにアリスはニカッと笑って、持っていたペンを振り回した。そんなアリスにアーサーもハンナも困り顔だ。
「じょ、上手だねぇ! えっと、何て書いてあるのかな~?」
下手すぎて読めない事をアリスに悟られないようにアーサーが言うと、アリスは嬉しそうに皆の名前を上げるが、どう見てもこれはただの落書きである。
「お嬢、皆の名前を書いたのかい?」
「うん! みんなだいすきだから!」
「そ、そっかぁ。嬉しいなぁ。でもアリス、これからはちゃんと字も紙に書こうね? 壁は字を書く為の場所じゃなくて、このお家に住む皆を雨風から守ってくれる所なんだよ。もしも壁を擦りすぎて壁が無くなっちゃったら大変だろう?」
いたずらを叱りたいが、大好きな皆の名前を書いたと言われては複雑なアーサーとハンナだ。
けれど、これを許してまた壁に落書きをされたら堪らない。
「じゃあけさなかったらいいよ!」
「でも消さなかったらいつか真っ黒のお部屋になっちゃうよ? 他のお部屋は真っ白なのに、アリスのお部屋だけ真っ黒でいいの? 真っ黒だとノアとキリもお部屋に遊びに来てくれなくなるかもしれないよ?」
「やだ!」
「そうだね。それに父さまもせっかくアリスが書いた字や絵を消したくないんだ。でも紙に書いておいてくれたら、ずっと置いておける。だからアリス、これからはちゃんと絵も字も紙に書こうね」
「わかった! かみにかく!」
「うん、ありがとう、アリス」
どこまでも素直なアリスをアーサーはニコニコしながら抱きしめると、壁の掃除をハンナに頼んで、アリスを抱いて客間に向かった。
そこではノアと休憩中の来が仲良くそれぞれ本を読みながらお茶をしている。
「アリスってばまた何かしでかしたの?」
アーサーに抱きかかえられて部屋にやってきたアリスを見てノアが言うと、アーサーはアリスを下ろしながら苦笑いを浮かべた。
「ああ、壁にね、落書きというか字を書いてたんだ」
それを聞いて今度はキリが眉根を寄せる。
「またですか。お嬢様からもうペンの類は取り上げた方が良いのでは?」
「まぁまぁ。覚えたてで嬉しいんだよ、きっと。ただなぁ……」
「どうかしたの?」
「いや、全く読めないんだよ。字か絵なのかすらも判別がつかなくてね」
「じだよ! じだもん!」
アーサーの言葉にアリスはその場で地団駄を踏んで暴れた。あれは誰がどう見ても字だ!
「ああ、ごめんごめん! あれはどこからどう見ても字だった!」
「うん!」
「旦那さま、お嬢様を甘やかしすぎでは?」
「はは、自覚はあるんだけどなかなかね」
厳しく出来ないのだ。可愛すぎて。流石にそんな言葉は飲み込んでアーサーは腕を組んだ。
「ちょっとアリスには字の練習をもう少しさせた方がいいかもしれないね。ノア、見てやってくれる?」
「いいよ。大人になって困るのはアリスだもんね。キリも手伝ってくれる?」
「……仕方ありませんね」
この頃からキリは思っていた。どのみちアリスはどこにも嫁げまい。そうなったらこの猿の面倒を一生見るとノアは言いかねない。それはつまり、自分の人生もこの猿と共にあるという事だ。だったら今のうちから少しでも人間に近づけておきたい、と。
そしてこの二人の苦労は、とんでもない形でこれから還元されていく事になるのであった。
アリスの字の特訓が始まった頃と同じぐらいにアリスの夢遊病は始まった。
この頃のアリスはまだノアとキリと同じ部屋で寝ていた。相変わらず寝相は最悪だったが、体が小さい分まだベッドから叩き出される事は無かったし、ノアがいつもアリスを抱き枕か何かのようにホールドして寝ていたので、そこまでの被害は無かった。
「……にいさま……おトイレいきたい……」
深夜、アリスは寝る前にガブ飲みしたオレンジジュースのせいで尿意を催した。せっかく見たことも無いお菓子をこれから食べようか、と意気込んでいた所に突如やってきた尿意である。
アリスは目をこすってノアに告げると、ノアはアリスを絡め取っていた腕を解いてくれた。決してついてきてはくれない。もちろんそれはキリもだ。ちなみにノアは当時からこういう事を無意識にやっていたらしい。
アリスはベッドから這うように降りるとトイレに向かった。そして用を足してそのままそこで寝落ちてしまったのだ。
アリスは昔からお気に入りの物は常に持って歩く癖がある。それはノアから貰ったリボンであったり、キリが仕方なくくれたどんぐりだったり色々だったが、この時のアリスは常にどこへ行くにも何をするにもペンと墨を持っていた。
それから数時間後、やはり同じように加齢と共にトイレが近くなったハンナが深夜にトイレに行った時の事である。
寝ぼけ眼で用を足していざ拭こうと思ったら、いつもあるはずの場所に紙が一枚も無かった。
焦ったハンナはあちこち視線を彷徨わせてドアの下から一枚だけ紙が飛び出しているのを見つけてホッとしてそれを引っ掴んで手繰り寄せたのだが――。
「な、なんじゃこりゃ!? お、お、お嬢~~~~~~!!!!!」
バセット家の屋敷に響き渡る程のハンナの声に、アリス以外の全員が飛び起きた。
一体何事かと皆はハンナを探し回ったが、ハンナがどこにも居ない。
「あと探して無いのはトイレですけど……」
ジョージが言うと、アーサーはコクリと頷いてトイレに向かった。その後を屋敷に務める全員がぞろぞろとついていく。
トイレのドアはしっかりと施錠されていた。
「ハンナ? ここにいるのかい?」
「あ、旦那さま!? ちょ、ちょっと紙を持ってきてくれませんか!?」
「か、紙?」
トイレの紙が切れていたのか? だから叫んだ? 首を傾げたアーサーの後ろからノアが駆けてきてドアの下から数枚の紙をハンナに差し入れてやっている。
「ありがとう、ノア。起こしてしまって悪かったね」
「ううん、大丈夫」
この頃はとても聞き分けが良かったノア。悪魔っ気など一切無かった。そんなノアの頭をアーサーは撫でて抱き上げると、もう片腕で眠そうに何故か紙を握りしめているキリも抱き上げた。
「二人共部屋へ送ろう。まだ眠いだろ?」
「うん、でも……」
「旦那様、これ……」
「うん?」
キリが差し出してきた紙を見てアーサーはギョッとした。それは見まごうことなく、トイレの紙の束である。
「こ、これは一体……」
「旦那様、これもだよ」
ようやくトイレから無事脱出したハンナは、一枚の紙をアーサーに手渡した。そしてノアとキリの頭を撫でて二人に謝る。
「起こしてしまってすまなかったね、二人共。しかしいつの間にトイレの紙までやられちまったんだろうね」
字と絵は紙に書くようにと教えてから、アリスは壁への落書きはピタリと止め、そのかわりに紙という紙に落書きを施していた。きっとトイレの紙もその芸術の一つなのだろう。
「ハンナ、それちょうだい」
ノアが言うと、ハンナは快くアリスの落書きをくれた。そして大人は苦笑いしながらそのまま自室に戻って行ったけれど、ノアとキリだけはアリスが残した怪文書を見て眉根を寄せる。
「キリ、これ字と絵だよね?」
「そう見えますね」
「でも何の絵と字なんだろう? ちょっと起きたら解読してみようか」
「……それは何の為に?」
「何かちょっと気になるんだよ。だってアリスは今、完全に寝てるんだよ? トイレに起きたのは知ってるけど、アリスは一度覚醒したら絶対に僕たちを起こしに来るよね?」
「言われてみればそうですね。寝ぼけ眼でトイレに行き、これを寝ぼけながら書いてまた寝たという事ですか?」
「そうとしか考えられないな、って」
そう言ってノアは紙をポケットに仕舞うと寝室に戻り、未だにペンを握りしめているアリスの手からそれを奪い取ると、ペン先をじっと見つめた。
「ほら、まだ乾いてない。やっぱり寝ぼけながら書いたんだよ。あんなにも沢山」
「……怖いですね。どんな寝ぼけ方ですか」
「分からない」
呆れるキリにノアも肩を竦めてまたベッドに戻った。
翌朝、アリスはハンナとアーサーに預けてノアとキリは朝食を食べた後からずっと二人で部屋にこもって、ずっとアリスの謎文書を解読していた。
「これは多分、フォン、だね」
「ええ。この三角っぽいものは何でしょう? 何やら穴らしきものがあちこちに開いていますが」
「分かんない。キリ、とりあえず絵には丸をつけていこう」
「分かりました」
アリスの絵と字は普通の人が見たらきっとただのミミズのダンスだろうが、アリスにつきっきりで字を教えていたノアとキリは違う。気がつけばアリスの絵と字の区別がつくようになっていた。全然何の役にも立ちそうにない能力である。
それから二人は長い時間をかけて解読していた。これが何かの役に立つのかどうかはさっぱり分からないが、少なくともノアは何かを感じていた。
「これはここが跳ねてるからズかな」
「こちらは恐らくチーズかと」
一文字ずつ今までアリスが書き散らかした文字と見比べて解読していくノアとキリ。
やがてようやく何十枚もあるうちの一枚が解読出来た。
「出来た! チーズフォンデュ……だって」
「なんですか、それは。暗号か何かですか?」
「いや、作り方も書いてあるからこれは多分レシピなんだと思う。よし、作ってみよう!」
「本気ですか?」
アリス厨のノアはこの頃からアリスがやりたい事を何でも叶えようとするアリス馬鹿だった。そしてキリはいつも巻き込まれる。
「本気だよ。材料は――」
それからのノアとキリの行動は早かった。わずか一時間足らずでアリスの相手によれよれになっているアーサーから銀貨を貰って近所から材料を買い、厨房に立っていた。
ハンナが作ってくれた子供用のエプロンをつけた二人は、今日の夕食は任せてくれとハンナに断りを入れて、早速アリスの謎レシピに取り掛かる。
こうして出来たのがすっかりお馴染みになったバセット家の名物料理『チーズフォンデュ』だ。
夕食に初めて食卓に並んだチーズフォンデュにアーサーを始め、使用人たちも絶句したのは言うまでもない。
「こ、これは一体なんて言う料理なんだい?」
「これはチーズフォンデュだよ」
アーサーが青ざめながらノアを見て言う。その意味が分からなくてノアが答えると、さらにアーサーは怪訝な顔をして尋ねてきた。
「えっと、この料理の事はどうやって知ったのかな?」
「アリスのあのメモを解読したんだ。どうして?」
ノアの言葉にアーサーは何故かホッとしたように微笑んで、それからもう一度驚いた。
今思えば、この時のアーサーはきっとノアが見たことも聞いた事もない料理を作ったことで、レヴィウスの事を思い出したのではないかと思ったのではないだろうか。
「アリスのメモ? まさか、昨日のあの落書きの事?」
「うん。あれは落書きなんかじゃないよ。アリスのレシピなんだ。ね? アリス」
隣の席でハフハフ言いながらチーズがたっぷりついた肉を頬張っているアリスの頭をノアが撫でると、アリスは嬉しそうにノアを見上げてニカッと笑う。
「これね、ゆめでみたのとおなじだよ! にいさまはわたしのゆめをのぞけるの?」
「なるほど。お嬢様には一切記憶が無いようですね」
「みたいだね。違うよ、アリス。アリスがこれを書いてくれたから僕たちはこれを作れたんだよ」
「ふぅん。よくわかんないけど、にいさまもキリもだいすき! キャシーのチーズもだいすき!」
「うん、美味しいね。いっぱいあるから沢山食べな」
「うん!」
幼い頃からこうやってノアにドロドロに愛されていたアリスだ。未だにノアはアリスの心を読むことが出来るし、何でも願いを叶えてくれるスーパーマンだと思っている。怒った時はすこぶる怖いが。
「でもこれは本当に美味しいですね。ノアさま、明日から他のも解読しますか?」
「そうだね。父さま、全部解読し終えるまでアリスの面倒任せても良い?」
にこやかに言うノアにアーサーがあからさまに引きつった。
「か、構わないけど出来るだけ早く頼むよ」
アリスの面倒を見るのは本当に何かの試練かと思うほどきつい。森を連れ回され、街を奔走し、秋口だというのに川遊びをしようとする。
これをいつもノアとキリはしてくれていたのだと思うと二人を尊敬するが、それと同じぐらい早く終えてくれと願う自分がいる。
エリザベスも大概だったが、このアリスはエリザベスに輪をかけて元気いっぱいだ。
アリスが生まれる前は寒空の下に放り出されたエリザベスのお腹の子どもはあのまま流れてしまうのではないかと心配していた。無事に生まれても未熟児だったアリス。これでは無事に大きく育つか分からないと危惧していた頃が懐かしい。
今でも体は同じぐらいの子たちと比べると小さいが、異常なほどよく食べる。そのエネルギーはきっと全て体力に振り切ってしまっているだろうと思う程度には元気が有り余っている。
「頑張るよ」
苦笑いを浮かべたアーサーにノアはニコリと笑って頷き、それから半月をかけてノアとキリはアリスの書いた謎レシピを解読していったのだった――。
「と、言うわけなんだよ」
「え~全然覚えてないよ!」
「要約すると、あなたは昔から周りに迷惑ばかりをかけていたという事です」
「え!? 今の聞いてそんな要約するの!?」
どちらかと言えば褒められる所では? アリスがこちらを見下ろすキリを見上げると、キリは鼻で笑っただけだった。
「この頃は本当に解読が大変でね。なにせ絵と字の区別がつかないんだから。でも、もう少し大きくなったら今度はその内容が複雑になってさ」
「そうでしたね。字か絵の区別はつくけれど、内容がさっぱり分からないという別の意味で解読不明の文書を大量に量産していましたね」
「トイレの紙どころか僕たちのお絵かきノートまで使われちゃってさ! キリが毎回ブチギレてたのが懐かしいね!」
お絵かきノートを胸に抱いて無言でアリスの頭を打っていたキリを思い出してノアが笑うと、キリは何かを思い出すような顔をしてため息を落とす。
「お手伝いを沢山してやっと買ってもらったノートが、一晩で全ページをミミズに乗っ取られた時の気持ちが分かりますか?」
「あはは! だからちゃんと隠せって言ったのに!」
「隠していました。隠していましたがいつも見つけられるのです」
戸棚の中や屋根裏部屋、階段の下の倉庫、色んな所に隠したけれど、そのどれもアリスに見つかってしまった。むしろノアはどこへ隠していたのか本気で未だに謎である。
「何かごめんね。お絵描きノートあげようか?」
流石に申し訳なくてアリスが言うと、キリはキッとこちらを睨んできた。
「今はノートよりも、あなたがついこの間壊したうちの玄関の電灯が欲しいですね」
「うっ……そ、それはちょっと待って! 今月はもうお小遣いがほとんど無いの!」
「ん? この間お小遣い渡した所だよね? 何に使ったの? アリス」
ノアの声にアリスはしまった! という顔をして両手を口で覆った。そんなアリスの両手をノアは掴んで笑顔で問い詰める。
そんなアリスを見てキリの顔にはしっかりと、ざまぁみろ、と書かれていた。
「どうせこの間アミナスとエルシー連れて王都に行った時に散財したのでしょう?」
「うっ……だ、だって面白い物が沢山あってね? それで次のアリス工房の商品になるかなって思って! むしろこれは必要経費だよ!」
「へぇ? 随分難しい言葉知ってるね、アリス。で、その商品は何なのかな? 経費は何に使ったの?」
「え、えへ?」
にっこりノアが怖くて思わずアリスが自分のお腹を指差すと、ノアはさらに笑顔を深めた。そこにタイミングの悪いことにノエルが部屋にやってきた。
「母さま、この間貸した銀貨そろそろ返して欲しいんだけど――って、えっと……ごめん、後にするね」
何だか不穏な空気を感じたノエルが思わず後ずさりすると、ノアが立ち上がってポケットの中から銀貨を数枚取り出してノエルの手に握らせて笑った。
「ノエル、正直に言って。アリスにいくら貸したの? アミナスとエルシーにいくら使ってるの?」
「え、えっと、その……」
思わず視線を泳がせたノエルがアリスを見ると、アリスは青ざめてしきりに首を振っている。
そんなノエルとアリスのやりとりを端から見ていたキリが、グッとアリスの首根っこを持ち上げた。
「ノア様、ノエルに圧力をかけるのは止めてあげてください。それからお嬢様とアミナスとエルシーは今日は食事を抜いて豚小屋に放り込んでおきましょう」
「い、嫌だー! 兄さま、ノエル! 助けて!」
「か、母さま!」
戸惑うノエルの眼の前でアリスはそのままキリに引きずられて部屋を出ていく。思わず止めようとしたノエルの肩はノアがしっかりと掴んでいた。
「いいんだよ、ノエル。ちょーっとアリスには反省してもらわないと。ね?」
「う、うん」
にっこり笑顔のノアは誰よりも怖い。ノエルはアリスを通して割と早い段階でそれを知った。そして最近はアミナスもエルシーもそれに気づき始めた。
「ごめんなさい! もうしないから~~~~!」
「本当にいいの? 父さま」
廊下に響き渡るアリスの叫び声を聞きながらノエルがノアに尋ねると、ノアは何故か楽しそうに微笑んだ。
「これは愛のムチだからね。大丈夫。ちゃんと明日には仲直りするよ」
豚小屋の刑を受けた次の日の朝、一食抜いた程度でやつれるアリスを助けて諭すのが昔からノアの役目だ。そして未だにこれも変わらない。
「何よりもこんな時の方がアリスはいつも良いアイディアを出してくるんだ」
そう言ってにこやかに笑ったノアは、きょとんとするノエルを横目にアリスが書き溜めたノートをかき集めて、一冊ずつ丁寧に箱に仕舞っていく。
このノート達はただのアイディアノートなんかじゃない。一つ一つに思い出が詰まった、アリスとノア、そしてキリのアルバムそのものなのだ。
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