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「3年1組。春よ来い」
そのアナウンスとともに、僕らは体育館のステージへ並んだ。ステージから見える景色はいつもの体育館より少し広く感じる。
「指揮、篠崎 悠斗。ピアノ、松沢 清華」
2人は正面へひとつお辞儀をし、それぞれの配置へ着き、緊張したつかの間のひとときをそこに置いていく。体育館の中は静寂に包まれ、にわか雨が屋根を叩く音だけが響いていた。
「春よ来いってさ。太平洋戦争を経験した日本人らしい曲だよな」
ふと僕は、いつかの篠崎の言葉を思い出し、心をついた。審査員席の方には、高橋先生が校長先生の隣でまっすぐ、公平な面持ちで僕らを眺めている。
1音1音、それは1刻1刻の時と共に、その空間に流れる僕らの青春とひたむきに、そして真剣に。会場のみんなへ届けと時が動き出す。
合唱が始まれば、すぐに誰もがにわか雨の音など気にもならないほどに、僕らの歌を真っ直ぐ聴き入った。たかが5分に満たぬひとときに、中には目を瞑り聴く者もいて、そこに何が見えるのか、それぞれの儚い記憶のカゲロウを歌へ投影しているかのようにも感じられた。
高橋先生は合唱が始まってしまえば僕らの姿はひと目も見ることなく、歌を聴き、音を感じ、A4っぽっちの紙へと文字を連ねる。
やがて、最後の1小節。
高橋先生のペンはふと止まり、一瞬その顔を上げたような気がした。その目には大きな雨粒を思わせる涙が見えた。
合唱が終わるとまた、静寂の間ににわか雨の音が響き渡った。拍手は遅れてやってきた。高橋先生の表情は安堵の表情に見え、先程確かに見えた涙は跡すら残っていなかった。
その後の記憶はあまりない。できる限りをやり切った達成感と、終わってしまったというどこか儚げな喪失感と。その後のクラスが何を歌っていたかすらあまり記憶に残らなかった。
全クラスの合唱も終わり、総評の時間がきても、僕らのクラスが呼ばれることは無かった。その年の優勝は3年3組の"HEIWAの鐘"が選ばれた。
その後の数日間は、高橋先生のクラスが代表に選ばれなかったとかって街の話題に上がったこともあったけれど、僕らの合唱を聴いた者からそのような言葉が生まれることは無かった。
勝負には負けたかもしれない。
けれど、僕らのクラスでそれを悔やむものは不思議と誰ひとりいなかった。勝つことよりも大切なものを皆が手にしたような気がした。
一生の友と、日本人らしく、必死、努力、懸命という姿が、勝つことよりももっと大切なものを誰かに届けられるということを知ったから。
1番想いを届けたかった高橋先生へ、言葉にならないその想いをきっと伝えられたと思うから。
高橋先生が生徒の合唱で涙したのは、後にも先にも僕らの春よ来いだけだと後日に話していた。その結果はじゅうぶんすぎるほどに、僕らの頑張った意味をもたらしたと強く感じたのはその少しあと。
合唱コンクールも終え、冬が来る前に高橋先生は突然倒られて、そのまま亡くなられた。卒業アルバムのクラス写真には、高橋先生は空に浮かぶ1枚の顔写真が載せられ、合唱コンクールの写真には優勝した3組ではなく、なぜか僕らの歌う姿が大きく写ることとなった。
合唱コンクール前日の音楽の授業の時。高橋先生から告げられた言葉は皆の心に強く刺さっている。
「もしかしたら、俺が合唱を聴くのはこれが最後かもしれない。野田や櫻田には前話したことがあったが、実は大きな病気を抱えていてな……」
高橋先生のあの独唱が、いつまでも記憶に染み付くほどに、そんな迫力があったことにやはり、生命の力を感じずにはいられなかった。
あれほどに団結して練習を費やしたからこそ、僕らの歌には先生の心へ生命の尊さを芽吹かせるような、死を感じられる中でもほんの少しの救いのひとときを届けられたのではないかなと思う。そしてなにより、その曲が春よ来いであったことが、なにか運命のようなものを感じずにはいられなかった。
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