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「きっと春がくるのを待ち続けてるんじゃないか?僕らが歌った課題曲のようにさ」 僕のつぶやきにそう返す篠崎のグラスのビールの残り泡は、綺麗な輪っかを描いていた。 「そういえば、あの時言ってたよな。春よ来いが戦争を経験した日本人らしい歌だとか、なんだとか」 篠崎の言葉に、あの時、妙に心をついたひとことを思い出す。 「だってそうだろ?歌詞から、戦争へ送り出すものと、戦地で故郷を思い出すもの。両者の視点に立てる歌じゃないか。戦争じゃなくとも、生命を(おもんぱか)る歌であることは間違いないよな」 しっとりと心を濡らすにわか雨。それは淡い光のようで、愛しいあなたの面影たちは溢れる涙のひとつひとつに映り、空の先で想いが迎えに来る。生命があるからこそ、僕らは誰かへの想いを時に儚く、時に強く、そう感じることができる。 そう考えると、あの時の課題曲が春よ来いだったことは、偶然ではなく必然だったのではないかと思えてくる。 「俺さ。思うんだけど、俺らの課題曲って先生が人生最後の指導曲として選んだんじゃないかな。今だから思うけど、春よ来いが当時の中学の課題曲の候補にあるような曲じゃないと思うんだよ」 「お、さすが櫻田。未来の音楽教師は目の付け所が違うね」 「なんだよそれ。でもまあ、だから勝てなかったのかもしれないけどな」 櫻田の笑い話を聞きながら、でも確かにその通りかもしれない。 あれから数年、色々な出会いがあったけれど中学時代に春よ来いを合唱で歌ったという同年代にも、ましてやそれを合唱で聴いたことのある人にも未だに出会ったことがない。僕らはある意味で高橋先生の最後のわがままを飾った選ばれた世代。人の生命を唄う曲を通し、大切なものを授けられた世代なのかもしれない。 「さてさて!沁みいった話はこれくらいにして仕切り直そうぜ!そういえば、松澤と篠崎はもう付き合って5年とかだろ?結婚とか考えてたりすんの?」 野田の陽気な声が、今の時を再び動かし始める。 高橋先生との出会い、そして音楽を通して、不器用でも下手っぴでも、人が真剣にやることには何か意味があることをともに分かちあった僕らだからこそ、心で強く結ばれ、団欒がここにある。 「あぁ、飲んだ飲んだ。二次会どうする?ばらける?」 「やっぱ、俺らと言えばカラオケじゃん?」 みんなの後ろに続いて外に出ると、少し肌寒い風が慣れない酒で火照った身体に心地よく感じられた。 君に預けし我が心は…… 今でも返事を待っています…… 僕は空を見上げ、口ずさんだ。 先生。返事は待っていてください。 僕達はみな、先生から預かった心を自分たちなりに今でも大切に育てています。いつか、それは遠き、遠き先。たんぽぽの咲く野原にでも行って、みんな一緒に揃って、唄いましょうね。その日が来るまで、どうか向こうでもお元気で。
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