手を伸ばしたら、それに触れた

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 ベッドから降りてテーブルについた茂の目の前に食器を並べていく。茶碗、汁椀、メインの大皿、いちごの載ったガラスのボウル、それからビールとチューハイを1本ずつ。 「すげえ」 「ご飯は売ってるやつ、味噌汁はインスタントな」 「充分」  お互いの分を並べ終わって茂の正面に座った高志は、再び茂のメインディッシュの皿を取り上げた。ナイフとフォークで豚肉を適当な大きさに切り分け、茂の前に戻す。 「至れり尽くせりだなー」  感銘を受けたような声で茂がそう言うので、高志は「え?」と顔を上げる。 「ああ、これか。実家がずっとこうやってたから」 「へえー。すげえな」  さすがに豚ロース肉は箸で切り分けられるものではないし、といって切らずにかじりつくのも不作法だ。高志の家では、各々がナイフとフォークを使うのではなく、一組だけを食卓に持ってくるのが常だった。切り分けるために使い回したり、あるいは母親がついでに切り分けてくれたりしていた。 「子供の頃から結構好きだったんだけど、一枚肉だと食べるの難しいし、それで切って出してもらってた」  話しながら、まずはビールとチューハイで形だけの乾杯をする。 「お母さんに?」 「え? うん」  当たり前のことを聞かれた気がしたが、とりあえず頷いて肯定する。 「それが続いてるんだ」 「そう」  それから茂は「いただきます」と手を合わせ、味噌汁を一口飲んだ。次に豚肉を一切れ口に入れる。 「おお。美味い」 「な。自分でやってみて分かったけど、作る方も楽なんだよな」  だから定期的に食卓に上っていたのだろう。毎日食事を用意するのも大変だろうから。 「お前は肉好きだから、ちょうど良かったんだろうな」 「うん」 「そんで、今でも切り分けてくれるんだ? お母さん」 「ああ……まあ、別に自分でもやるけど」  少し気恥ずかしくなり、言い訳めいた言い方になる。 「全員がナイフ使うと洗い物が増えるっていうのもあるらしい」 「あー、なるほど」  高志も自分の豚肉を切り分け、食べ始めた。失敗のしようもない、ただ焼いただけの、普通に美味い肉だ。 「――お前のお母さん、お前のことかわいいんだろうなー」  ふとした呟きに目をやると、茂の方は皿に視線を落としたままだ。しかしすぐに顔を上げて笑みを作る。 「お前、前もそんなこと言ってなかったか」 「そうだっけ」  きっと覚えているだろうに、茂はそんな風にとぼけた。 「実際に会っただろ、うちの母親と。別に普通だっただろ」 「いや、別に変とかいう意味じゃないよ。普通にかわいいんだろうなって」 「昔はともかく、今はもう別にかわいくもないだろ」 「何でだよ。自分の息子が自分の作った料理ですくすく成長して、肉が好きでさ、切り分けてやったら当たり前にそれ食べて、そんで今じゃ自分よりでかくなってるなんて、かわいいに決まってるじゃん」  力説しているが、茂が何度もそこに感心する理由が分からない。おそらく茂の言う「かわいい」とは「愛情がある」とかそういう意味なのだろう、とは思うけれど。 「それを言うなら、お前んちだって同じなんじゃねえの」 「うーん、そうかもしれないけど、俺が言いたいのはそうじゃなくて」  しばし考えをまとめるように、眉間にしわを寄せながら咀嚼していたが、やがて、 「つまり、俺の彼氏は家族に愛されて育ったんだな、ってこと」 と言った。高志は呆れて茂を見返した。  高志が茂の彼氏だというなら、茂だって高志の彼氏だ。立場を逆にしても、茂の言葉はそっくりそのまま適用可能だ。 「仮にそうだったとして、やっぱりお前んちの場合との違いが分からないんだけど」 「えー?」  茂は笑いながら、「まあいいよ」と言う。高志は食い下がった。 「お前んとこだって、普通に家族仲いいだろ」 「いや、それはそうなんだけどさ……。ああ、じゃああれだよ。お前んとこ妹さんいるじゃん」 「うん」 「やっぱお父さんは妹さんに甘かったりする?」 「え……さあ」  突然言われてもぴんと来ない。少なくともとりたてて甘いということはなかった気がする。自分との扱いが違うと感じたこともない。 「お父さんと妹さん、仲いい?」 「別に悪くはないけど。でもどっちかと言えば母親との方が仲はいいんじゃないか」 「まあ、それはそうだろうけどさ。じゃなくて、ほら、異性の子供ってかわいいって言うだろ。そういう意味。……いやちょっと違うか。異性云々じゃなくて、そういう感じの、理屈じゃないどうしようもないかわいさってこと」 「……だから、それだったらお前とお前の母親とだって同じだろって」  いつまでたっても茂の言いたいことが分からず、高志は徐々に困惑してきた。 「じゃなくてさ……。いやまあもう伝わらなくてもいいんだけど……そうやってお前の裏側に家族の愛情が見える、っていうか、それが見えて俺が嬉しくなるっていうか。お前という存在が貴重っていうか。……そんな感じ」  茂は相変わらず薄く笑っている。それでも、その言葉の中にわずかな真剣さが滲み出ている気がしてしまう。 「まあ、あれだよ。お前は別にそんなこと考えないだろうし、だから分からなくても仕方ないって」  そう言って口角を上げた茂を見て、高志は若干の焦りを覚えた。茂にとって大事な何かを、自分は理解できていないのだろう。 「あと、俺、普通にひとんちの家族の話聞くの好きなんだよね。だからお前にとっては普通のことでも、聞いてて面白いからさ。色々と聞いてごめん」  おそらく話を終わらせるために、茂は軽い調子でそう言った。その顔を見つめながら、高志は茂の言葉の裏に存在しているであろう意味を考え続けた。考えても正解に辿り着ける気がしない。それでも、一つだけふと思い出したことがあった。 「――俺も、お前は家でかわいがられていたんだろうなって思ったことがある。母親じゃなくてお兄さんのイメージだったけど」  茂と正面から目が合う。 「兄ちゃん?」 「そう。お前、人と話すのが上手いし、よく笑うから、子供の頃から家族ともにこにこしながら話してたんだろう、そんでそれを見て兄貴もかわいがってたんだろう、って。……これがお前の言いたいことと同じかは分からないけど」  そんな感じ? と聞くと、茂は少し首をかしげた後に笑い出した。 「いや、ごめん、こういう話って伝えるの難しいよな」 「違った?」 「じゃなくてさ、俺も、お前の言ってることが俺と同じなのか分かんないってこと。だから俺が分かんないのと同じように、お前も俺の話が分からなかったんだろうな、ってことが分かった」  その言葉で、この会話は行き所を失ってしまった。結局茂の真意は分からず、高志はすっきりはしないままだ。 「……お前が俺の母親がどうだとか言うと、まるでお前が家族の愛情に飢えてるみたいに聞こえるんだよ」  八つ当たり気味にぼそっとそう言うと、茂は「えー? 違う違う。ごめん」と明るく言った。
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