第1話

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第1話

 この春、大学を卒業した(つむぎ)は就職を機に一人暮らしをすることになった。  駅まで徒歩五分の便利なマンションで、通勤時間も短くて済む。  日当たりも良く、ベランダからは桜並木が見下ろせる。春らしい陽気に包まれ、気分は上々だ。  欲を言えば、実家に置いてきてしまった愛犬と一緒に住みたかったけれど、これだけの好条件が揃う場所は他になかなかない。 「お隣さんに挨拶に行かないと」  引っ越しの片付けも一段落した頃、紬はそう呟いた。  これからお世話になるのだ。ご近所付き合いは大切だと母から口酸っぱく言われ続けてきたので、きちんとした方がいいだろう。  廊下に出ると、すぐに隣の部屋の表札が見える。『藤岡』と書かれているのを確認すると、紬はインターホンを鳴らした。 「あの……私、隣に引っ越してきた者なんですけど……」 「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」  すぐに返事があり、ドアが開く。出てきた女性は、紬より少し年上のように見えた。 「こんにちは。隣に越してきた小日向(こひなた)です。よろしくお願いします」  紬が改めて頭を下げると、女性の方もニコニコと答える。 「ご丁寧に、どうもありがとうございます。私、藤岡(ふじおか)沙友理(さゆり)と申します」 「あの……これ、つまらないものですけど……」 「あらあら。わざわざいいのに」  沙友理は、紬が手渡したお菓子の詰め合わせが入っている紙袋を受け取ると、再び微笑んでみせた。  少し世間話をして、紬は「では」と会釈する。 「今後ともよろしくね、小日向さん」 「こちらこそ、よろしくお願いします」  そう言って、紬は自分の部屋に戻った。 「あっ……いけない。シャンプー持って来るの忘れてた」  バスルームに入った途端、そう独りごちる。  引っ越し作業でバタバタしていて、シャンプーや歯ブラシなどの日用品を持ってくるのを忘れていたのだ。 「仕方ないか……後で買ってこよう」  そう呟きながら、紬はバスルームのドアを閉めた。  数時間後。  実家から持ってきたぬいぐるみをベッドに乗せると、紬は小さくため息を吐く。 「よし、あとは寝るだけだ」  明日から、いよいよ新生活のスタートだ。  期待と不安が入り混じった複雑な感情を抱えながら、紬はベッドに横になる。 「……そうだ! 電話するの忘れてた!」  ベッドから上体を起こすと、紬は慌ててスマホを操作し始める。  というのも、うっかり彼氏に電話をするのを忘れていたのだ。「新居に着いたらすぐに連絡する」と自分から約束していたはずなのに、これではご機嫌斜めになってしまいかねない。 「あ、もしもし? ごめんね。ちょっと、片付けに手間取っちゃってさ。うん……うん……じゃあ、またね」  合鍵を来週のデートの時に渡す約束をして、紬は通話を終える。 「ふぅ……良かった」  これで一安心だ。  しかし……安心したせいか、急に眠気が襲ってくる。 (あ、もうこんな時間か)  時計を見ると、既に日付をまたいでいた。 (明日に備えて早く寝ないと)  そう考えた紬はスマホを充電器に挿すと、照明を消してベッドに横になる。  そして、そのまま深い眠りに落ちたのだった。
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