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01. 大学での藍染先生
芭蕉先輩が風邪を引いてしまい、代打で藍染先生の「西洋哲学史」の授業のティーチング・アシスタントを務めることになった。
ぼくは、西洋哲学に詳しくないので、残念ながら、先生の代わりに学部生からの質問に答えることはできない。だから、ぼくの役割といえば、授業に使う資料の配付とスクリーンに映し出されるスライドを切り替えることだけだ。
2号館1階の「201教室」は、教壇に向かって集中線を引くように傾斜のついた、半円形になっている。
先生が来る前にスクリーンに資料を映写し、スライドが切りかわることを確認した。1枚目のスライドには、今日の講義のタイトルが記されている。
《第14回 相関主義と思弁的実在論》
相関主義も思弁的実在論も聞いたことのないワードだ。これから九十分間、ちんぷんかんぷんの授業を受けることになるのだろう。
ぼくが専門としているのは、サブサハラ・アフリカにおける、大規模暴力の後の和解政策――専門的な用語を使うならば「移行期正義」だ。
「鱗雲くん、今日はよろしくね」
振り返ると、資料の束を持った藍染先生がいた。萌葱色のニットワンピースにクルミ色のブーツをはき、濃い緑色のストールを首が隠れるように巻いている。
「さっき神凪先生から聞いたけど、午後から胡桃先生の授業のティーチング・アシスタントもあるんでしょう。ほんとうにごめんなさいね。忙しいところをムリに頼んでしまって……」
神凪先生と胡桃先生――おふたりとも、ぼくの研究を指導してくださっている先生だ。
「ぜんぜん大丈夫ですよ。とくに予定もなかったので」
「ありがとー! じゃあこの資料を配ってくれる?」
先生から受けとった資料を前列の学生に渡すと、続々と後ろへと手渡されていく。一番うしろの席の余った資料をまとめて、後方の入口の近くに束ねて置いた。授業の途中で来た学生には、ここから資料を取っていってもらう。
時計は十一時を指し示し、2限目の開始のチャイムが鳴った。
「後ろの方まで聞こえてるかな? オーケー?」
片手にマイクを持ち、最後列まで聞こえているかどうかを確認する先生。「大丈夫でーす!」という声が返ってくると、さっそく授業がはじまった。
「みなさんのおかげでシラバス通りに授業が進んでいるので、今週と来週で思弁的実在論を一緒に勉強していきましょう。今日は思弁的実在論の大枠を掴んでもらって、そして後半で、オブジェクト志向存在論の話をしようかと思っています」
藍染先生は、ふわっとした手ざわりというか、とげのない、聞き取りやすくて安心する話し方をしてくれる。威圧感がまったくない。
「では、はじめに、時代を遡り、イマニュエル・カントの話をしましょう。カントはこの授業でたびたび登場していますね。前期では三批判書や永遠平和についてお話ししましたし、後期では功利主義に触れたところで名前を出したかと思います」
藍染先生は、人さし指で唇をやさしくぬぐった。先生はときどき、かわいらしいしぐさをする。かわいらしい――目上の方に対して適切な形容表現ではないと思うけれど、ドキッとしてしまう学生も少なくないだろう。
もしかしたら、既婚者だと知ってがっかりする学生も……なにを考えているんだ、ぼくは。
「……なので、春からこの授業を取ってくれている人たちにとっては、カントのことは、もう聞き飽きているかもしれませんね。一方で、秋から履修をしてくれている人たちにとっては、まだ馴染みのない名前かもしれません。でも、カントは、西洋の哲学史に大きな影響を与えた人物なので、彼の哲学について、何度でも強調しておきたいのです」
さっぱり、内容が分からない。次々にでてくる専門用語に、気持ちが圧倒されてしまう。強いて分かるのは「カント」という名前くらいだ。
ところで、ここ琥珀紋学院大学の文学部では、分野横断的な研究をすることができる。というのも、ほかの大学の文学部では、学ぶことのできないような分野を専門としている先生たちが、たくさん在籍しているからだ。
ぼくの指導教員の胡桃先生は、移行期正義の研究をしているし、神凪先生は、国際法の専門家だ。どちらも、ふつうは、文学部ではなく他の学部で学べることだ。
そして藍染先生は、芭蕉先輩の研究の指導をしている。だけどぼくは、一度も先生の授業を受けたことがない。
しかし、とある理由で、プライベートのときの先生とは、よく会っている。
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