反響

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反響

 次の日、久しぶりにエタンセルに出勤した。  開店前に行ったのにお店の前には既に何人かのお客様が並んでいる。 「マスター、おはようございます。お客様が並んでいますが今日は何かあるのですか?」  いつもは開店前から並ぶなんてことはないし、開店しても店内が混雑することはなくゆっくり買い物ができる空間なのに。 「いや、私もびっくりしているんですよ。昨日の式典でヴァイオレット様が着ていたドレスの刺繍をセレーナさんがしたことがもう広まっているみたいです」  今回の仕事で私の縫い師としての名前が広まればいいなとは思っていたが、こんなに直ぐにお客様がくるとは思ってはいなかった。 「商品を買いに来たわけではなく、セレーナさんを見に来ただけの人もいるかもれないので気をつけてくださいね」  野次馬的な人たちもいるということだろう。確かにお妃様のドレスを無名の雑貨店員が手掛けたと聞いたら気になるというのが人の性かもしれない。 「わかりました」  そしていつもより多くのお客様を迎え入れながら開店した。  私はひっきりなしに声を掛けられている。 「ヴァイオレット様のドレスと同じ柄ハンカチはないかしら?」 「あなたがセレーナさん? 私のドレスにも刺繍をして欲しいのだけど」 「ちょっと! 私が先よ」 「あの、順番にお伺い致しますので」  私は想像以上の忙しさに目が回るようだった。  マスターも対応に追われている。  私が作ってお店に置いていた既存の商品は午前中のうちに全て売り切れてしまった。  オーダーメイドの商品もいくつか受付けたがこれ以上は手に負えないと考え注文をストップさせた。  商品が買えないとわかったお客様たちは帰っていき、閉店前にはいつもの様子に戻っていた。  ただ、お店には入ってこないものの中を覗いたり周りをうろうろしている人たちがいる。  マスターは少し早いけど、と言いお店を閉めることにした。 「まさか、こんなに反響があるものとは思っていませんでした」 「そうですねぇ」  マスターも疲れ切っている。元々、メインストリートからは外れた隠れ家のような所で落ち着いた雰囲気のお店だったのに。     「ご迷惑をお掛けしてしまいました」 「迷惑だなんてそんなことありませんよ」  けれどもし今日のような日が続くのならマスターにも負担がかかるし私自身たくさんの注文を受けていけるかわからない。  それにエタンセルは雑貨店であって洋装店ではない。ヴァイオレット様のドレスを見てドレスに刺繍をして欲しいと言うお客様もいたがここでその注文を受けるつもりもなかった。 「マスター、私しばらくお店にはいないほうが良いのかもしれません」 「セレーナさん……」  その後、マスターと相談し今日受け付けた商品は屋敷に持ち帰って作業し、できたものを届ける。そして様子をみながら順次無理なく注文を受け作業は屋敷で行う。ということにした。 「私の都合で申し訳ありません」 「いいんですよ。お屋敷で無理せず作業を進めてください」 「ありがとうございます」  私は屋敷で作業するための荷物を持ち、いつもより少し早めに帰ることになった。  マスターに見送られお店を出る。  いつものように路地を抜けメインストリートに出た。すると突然見知らぬ男性鞄を引っ張られる。私はその拍子に倒れ込み、男性は私の鞄を持って走り去って行く。 「待って! 待ってください!」  その場にへたりこんだまま手を伸ばすことしかできない私は大切な道具や商品の材料が入った鞄が遠くなって行くのを涙ながらに見ていた。 「ひったくりだぞ!」  そう言い追いかけてくれている人もいるが男性はどんどん走り去って行く。  男性がそのまま細い路地に入ろうと曲がったその時、ドカッという大きな音がして頭を押さえて倒れこんだ。そしてなぜか濡れている。男性は近くにいた街の人たちに捕らえられ連れて行かれた。  男性が連れて行かれたあと、路地の奥から出てきたのは大きな花瓶を持ったカールさんだった。  カールさんは私の鞄を持ち少し気まずそうにしながらこちらに歩いてくる。 「大丈夫ですか?」  座り込んだままの私に手を差し出してくれるカールさんからは以前のような嫌悪感は見受けられなかった。  私は差し出された手をとり立ち上がる。 「これ、どうぞ」 「ありがとうございます」  鞄を渡され中を確認する。何も取られてはいないようだ。 「それでは、これで」  カールさんは私と目を合わせることなく去って行く。  正直、以前言われたことはショックだったし許しがたいものがある。でも私はこのままでいいのだろうか。逃げて、ただ自分だけが傷付いてずっとそうやって生きていくのだろうか。 「あのっ!」  背を向け歩いていたカールさんは私の声に肩をビクッとさせながらも足を止めこちらを振り向く。 「は、い」  カールさん本来の明るさはどこにもなく、落ち込んでいるような困っているような顔をしている。 「少し、いいですか?」  そう切り出すとカールさんは少し悩んでから黙って頷き、私たちは近くのベンチに腰掛けた。けれど私は声をかけたもののなにをどう話していいのか自分でもよく分かっていない。  数分の沈黙が永遠にも感じられた。 「あの、先日はすみませんでした!」  先に口を開いたのはカールさんだった。 「俺、本当にひどいことを言いました。謝っても許されることではないかもしれませんが、感情的になってしまったことを本当に後悔しています。あんなこと言うつもりはなかったのに」 「どういう意味ですか?」 「花祭りの日、セレーナさんの傷痕を見てしまい驚いて思わず声をあげてしまいましたが申し訳ないことをしたと思ってすぐに謝ろうと思っていたんです。でも次の日にまた知らない男性と歩いているのを見て……たぶん、嫉妬したんです」 「嫉妬……?」  私がライアン様と歩いているのを見て嫉妬したということだろうか。そもそも嫉妬したということは私に気があるということ。 いや、よく考えると初めからカールさんは気持ちを伝えてくれいた。その上で友達になりましょうと言ってくれていたのだ。  これは私の考えの甘さが招いたものだったのかもしれない。   「男性と並んでいるセレーナさんが、とても気を許しているようで、悔しくて気がついたらあんなことを言っていました」 「あの方たちとはそういう関係ではありません。家族のような人たちなのです」 「そうでしたか。あの時は本当に申し訳ありませんでした」 「いえ。頬は大丈夫でしたか?」  ライアン様が殴った後、お母様からも何度もビンタされていた。 「少し腫れましたが数日で引きました。たぶん一緒にいた彼も本気では殴っていなかったと思います」 「だったらよかったです」 「俺はもうセレーナさんとは合わす顔もないし会うつもりもありませんでした。でもこの街にいてそれも難しい話ですね。今日、お会いして謝ることができてよかったです」 「こちらこそ、鞄を取り返して頂いてありがとうございました」 「当然のことをしたまでですよ」  張りつめていた空気は穏やかになり、お互いに肩の力が抜けていた。  そしてどちらからともなく立ち上がる。 「それでは」 「はい」  私はカールさんに軽く会釈をすると屋敷への帰り道を歩いて行く。  許すとか許さないとかそういう話はしていない。ただ、カールさんの気持ちを聞いた。たぶん、私の傷痕を見たときの反応が本心なんだと思う。でも、ひどい言葉が出てしまったのは私を醜いものと思ってのことではなかった。それがわかっただけでちゃんと話を聞いてよかったと思う。  また友達になるとか仲直りするとかでもないが、きっと私にとってもカールさんにとってもこれでよかったのだと思った。
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