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家には帰りません
その日、コードウェル侯爵家にはどういう訳かローガンが訪ねて来ていた。
私に用があるというのだ。ウィリアム様はしぶしぶ屋敷の中へと通す。
今、唯一まともな部屋であるリビングに案内するとローガンは既に完成した四枚の刺繍が入ったカーテンを見て不適な笑みを浮かべた。
私はソファーに座り、ローガンが向かいの椅子に座る。
そして私を挟むように怪訝そうな顔をしたウィリアム様とローガンを終始睨み付けているライアン様が座る。
いくら大きめのソファーとはいえ大人三人で座るのは狭い。
私は肩を小さくしながらもそんな二人に心強さを感じ、真っ直ぐローガンを見る。
「ローガン、今日は一体どうしてここに?」
「セレーナ様、そろそろ家へ戻ってきてはどうですか?」
「え?」
「アリス様も反省していらっしゃいますし、セレーナ様がいてこそのカーソン家ですので」
なんて調子のいい話だ。メイド代わりの私がいなくなって家のことをする人間がいないため戻ってこいと言っているのだろう。
「嫌です。以前のような生活に戻るのは絶対に嫌」
「いえ、セレーナ様が帰ってこられても、もう以前のように家の仕事をしていただくことはありませんし、アリス様から暴挙をはたらかれることもないでしょう」
「どういうこと?」
「セレーナ様はただ好きな刺繍だけをしてくだされば良いのです」
ローガンの言っていることの意味がわからなかった。
先日アリスはメイドが見つからないから帰ってこいと言っていたし、急に態度が変わるなんて考えられない。
刺繍だけしていればいいなんてそんな上手い話があるのだろうか。
「お父様もぜひ帰ってきて欲しいそうですよ」
「お言葉ですがローガンさん、それはセレーナのことを都合よく使おうとしているということではないですか?」
「俺たちは知ってるんだぜ。カーソン家から売られてる高級服飾雑貨を」
「高級服飾雑貨?」
うちからそんな物が売られているとは初耳だ。
カーソン家は元々田舎の小さな領地でわずかな畜産業を営みかろうじて成り立っている状態だった。
高級服飾雑貨なんてどうやって売っているのだろう。
「数年前から領地の畜産を全て羊に変えていますよね。そしてウール生地の販売を始めた。けれど元々広い領地ではなく生産量はあまり多くない。そこで繊細で美しい刺繍の施された服飾雑貨を高値で売るようになった。セレーナが刺繍したものですよね」
知らなかった。私が刺繍したものも全てアリスに取り上げられていた。それをアリスが使っているのを見たことはなかったが、まさか高値で売られていたなんて。
「今までなんとかセレーナのおかげで家が成り立ってたのにあんな仕打ちを受けてよお! ひどいもんだよなあ!」
ライアン様は声を荒げるがローガンは澄ました顔をしている。
「何か問題でもありますか?」
「ああ!?」
「カーソン家の人間が作った物をカーソン家が売る、何の問題もないと思いますが」
「そういうことを言っているのではないのですよ。こんなにもカーソン家に貢献しているセレーナがなぜ何も知らずに理不尽な目に合わなければいけないのかということです」
それにしてもなぜ二人はカーソン家についてこんなに詳しいのだろう。
私はあの家にいてずっと知らなかったし気付かなかった。
けれど私があの家で刺繍だけは存分に出来ていたのも、ローガンが糸を買ってくれていたのもそういうことだったのだろう。
「ここでの仕事が終われば、次に行く所も無いでしょう。もう悪いようにはしませんよ。帰りましょうセレーナ様」
悪いようにはしない、本当だろうか。
ただ好きな刺繍だけをして穏やかに過ごせるのだろうか。
「信用できねーな!」
「それに、セレーナは自由もなく一生カーソン家で働き続けなければいけないということでしょう?」
ライアン様とウィリアム様がソファーの上で私の手を握る。
そうだ、私はあの家のためでなく、自分の力で生きて、自分の力で幸せを手に入れると決めたんだ。
「私、帰りません」
「ですが、ここを出たあとはどうするのですか」
「次の仕事を探します」
「そんな上手く見つかるとは思いませんが」
確かに、仕事を見つけるのも住む家を見つけるのも簡単ではないかもしれない。
「でも、私は好きなことをするのも、苦労するのも全て自分のためにしたいのです。ですので家には帰りません!」
「よく言った!」
「ということですので、そうカーソン男爵にお伝え下さい」
ローガンは表情を変えることなく立ち上がると見下すような視線を向ける。
「それでは今日は帰らせて頂きますが、セレーナ様、帰ってこなければ後悔することになりますよ」
「なんだとお!」
ライアン様も立ち上がり、威嚇するように詰め寄るがローガンは気にすることなくリビングを出て行く。
私たちは見送ることなくリビングの窓からローガンが帰って行くのを眺めた。
「お二人とも、度々ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「セレーナが謝ることじゃねえ」
「そうだよ。セレーナは悪くないよ」
「いえ……そう言えば、どうしてお二人は私の家のことをあんなによくご存じなのですか?」
話をしていて気になっていた。私よりも私の家のことを知っている。
以前アリスに街で会った時は何も知らない様子だったのに。
「ごめんね。少し調べさせてもらったんだ」
「調べた?」
「これは僕たちの仕事に関係していて、本当はあまり人には言えないんだけど」
そう言いながら、私には知っておいて欲しいとその日初めて地下の部屋へと案内された。
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