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狂った騎士
ガタガタガタ……
揺れのひどい馬車に揺られるのはきつい。生まれてこのかたずぅっとお嬢さま暮らしだったものねぇ。
「うぇっぷ……、ぐるじぃ……」
思わず戻しそうになりつつも耐えていれば。
「ヒヒイィィィンッッ!!!」
馬の嘶きが轟き、そして馬車がドドンッと大きく揺れる。
「きゃぁっ!?」
そして外からは馭者とみられる男の断末魔が響き渡る。
「ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!!!」
ひいぃっ!?一体、何が!?
「あ……山賊!?ここ、山かは分からないけど山賊!?多分……帝国から王国に向かうまでの道中に……山のひとつやふたつ、あるでしょう……!きっとぉっ!きっとよ!?」
そして馬車の扉が乱暴に破壊された。開いたのではない。馬車の扉が備え付けられた木の壁ごと、ぐわしゃりと取っ払われ、その先にはきれいな満月と……。
数人の男たち。その黒ずくめと胸元にあしらわれた蛇の紋を、知らぬはずがない。
「邪神教」
「ご名答」
私の答えに、黒ずくめの先頭の男がにやりとほくそえんだ。
その顔を、知らぬはずがない。
「あんた……狂騎士アッシュ・カーマインね」
その名を告げれば、アッシュが闇のような黒の瞳を細める。
夜闇に紛れる暗色の髪に、返り血のついた色白の肌。顔立ちはいかにもなイケメンなのだが。こいつは、危険人物だ。
「奥さまにお見知りおきいただけたなんて光栄です。いや、もう元奥さまですね」
まるで騎士らしい精神など持っていないだろうに、もっともらしく礼をしやがる。
「知らないわけないでしょ。あんたの顔!帝国中に指名手配ポスターが回ってるわよ!!」
「あはははは……!有名すぎて照れるぅ~~!」
「何で照れてんのこの狂人は……!」
しかし、思わぬところでこんな危険人物と邂逅することになろうとは。
「あんた、私をどうする気よ」
サレた元妻私。アドレナリンが過剰分泌されたのか、ここまでべらべらとしゃべってたけど。冷静になって考えれば、これはなかなかにヤバいシーンでは……!?
ここからが……勝負。うん、多分だけど。
「どうして欲しい?ねぇ……?」
あからさまに足元でヤバいものを転がしながら、アッシュは笑ってる。噂どおり、ヤバいやつね。
「た、助けてくれたり、するのなら。助けて欲しいわね。こんな状況だけどもさすがに命は惜しいわよ……だからできれば王国ではなくて、実家の方が……ましだわ」
実家でも冷遇はされてきたが、王国に売られるよりはましかしら。お父さまからは軽蔑されるかもだけど、少なくとも……お兄さまは味方でいてくれるはずだし。
「それはそれは。いいよ。一緒に行こうか?お姫さま」
「お姫さまなんて年齢じゃないわよ」
まぁフロリーナは私より年上のお姫さまだったけど。
「でも本当に……生きて連れてってくれる、のよね」
亡骸だけぽいっと捨てられたらたまったもんじゃないし。
ここ、重要。
「あははははっ!面白いことを聞いてくるね、お姫さま。安心してよ、俺はまだ死ぬわけにはいかないからね」
「はぁ……?」
こちとらあんたに殺されないか気が気でないのだけど!?
「さて、こちらへどうぞ」
何よ、何か騎士みたいね。騎士を追放されて邪神教に身を投げた狂騎士が。
「あ、ありがとう」
仕方なくアッシュの血塗れの手に……手に。
「ご婦人をエスコートすんなら血ぃくらい拭けええぇぇぇっ!!!」
は……っ。ついつい貴族育ちらしからぬ叫びをあげてしまった……!いつ斬りかかってくるかも分からん殺人鬼の前で!?
「あはっ。やっぱりお姫さま、面白いねぇ」
いや、その、それって褒められてるの……?
不倫した最低元夫よりも、殺人鬼の方が私の性格を理解してそうなの何でなの。
「ほい」
アッシュは服で手の血を拭き取れば、その掌には邪神教に魂を捧げた証の刺青が刻まれていた。
恐る恐るその掌に手を重ねる。
邪神教の信徒の手に、甲に聖女の紋が刻まれた手が重なるなんて……皮肉なものだわ。
そしてアッシュに案内された先にあったのは……。
「何で……実家の馬車がここにいるのよ!」
「大公家に帰りたいんでしょう?ならちょうど良かった。王国にだなんて言われたら、王国を滅ぼさなくちゃいけないところだったね」
にんまりと笑うアッシュの目は……嗤ってない。ゾクリと来た。
本当に……王国すらも嗤って殺戮しつくしそうな狂騎士。
アッシュとエリオットは……例えるならば闇と光。邪と正。血と高潔。
まぁ実際のエリオットは不倫クソ夫だったのだけれど。
しかしそう例えられるほどに、この2人は対極を極めている。
1人は救うもの。1人は滅ぼすものとして。
「安心して馬車にお乗りよ。ご主人さまが待っているからね」
「ご主人さま……?あんたの……?」
この狂騎士の主は邪神か、あるいは邪神教のトップなのでは。例えトップと言えど、そんな存在が大公家で待っているとでも言うの……?
お父さま……。私を愛してもくださらなかったお父さま……。けれど、胸のどこかで何かがチクりといたむ。
お父さまはご無事だろうか。
アッシュの不気味な笑みに見送られながら、馬車の中の座席に腰かける。
「ん……高級ふかふかシート……。さすがだけど。知ってたけど」
私の呟きを吸収するようにバタンと馬車の扉が閉められ、緩やかに馬車が出発する。
不安に侵されながらも、馬車は大公家へと到着した。
「久々ね。嫁いでからは帰ることもなかったもの」
昔懐かしい大公家の門を越えた、屋敷の入り口に馬車は付けられた。
「何で帰らなかったの?」
私と並んで堂々と屋敷の中に入り、頭の後ろで手を組んでにへらっと笑う狂騎士。本来大公令嬢である私に対してとっていい態度ではない。こいつは私の騎士でもないし、騎士ならもっとましな所作があるはずよね。
周りの使用人たちもまるで気にしてないし……。
「帰れるはず、ないでしょ。私はこの家で……はつまはじきものだもの。やっと出ていって、みんな清々してるはずよ。まぁ結局戻って来てしまったけれど」
「あはあはっ。へぇ……ふぅん、イイコト聞けたかもねっ!さぁ、ご主人さまがお待ちですよ、お嬢さま」
ぉん前な。大公家の騎士みたいな感じで言うなよな。
よそもの……ではないのだろうな。使用人たちの反応からするに。しかも、聖女の実家に堂々と邪神教の紋をつけて入ってる。うちに仕えるものでその紋の意味を知らないものはいないのに。そして何でご満悦なんだキメェぞ。
しかもアッシュが私を連れて来たのは、本来なら当主の書斎である部屋の前。お父さまの書斎のはず……なのだが。この中にはお父さまではなく、邪神教のトップがいるのよね。
ごくり、と唾を飲み込む。
がちゃり……と、扉が開かれた、その先には。
「お帰り、アリス」
「……お父さま?」
お父さまが、いた。
しかし。
「あの、その、……服は」
お父さまは銀髪にローズレッドの瞳を持つそれはそれは美しい大公閣下である。しかしながら服装は黒ずくめで、どこか司祭のようであり、胸元には蛇をモチーフにした邪神教の証が吊り下げられていた。
「お父さま……その、胸の、はっ」
「……アリス」
お父さまが静かに息を吐く。
思えばこんなに面と向かってお父さまと会話をするのも久しぶりである。
いや、今までにあっただろうか。
「あっとアリスが帰ってきた……」
お父さま……?何で目頭あつくなってんの!?それ、そう言うポーズよね!?
「あぁ、愛しい私のアリス」
私この家でそう言う扱いだったの?知らなかったんだけど。
「お前が自らこの屋敷に帰ってきた以上、もう決して我が手からは放さん」
いや、何で執着味出てきてんのお父さま。
そのキャラどこから来たのよお父さま。
「その、また、お世話になります」
聖女とは言え出戻ってきたバツイチ娘。
世話になるからには、当主にしっかり挨拶をしなくてはなるまい。それが貴族の義務と言うか、しきたりと言うか。
「あぁ、もちろんだ。もうお前を外には出さない。この屋敷で生涯に渡り守りとおそう」
「は、はい……?聖女の、お務めは」
フロリーナがいる以上、私はお役御免だとも思うのだが、まぁ聖女なので。一応聖女なので、確認しておく。
「邪神さまに対してお務めを果たせばよかろう」
何の迷いもなく行ったアァァァーーーっ!やっぱ邪神崇めてるよお父さま!どうしたらいいの私っ!!むしろそれはまだ聖女なのか!?聖女でいられるのか……!?
「お前が食べたがるであろう、クッキー缶もたくさん用意してある。好きなだけ食べなさい」
「それは食べるわ」
即答であった。
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