偽傷

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夜、公園の池を眺めていると、俺の隣には佇んでいるヤツがいる。 「調子は、どうだい?」 こっちをチラっと見上げたような気もするが、よう分からん。 小さいそいつは、月の明るさと外灯を頼りに水面を見ているようだった。 「最近、太ったんじゃないか?」 抗議するように、虫の声を掻き消してグェ!っと一鳴きすると、そいつは今夜の御馳走を見つけたようで勢いよく水の中に飛び込んでいった―― 「芯さん、さいきん相棒はどうしてんの?」 隣の段ボールハウスから顔を出したのは、アルさんだった。 「見かけませんねー。縄張り変えたのかもしれません」 「あれま。挨拶もなしかあ。鳥だけに自由に羽ばたいたのかなあ」 「俺らだって、挨拶して出ていく人の方が少ないでしょう」 「ちがいないねー」 ニイと欠けた歯で笑うアルさんは、ホームレス歴40年のベテランだ。 (挨拶もなし、か) 刺さるものがあるのは、紛れもなく罪悪感だろう。だが、あの時の俺には、最良の選択としか思えなかった――  グェー! グェー!! 「ん? おー、お前か。久しぶりだな……って、どうした?」 陽の光があるうちに会うなんて珍しい。ましてや、俺の寝床にやってくるなんて初めてだった。それにしても、やけに騒々しいな。 「お前の……子供?」 総勢十羽。アルさん曰く、俺の相棒だというコイツの周りでちょこまかと好き勝手な方を向いては泣き続けるヒナ達。ピヨピヨの鳴き声や動作に頬が緩んでくる。  グェー! 相棒は、俺を見上げるなり羽をバタつかせると、短い足を力強く動かしてリズムよく尻を振りながら歩道へ向かった。気が付いたヒナ達も必死で後を追い駆けはじめる。 「芯さん、相棒きてよかったなー。あ、でも多分こりゃあ引っ越しだなぁ」 顔を出したアルさんは、少し残念そうにしながらも微笑まし気に口する。 「引っ越し?」 「そうだよ。子育ての為に場所を変える習性があるんだよ」 テレビで観かけるあれか。 「がんばれよ……」 呟くと、その言葉が気に入らなかったのか、相棒は回れ右をして足元で鳴きはじめた。 「ボディーガードしろって、いってるんじゃないの?」 「はい?」 見上げる相棒は、確かに訴え掛けているようだった。コイツとは真正面で向き合ったことはない。プライドを感じる奔放な生き物。それが俺の印象だった。けれど、今はどうだ。そんなものは捨て去り子供の為に変わったようにさえ映る。 「よし、行こう!」 突き動かされた俺は、懺悔も伴って歩き出した―― 「最後の難所だな……」 相棒の行き先を確認しつつ、障害となりそうなものを排除して同行していた。 苦労したのは、最後尾のヒナの旺盛な好奇心だった。 電柱、植樹、ゴミ箱、更には、散歩中の犬や猫にまで。 さすがに猫に近寄って行った時には、ドキリとした。しかし、もっと驚いたことは、その姿を見た相棒が急いで猫の前に躍り出ると羽を広げてうずくまるような態勢を取ったことだった。さながら、襲われるのを待っているかのうように。身を挺して我が子を守ろうとするその姿。本来であれば、純粋に感動するはずなのだろうけれど、俺には過ってしまうものがあった。それは、残されたヒナ達が生きていけるのかどうかということ。親がいなくなってしまっては、どうすることも出来ないんじゃないかという無慈悲な現実。 「とはいえ、子供を犠牲にするよりは、マシだな」 本能的な行動に対して、すべてを補完できるわけじゃない。その結果、思いもよらない方向に転がっても仕方ないじゃないか。 後ろめたさを目一杯に踏み付けて、今は六車線の大通りを渡ろうとタイミングを計っている最中だった。幸い、俺が進まなければ相棒も進まない。なので、横断歩道を渡るアイデアは悪くなかった。問題なのは、最後尾のヒナが途中で戻ってしまうので絆の固いこの一家は全員途中で振り出しになってしまうことだった。 「あー、いたいた」 声を掛けてきたのは、若い警官だった。 「通報がありましてね」 心臓が、飛び出てしまいそうになった。 「あ、あの……」 「大丈夫ですよ。つぎ、青になったら誘導しますね」 爽やかな笑顔が俺を更に動揺させた。 直視できない。 「で、でも、一羽もどってしまうんですよ」 声が上ずってしまう。警官は、そんな俺を他所に「内緒にしてくださいね」というと、どのヒナかを確認するとさり気なく掌に乗せた。その様子に相棒は、真反対に慌てる様子はなかった―― 「ご協力に感謝します」 川に辿り着いた一家は身を隠せる繁みを新居としていた。 見届けた俺は、同行した警官に軽く頭を下げて急いで立ち去ることにした。すると、その警官が力強い声で呼び止めてきた。 「失礼ですが、お住まいはどちらですか?」 「恥ずかしながら、ホームレスをしております……」 「どちらで、ですか?」 「やましいことは、なにもしていません」 「それは分かっています。むしろ、感謝されることをしたじゃないですか」 「カルガモの引っ越しぐらいで……」 「それだけじゃありません。僕の命を救ってくれました」 「気付いて、いたのか……」 「忘れるわけないじゃん、父さん」 「なんで、直ぐに言わなかった?」 「働いている、働けている姿を見せたくて」 「凄く、凄く……立派だったよ」 「なんで、いなくなったの?」 「それは……」 「臓器あげた所為でおかしくなった?」 「そ、それは……」 俺は、妻を早くに亡くして息子と二人で暮らしていた。そんななか、息子の病気が発覚して臓器提供をしたところ原因不明の体調不良に苛まれて働けなくなってしまっていた。そうして、ノイローゼから将来の不安も重なり息子を道連れに自殺まで考えてしまった。そうして、気が付けば家を飛び出していたのだった。 「失踪する数カ月前から、会社には行ってなかったみたいだね」 「あ、ああ……」 「いま、体調は?」 「まぁまぁ、かな」 「あれから、信也おじさんの家で育てられたんだ」 「そうか……」 話しを聞くことしかできない。俯いたままの俺に息子は続ける。 「彼女がいてさ。来年結婚するんだ」 「よかったな。おめでとう」 「こんど会ってよ」 「それは……」 「父さんのお陰で今があるんだ。だから、会って欲しい」 「わかった……」 そうして、連絡先を受け取って公園に帰った―― 「よかったじゃないか」 アルさんは、一部始終を黙って聞いてくれていた。 「こんな俺が、いまさらですよ」 「卑下する必要はないよ。見てる人は、ちゃーんと見てるってことだよ」 「……」 「その証拠に相棒だって頼ってきたじゃないか」 「あれは、ただの鳥じゃないですか」 「バカだなー。ただの鳥が餌も与えない相手にボディーガード頼むわけないよ。信頼されてるってことだよ。それに、息子さんが悲しい思いをしたことは間違いないだろうけれど、芯さんだって同じように辛かったんだろ? だから、息子さんを救う為に離れた。芯さんは、二度も息子さんを救ったんじゃないか」 「ただの育児放棄です」 アルさんは、澄んだ瞳で続ける。 「それよりも大事なことをしたんだよ。たぶん、芯さん前世カルガモだったのかもしれないなぁ。話してくれたように、あいつらは天敵からヒナを守る為にわざと傷付いた振りをする。身を挺して子供を守るんだよ。でも、面白いんだ。成長する為の環境は与えるが、エサは与えない。そういった意味でも多分一緒なんじゃないかなぁ。良いか悪いかは別として、兄弟が面倒見てくれるっていう安心材料もどっかにあったんじゃないの? だから、息子さんがって表現したんだと思うよ」 「……」 アルさんの言葉に嗚咽が漏れてしまった。 「こんな幸運そうそうないよ。大切にしてみたらどうだい?」 アルさんは、そういうとニイと欠けた歯で笑った── 「父さん、早く!」 「ちょ、ちょっと待ってくれ!」 私達は、いま病院に向かっている。 息子の嫁さんが産気づいたという知らせを受けたからだ。 「無事でいてくれよ……」 息子は、タクシーの中で両手を組んだまま蒼白だった。まるで、若かりし頃の自分を見ているようで不謹慎ながらも懐かしさを覚えてしまう。 「安心しろ。大丈夫だ」 あれからの私は、公園を後にして一人でアパート暮らしをしていた。始めのうちは、生活を立て直す為に息子夫婦の力を借りていた。 「家族は助け合うものです」という、息子の嫁さんが言葉を掛けてくれたことが大きな理由だった。 「飛ぶホームレスあとを濁さず、か」 私はアルさんを訪ねて何度も公園に足を運んでいた。私の姿を見ると、彼はいつも快く迎え入れてくれていたのだが、ある日のこと、突然段ボールごといなくなってしまっていた。今があるのは、彼の後押しがあったからこそ。そして、相棒を含めた皆のお陰だった。 「ありがとう……」 人は、一人では生きていけない。 いや、人に限ったことじゃない。 動物は、お互い支え合いながら生きているんだろう。私は、この恩を必ず返したい。その為に今があるのだと思う。そんなことを胸に抱きながら、大変お世話になった公園を車窓の端に見ていた。すると、    グェー! 遠くで、馴染のある声が響いたような気がした。次に行く時は、孫を含めた家族全員で行きたいと強く思った。
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