2話

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2話

「あー、あのっ、お巡りさん!さっき書類の入った茶封筒落としてしまって!」  駅前交番に大慌てでスーツ姿の若い女性が飛び込んで来た。所長と巡査部長がパトロールに出ていたので一人でいた葉月が対応しようと立ち上がる。 「ああ……」  葉月が話す前に女性が一気に喋り始めた。 「ええと電車から降りて、電話がかかってきたので近くのベンチで出て、そのあと気がついたら持ってないことに気がついて、すぐに戻ったけどなくて、別の所かもしれないと探したんですけど。大事な書類だから気をつけていたのに……」  彼女は真っ青な顔に汗で前髪が張りついてパニック状態だ。後ろで結んだ髪もゆるくほどけている。 「落ち着いてください。今しがた駅の近くで封筒の落とし物の届けがあったので、おそらくそうかと。念のため詳しい特徴をお願いしますね」 「あ、ああ──」  膝から崩れそうになる女性に手を貸し、椅子に座らせた。  封筒の社名と社員証、入っている書類の内容を聞いた上で本人の物だと確認し手続きを始める。 「良かったですね。さぞかし驚かれたでしょう」 「はい……」  聞けば専門学校を卒業してこの春に証券会社に入社したばかり。普段一緒の上司が別件で来られなくなり、一人で得意先に行く前の電話で相手方から場所の変更があって慌ててしまったらしい。  彼女は言わなかったが、上司からは気難しい人なのでくれぐれも粗相がないようにと言われていた。通常では持ち歩かない書類も相手の要望で紙に打ち出してして持っていたため余計緊張していたようだ。  封筒を受け取ると、やっと安堵して他のことに気が回るようになる。 「そうだ。あの、拾ってくださった方にお礼を……」 「ああいえ、名前も名乗らずお礼も必要ないということでしたので。中身に関しては一切見ずに持って来られたと。──信用の出来る人ですのでご心配なく」  本来そういうことも話さないが、大事な書類となれば拾った人物の素性も当然気になるだろう。  実は封筒を見つけたのは葉月の小学校からの親友の元基なのだ。彼は大学を卒業し本格的に実家の不動産を手伝っている。 「あ……お巡りさんがご存知の方なんですね。ではその方にお会いすることがあれば、大変感謝していたとお伝えください。急ぎますのでこれで失礼します。ほんとうにありがとうございました」  落ち着きを取り戻し、丁寧に礼を言った。 「わかりました、伝えます」  何度も頭を下げてその女性は約束の場所に急いだ。  そして入れ違いに巡査部長の津田村が帰って来た。所長の浦川は表で近所の老人につかまっているようで大きな声が聞こえてくる。 「なにかあった?今の人急いでたけど」 「はい、実は……」  葉月はかいつまんで話した。 「ああそれは良かった。可愛い人だったな。……あっ、今の別に深い意味はないからな。……言うなよ」 「えー?ああ──。はい」  釘を刺された葉月は一瞬ピンと来なくて、すぐに津田村が新婚だったと笑顔を見せた。 「嫁さんが恐いとかヤキモチ妬きとかじゃないからな。独り身の八代にはわからんだろうが、色々あるんだわ。まあ……うちのがもっと美人だな」  言い訳がましく一言つけ加えて額の汗を拭く。三十代の津田村は昨年の夏、街のお見合いパーティーで彼女と出会い先月式を挙げた。もちろん葉月も招待され親族友人に祝われて、それはそれは幸せそうだった。 (わかりますよ、俺も)  自分が同性の恋人と暮らしていることを警察署内の誰にも話していない。大っぴらに妬いたり惚気たりしたい気持ちもなくはないのだが現実問題としては難しい。  渉といるとどんなに楽しいか、自分だけに見せる笑顔にどれほど癒されるのか。きれいで優しいから他の人にとられないか心配だなんて言ってみたい。 「いいですね、羨ましい……」  いわゆる普通の人たちはこんなに言いたいことを言えるのか。隠し事ばかりのような自分には羨ましいとしか言えない。 「おお、だろだろ。お前も早く良い人見つけろ」  別の意味で言った言葉だが、津田村は満足気に席についた。 「良い人か。俺には勿体ないくらいの良い人なんだけど……」 「あれ?なんだ恋人いるんだ。今まで聞いたことなかったからてっきり。そらそうだわな、お前みたいに若くてイケメンに彼女がいないわけないもんなー。つき合って長いの?」  生まれた時からの知り合いだが、告白してつき合うようになってからは七年になる。彼女という言葉にひっかかるが曖昧に返事をした。 「ええまあ……」  これ以上追及されるのも面倒なのでデスクに向かう。  渉を好きになった時は、両思いになれるなんて考えてもみなかった。愛し合うことがゴールだと思っていたのにその先にまだ普通に生活するのに障害があるとは……。 (一緒にいられるだけで幸せなのにな)  そこに電話が鳴り、葉月が出た。 「はい、駅前交番です。どうしました?」  と同時に本署からの無線が入り、二人に緊張が走った。
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