0人が本棚に入れています
本棚に追加
カランコロンカラン
「…いらっしゃい。」
思ったよりも低い声だった。
重い扉をさらに押し込むと、小柄な老婆が一人座っているだけだった。
「ご、ごめんください。」
何だか空気が重い。
煙たいような、息が詰まるような…
「入ったんなら、早よ閉めておくれ。」
「あ、すいません…」
キィーー バタン
まるでホラー映画のような乾いた音。
嫌に冷たいハンドルが、余計に背筋を硬くする。
「で、今日は何を探しに来たんだい。」
「あ、はい。実は、先日弟が亡くなってしまって…」
「…あぁ。そっちのお客さんかい。着いてきな。」
そう言うと、老婆はゆっくりと立ち上がる。
服は黒?紫?暗くてよく見えない。
ただ、床を引きずるくらいに長いローブと
私のお臍くらいまで曲がってしまった腰。
杖をついていても危うい足取りに、また少し何かを警戒してしまう。
「ここだよ。」
老婆に案内されたのは、小さなケースが並んだ倉庫のような場所だった。
「で、結論から聞くよ。あんたは弟さんを生き返らせたいんかい?」
老婆の顔が私を覗きこむ。
暗がりでも分かる黄色い目つき
それはまさに、夜道を歩く黒猫のような。
「…今でも、まだ迷っています。何が正しいのか。」
「何が正しいかなんて、そりゃそれぞれの事情によるからねぇ。あんたがどうしたいかなんて知ったこっちゃない。私はただ蝋燭を売るだけさ。」
「そう、ですよね…でも、私には未だに信じきれていません。本当に、本当に弟が…」
「あそこの世界。」
「え?」
「私ら蝋燭屋はそう呼んでる。この世でも、ましてやあの世でもない。そのちょうど中間の世界。49日以内なら、そこへ行くも行かないも自由。弟さんを連れ帰るのも、言い残した言葉を伝えるのも、何かを渡すのだっていい。ただ一つ、忘れちゃいけないのは…」
「その火が消えるまで…およそ30分。」
「そう。絶対にこれを超えてはならない。これを超えても尚、あそこの世界にいた場合は、あんたは二度とこの世に戻れなければ、あの世にも行けない。」
「話には聞いていました。でも、ただのこんな蝋燭一本でなんて…」
「ここにあるのを、そこらへんで売ってる蝋燭と一緒にされちゃ困るよ。この蝋燭は命そのもの。毎日のように運び込まれては、49日経つ度に回収されていく。専ら、最近じゃ人の死が身近すぎて、店に来る人もだいぶ減ったがね。」
「運ばれてくるって、一体誰が…」
「死神さ。見た目は、目深に帽子を被った、ただの緑色の服を着た配達員にしか見えないけどね。」
「じゃあ、弟の蝋燭もここに…」
「弟さんが亡くなったのは?」
「今日で8日目です…」
「なら、ここらへんにあるね。」
どこからか持ってきた脚立を登る老婆。
本当に、この蝋燭の一つ一つが命だとして。
老婆の姿は、押し入れを漁る老人のそれだ。
箱だって、昔煎餅の入っていた紙箱と言われれば、納得してしまいそうなくらいには脆い造りだ。
万が一、落として中の蝋燭が折れたりでもしたら、その命はどうなってしまうのだろうか…
「夏目優。」
「え?」
「なんだい?これが弟さんじゃないのかい?」
「そうですけど…どうして名乗ってもないのに、私の弟が分かったんですか?」
「…知りたいかい?」
老婆の黄色い目が大きくなる。
「やっぱり、大丈夫です。」
「ならほれ。」
「あ、はい。ではこれを…」
「4.5.6…確かに66万6千円、ちょうど貰うよ。」
指を舐めて札を数えた老婆は、さぞ仕事が終わったと言わんばかりに、最初に座っていた椅子へ戻る。
「あ、あの〜…」
「なんだい、まだいたのかい。」
「ここで、その、火を付けてもいいですか?」
「どうしてだい?一番早く弟さんに逢えるのは、弟さんの位牌がある場所だよ。まだ肉体と魂の繋がりがある時期だからね。ここで火を付けたら、30分以内に逢えるかだって…」
「いいんです。お願いします。」
「…ふん。今回だけだからね。」
老婆は机にあったマッチを付ける。
ジュボッという音と共に、小さく灯った火がゆらゆらと揺れる。
まるで、そこにだけ風が吹いているように。
「準備はいいかい?」
老婆の問いに無言で頷く。
弟の命にもう一度
新しい灯火が移されて………
最初のコメントを投稿しよう!