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田んぼに囲まれた無人の駅から、重い足を引き摺るように目的地に向かう。
時折り端末で目的地を確認してみるが、在らぬ位置情報を示しては、俺を惑わせる事に必死な様子であった。
じわりと汗をかきながら数十分も田畑を横目に歩いたところで、ようやくポツリと佇む見慣れた家が見え始める。
玄関口まで辿り着くと、気持ちを切り替えるために息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
嫌々やって来たなんて顔を婆ちゃんに見せるわけにはいかないからだ。
玄関に手をかけようとした、その時。
「おかえりカナタ。よく帰ってきたね。待っていたよ」
「うわぁっ!」
ガラガラと勢い良く引き戸は開かれ、皺くちゃの顔で笑う婆ちゃんの姿が現れた。
情けない声と共に後退りする俺は、すっかりこの習慣を忘れていた。婆ちゃんはいつもこうして俺が玄関にたどり着く前に出迎えてくれるのだ。
「脅かさないでよ婆ちゃん」
「ごめんねカナタに会えるのが待ち遠しくてね。アスカちゃんからは聞いているよ。さぁお入り」
ずっと思っていたが実の娘にちゃん付けというのはどうなのだろうか。
そんな事を思いながらも、悪戯っぽく笑みを浮かべる婆ちゃんに招かれて家の中へと向かった。
婆ちゃんの家は懐かしい匂いがする。
木と畳表の香り、その中に線香の匂いが微かに混じっている事だけが、いつもと違うところだろうか。
「先に爺ちゃんに手合わせとくよ。顔くらい見せなさいって怒られそうだし」
そうだね、と少し寂しそうに婆ちゃんは仏壇の方に案内してくれた。
遺影の前で正座し、静かに手を合わせる。写真の中の爺ちゃんは、こちらが笑ってしまいそうになるほど笑顔で写っていた。
何人かの参列者は実際に涙ながらに遺影を見て笑っていたほどだ。
見切れた部分でピースまでしているのかもしれない。
「いい顔で写っているでしょ?ソウタさんったら自分が死んだらこの写真が良いって聞かなかったの。たくさん撮り直したのよ」
感慨深そうに爺ちゃんの遺影を眺めて語る婆ちゃんを見て、チクリと胸が痛む気がした。
爺ちゃんは自分が死んだ時のことを、前々から考えていたのだろうか。
ここ数年、世界的な疫病が流行り出してからというもの、不要不急の外出が禁止されていた。
「元気なうちに会いに行かないと」なんて母さんは話していたが、俺も就活が重なり会えない年月だけが過ぎていった。
いや、それはいい言い訳だ。
今思えば、帰らずに済む口実を得て、どこかホッとしていたのではないだろうか。
爺ちゃんは、その疫病にかかって会えないまま死んでしまった。皮肉にもその後、すぐに疫病の終息が発表された。
「ごめん爺ちゃん」
申し訳なさからか口をついて出てしまう。いまさら何を言っても爺ちゃんは答えてくれる訳がない。
婆ちゃんは子供の頃の様に、横から黙って頭を撫でててくれた。
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