明日がほしいと願った

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 額から汗を流しながら、近所の山道を自転車で立ち漕ぎすること約一時間。山道から外れた林の中に人目を避けるようにして、ぽっかりと開いた洞窟があった。  近くの木に自転車を立て掛けて、服の袖で額の汗を拭う。ポケットから取り出したスマホのライトで足元を照らしながら、洞窟の奥へと進んだのだった。一歩進む度に周囲の温度が下がって、背中の竹刀袋が重くなっているのは気のせいではないだろう。俺の身体も重石を載せられたかのようにずっしりと鬱鬱している。さっきから口の中も乾いて落ち着かない。ペットボトルの飲料水は途中で買ったものの、山道を登っている間に飲み干して自転車のカゴに置いてきた。ガムか飴も買えば良かった。  これまでここには何度も来ているが、今日ほど緊張したことはなかった。  これもこれから起こることが関係しているのだろう。 (それも仕方ないか。今日で全てが決まって……どちらかが()()()()()()()……)  俺は息を吐きだしてそっと目を伏せると、自分の内側から込み上げてくるものを抑えるように胸に拳を当てる。今日はずっとこんな感じだった。授業中や昼食時、帰り道さえも……。  胸が騒ついて落ち着かない。余命を宣告された人間は皆こうなのだろうか。特に終焉が迫った人というのは……。  抗えようのない未来が目前にあるという時、人は諦めにも似た境地で諦念を迎える。 (アキラの母親もこんな気持ちだったのか? 病気と余命が分かってからずっと……)  アキラの母親と最後に会った時、病室のベッドの上で半身を起こしていた姿からはそういった様子を感じられなかった。すぐ側に看病で付き添うアキラがいたからというのもあるかもしれない。母親の病気が発覚してから、アキラはほとんど母親にくっついて看病していたから。  この日に病室を訪れたのも、母親の傍から微塵も離れないアキラを外に連れ出してほしいとこっそりアキラの母親に頼まれたからであった。アキラの母親は自分が長くないことを知っていたのだろう。自分よりも残される息子のことばかり心配していた。自分がいなくなった後、息子が立ち直れるように支えてほしいと何度も頼まれた。  離婚したアキラの父親はもう新しい家庭を築いており、アキラを頼めるような状態じゃなかった。親戚とも疎遠らしいので、他に頼める相手がいなかったのだろう。そんなアキラの母親の気持ちが分かっていたからこそ、あの時は引き受けてしまった。  自分も長くない以上、安請け合いするべきではないと知っていながら……。  洞窟を突き当たりまで歩くと、奥まったところに人工的に作られた穴がある。その中に入るとまず目に入るのは大きな座敷牢だろう。破れ、黄ばんだお札らしきものが無数に貼られた頑丈な鉄格子の向こう側には鎖に繋がれた妙齢の女性が正座していた。  床に広がる長い銀髪とガリガリに痩せた身体を包む薄汚れた白い着物。罪人のように手足に枷を嵌められて壁から伸びる鎖に囚われた女性は微動だにせず、ただ何も無い壁を一点に見つめていたが、いくつか俺とは違うところがあった。  それは頭から生えた銀の体毛に覆われた狐の耳と腰から生えた銀の尾だった。  触ればきっともふもふとした感触を味わえるだろうという狐の耳と尻尾を生やした女性に向かって話しかけようとしたものの、上手く言葉が出て来なくて唇を一文字に結んでしまう。その代わりにスマホを壁に立て掛けて照明変わりの明かりを座敷牢に向けると、ここまでずっと背負っていた竹刀袋を下ろして袋を開ける。中から黒い鞘に収まった柄を引き抜くと、手入れの行き届いた長い白刃がスマホの光に反射して暗い座敷牢を照らすようにその姿を晒す。 (何度も迷ってごめん。今日こそ力を貸してくれないか。相棒……)    ズボンのポケットから出した古びた鍵を座敷牢の鍵穴に指すと、そっと回す。小気味いい音と共に解錠されると、日本刀を片手に女性の元までずかずかと大股で近づいて行って、何の躊躇いもなく日本刀の切先を女性の首につける。いつ首が斬り落とされてもおかしくないといった状況になって、ようやく女性は壁から俺に視線を動かした。 「祈里……?」 「……」 「来てくれたのね」  慈愛に満ちた思慕の目。目が合った瞬間、痩せこけた顔に笑みが広がり、暗く濁った黒目にも一筋の光が射し込んだように見えた。余程嬉しかったのか、獣耳と尾まで小さく揺れている。自分の中で胃が縮むような感覚を覚えて不快な感情が広がる。    ――そんな目で見つめながら、俺の名を呼ばないでくれ。    心の中で何度唱えたか分からない言葉をまた繰り返す。情が移ってはならないと自分自身を律しても、それでも胸の中で温かいものが広がっていくのを感じる。この正体が何なのか未だはっきりと判明しない。父さんに聞いても、医学的な原因は無いという。  強いて言うのなら――母性愛を感じているのだと教えられた。   「会いに来てくれたのね……。私の祈里……」 「お、れは……」  何か返事をするべきだと分かっていても、口の中がくっついているような気がして言葉が出て来ない。心なしか日本刀を持つ手までも震えているような気がして、両手で柄をきつく握りしめる。  家で鍛錬に励んだ時はこんな及び腰ではなかった。目の前の女性から威圧を感じている訳でもない。ただ自分が現状を先延ばしにして甘えたいだけだ。  この女性も生きて、自分も明日を迎えられる方法は存在しないのか。先祖が何百年にも渡って、何度も断ち切ろうとしていた呪われた宿命を解呪する術は本当に無いのか。そうは思っていても、自力で見つけるのは困難だった。そうしている内にタイムリミットはもう目前まで迫ってしまった。 (今度こそ、殺さなければならないのか……)    今日こそ仕留めなければ、そうしなければ俺に明日は無い。でも明日を迎えるにはこの女性の首を斬り落とさなければならない。 (なんでこんなことを選ばなきゃならないんだよ! なんでだよっ……!)    これは小邑家に代々かけられた呪いだ。呪いを解くためにも、俺はこの女性を――妖狐を殺す。  例え、その妖狐が自分の()()()()だとしても……。 「ちゃんとご飯は食べている? なんだかやつれたように見えるわ……。生まれたばかりの祈里は母乳も上手く飲めなくて苦労したのよ……。お腹にいた時も何を食べても受け付けてくれなくて、貴方のお父さんも頭を抱えていたわ」 「かっ……その、俺は……」  油断して日本刀を持つ手を動かしたら、妖狐の首が薄っすらと斬れて赤い血が滲む。けれどもその傷はすぐに跡形もなく消えてしまう。妖狐が持つ妖の力が傷の回復を促進したのだ。   「あっ……、ご、ごめっ……!」  妖狐とはいえ、母親の首に傷をつけてしまったことにショックを受けて反射的に謝りそうになってしまう。軽微な傷はすぐに塞がると知っていても、やはり怪我を負わせてしまった事実に良心が痛む。その妖狐はというと、何も言わずにただ悲し気に切れ長の目を伏せただけだった。 「優しい子ね。貴方はとても……。そんな貴方にこんな苦行を強いらなければないのが心苦しいわ」 「ちがう! 俺は……俺は……っ!」    妖狐も俺が日本刀を持つ意味を知っているはずだ。これまで日本刀を持って何度も来ているし、今と同じく首に軽傷を負わせたこともある。  妖狐自身も俺たち小邑家と妖狐との宿命を知った上で、父さんとの間に俺を産んだのだから。   「何も言わなくても分かるわ。明日は貴方の二十年目の誕生日だもの。離れていても、ずっと貴方の誕生日を数えていたのよ。だって、大切な息子だもの……」 「ぃや、俺……」 「祈里。何度も言っているけれども、これはお母さんも決めたことなの。だから貴方が罪の意識を感じることはないのよ。今日こそ覚悟を決めなさい。貴方は出来る子よ……。お母さんは知っているわ」  幼子を諭すようにも、叱咤するにも聞こえる言葉が胸に重く押しかかる。  それとも母親を前にしているからだろうか。アキラや父さんと話す時とは違って、甘えるように子供じみた我が儘さえ口にしてしまう。   「でも、俺には出来ない……。分かっていても出来ないんだ……」 「いけない子ね。でも、は無しよ。お母さんの願いを最期に聞いてくれない子なんて……。今まで我慢していたけれど、でも今日が期日よ。祈里、お母さんの願いを叶えて。これ以上、お母さんを苦しませないで……」  妖狐は自ら俺が持つ日本刀の刀身を掴むと、自分の首に当てる。掌から雨雫のように垂れる赤い血を見ていられなかった。咄嗟に目を瞑って顔を逸らすが、容赦のない妖狐の言葉で現実へと引き戻される。 「祈里。お母さんを見なさい。いつまでも現実から逃げないの。これは貴方しか出来ないこと。小邑家に代々伝わる通過儀礼みたいなものよ」 「嫌だ! こんなの誰が考えたっておかしいだろう! どうして、俺たちがこんな目に遭わなきゃならないんだよっ……! 悪いのは先祖だろう! なんで俺たちがこんなに苦しまなきゃならないだよっ……!!」  何度言ったか知らない言葉を妖狐に向けて放つ。喚いたって意味が無いと諦める自分と、妖狐の首を落として早く楽になれと甘言を囁く自分が耳元近くにいるような気さえしてくる。  どうしたらいいのか戸惑う俺に妖狐はトドメとも言うべき言葉を口にした。   「私を殺して短命の呪いを解いて、明日も生きなさい。そうしなければ二十歳になった瞬間、貴方が命を落とすわ」  その時、カタッと音が聞こえてきて心臓が縮み上がりそうになった。振り返れば、壁に立て掛けていた灯り代わりのスマホが落ちていた。そしてその近くには唖然とした顔で立ち尽くすアキラの姿があった。
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