明日がほしいと願った

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 顔が赤くなっていくのを感じる。手で顔を隠そうとするが、それよりも先に手で口元を隠しながら、目を大きく見開いている母さんの姿が目に入ってしまう。恥ずかしさのあまり、つい母さんを怒鳴りつけてしまう。 「悪いかよっ! あの時は死んだと思っていた母さんと初めて会った直後だったし、自分が妖狐の血を引いているとか、呪いで二十歳になったら死ぬとか言われたばかりだったから。母さんのことしか頭になくて、他のことなんて何も思いつかなくて……」  二人に背を向けて、どうにか耳まで火照った熱を冷まそうとする。すると最初にアキラが笑い出して、次いで母さんが忍び笑いを始める。それがますます癇に障って、「悪いかよっ!!」とまた叫んでしまう。 「だから変じゃないって。事情を知った今ならよく分かる。ここに越して来たばかりの頃、いじめられていたおれを助けてくれたように、お母さんも助けたかったんだよね。イノリは虫も殺せないような優しい奴だから」    優しい奴、という言葉は刃物のように俺の胸を貫く。だからするりと口から出て来た言葉は否定だった。 「優しくない。だって本当に優しい奴だったら、もうとっくに母さんの願いを叶えているはずだよ。いつまでもこんな暗くてジメジメしたところに閉じ込めていないで、どんな形であれ外に連れ出しているだろうさ。鎖に繋がれて、いつ来るか分からない死に怯えなくてもいいように……」 「二十歳で死ぬことに怯えているのはお前も同じだろう。イノリ……」 「俺さ。呪いのことを知って、母さんか俺のどっちか生きられないって父さんに聞かされてから、俺より母さんが生きてた方が絶対にいいって思うようになった」 「どうして?」 「どんな理由であれ、子供が二十歳になる前に死んだ時、その子供を産んだ妖狐は呪いから解放されるらしいんだ。祖父さんが発見した」  陰陽師の世界から追放された後も、小邑家はひっそりと陰陽師を続けていた。完全に廃業したのは俺の祖父の代になってから。  祖父は呪術的な面から呪いを解くのを止めて、医学的な面から解呪法を模索しようと医者になった。その頃には妖が減ったことで、陰陽師の大半が廃業していた。近代化が進んだことで、小邑家の陰陽師たちがやっていた星読みや吉凶の占いも不要になった。どのみち小邑家が陰陽師を続ける理由もなくなり、新しい道を模索する必要があった。  それなら不可思議な呪いを解く方法をこれまでとは違った視点から探した方がいいという考え方になり、そこで医学的な視点から呪いの実態を探ることにしたという。そんな祖父が先祖の話や家系図を見て気が付いた法則性の中に、小邑家の人間と妖狐の間に生まれた最初の子供が何らかの理由で二十歳になる前に亡くなった場合、妖狐に限っては呪いから解き放たれるというのがある。  これまで飢饉や戦争などで妖狐の片親より先に二十歳未満の第一子が亡くなった時、妖狐は小邑家に殺されるという宿命から逃れて自由を得てきたという。自我を失うことなく、妖狐として生涯を全うできたらしい。時には第二子以降の子供に看取られながら……。 「昔は口減らしとかで最初の子供が産まれた直後に首を締めて絞殺していたらしいけど、今は犯罪になるから出来ないだろう。それならさ、今日俺が死んで母さんを自由にした方がいいだろう。せっかくおあつらえ向きの日本刀を持っていることだし。それにほら、子供なんてまた産めばいいじゃん。俺の代わりなんて誰でも務まるだろうし。俺には出来ないけど、母さんさえ生きていれば子供を増やせるし……」  その瞬間、何が起きたのか分からなかった。左頬に衝撃が走ったかと思うと、じんじんと痛みだした。掌で頬を押さえながら顔を上げると、目に涙を溜めたアキラが怒髪天を突く勢いで肩を震わせていた。 「ふざけるなよっ! お前の代わりなんて誰にも務まらない! おれをいじめっ子から助けてくれたのも、母さんを亡くして塞ぎこんでいた時に好きなだけうちに泊まっていいって誘ってくれたのも、全部イノリなんだ! イノリがいなかったら、おれは……おれはここまで立ち直れなかった……」  アキラは俺の襟元を掴んで持ち上げると、悲痛な声を上げる。   「父さんと母さんが離婚して、母さんが病気で亡くなって、もう何も見たくない、聞きたくないって時に、いつもイノリが声を掛けてくれた。一緒に映画観て、飯食って、出掛けて、ゲームしてさ。イノリにとっては全部何気ないことかもしれないけど、おれはずっと助けられていたんだ! 今日だって誕生日を祝いたいからって、ずっと帰って来るのを待っていたんだ。それなのに自分が死ねばいいとか……そんなこと、言うなよ……」  襟から手を離し、俺の両肩を掴んで縋るように泣き続けるアキラを空いている手で抱き寄せる。こんなに取り乱しているアキラを見るのは始めてだった。父親が離婚したと話した時も、母親の葬儀の時でさえ、静かに涙を流すだけだった。  根暗に思われがちでも、ここぞという時は冷静に対処できるアキラの大人な姿に憧れてさえいた。そんなアキラの弱点がまさか俺とは考えもしなかった。そんなアキラの姿に動転したからか、俺の頭の中は真っ白になった。掠れ声で「ごめん」と謝るのが精一杯だった。 「お前のこと、軽んじていたわけじゃないんだ。出会った時から根はしっかりしていたし、芯のある男だと思っていたから、だから俺なんていなくても平気だと思った。でもお前はお前なりに我慢して、どうにかして丈夫な姿を見せていただけだったんだな。気付けなくて、ごめん」 「本当だよ。こう見えて甘え下手だから、イノリの前じゃないと甘えられない。おれを一人にしなかったのはイノリだけだから。でもイノリもたまに辛そうな顔をするからあまり甘えられなかった。下手に甘えて嫌われたらと思うと、怖くて出来なかった」 「あはははは……。お前と初めてまともに口を聞いた直後に母さんと初めて会ったんだ。父さんに連れられて山道を登って、こんな冷たい牢に連れて来られた。『あそこにいるのがお前の母親だよ』って言われて、家宝として小邑家に伝わる刀を渡されたんだ。『この刀で母親を殺しなさい』っていうおまけまで付いてきて。小邑家には呪いが掛けられているとか、母さんを殺さないと二十歳で死ぬとか真顔で脅されて、もう何がなんだか分からなかった……」
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