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手紙は母親からだった。スマートフォンを見ると、メッセージが届いている。これも母親から。手紙が無事に着いているかという確認だ。
わざわざ手紙を送ってくる辺り、真面目な話なのだろう。取り置いてもらった夕食の南蛮チキン定食を食べ、歯を磨いてひと息ついてから、沙羅は封筒を手にとった。
ベッドに腰かけ、そっと封筒を開ける。中には便箋が一枚と、地図が折りたたまれていた。地名から察するに、県北の、山のほうの地図だ。ポツンとたたずむ一軒の家に、赤い丸印がついている。
便箋には、母親の細い字が流れるように連なっていた。
『夏休みが終わって、秋もだいぶ深まってきたね。いきなり手紙をだして驚かせたかもしれないけれど、スマホよりは紙で残せるほうがいいと思って、こうして送りました。
沙羅が夏休みに遊びに行ったおばあちゃんから、秋のお休みにとお誘いがありました。おばあちゃんの遠い親せきの家で、数十年に一度の昔ながらの伝統行事が行われるそうです。
その家のおばあさんが、親せきの女の子に手伝ってほしいということで、沙羅をご指名だって。沙羅がまだ赤ちゃんの頃に一度だけ、挨拶にうかがったことがあるけど、そのときのことを覚えてたんでしょうね。
夏休みに沙羅が、家の歴史や地元の言い伝えを色々たずねてたから、おばあちゃん、ぜひどうかとはりきっています。きっと、いろんな古い話を聞いたり、見たりできるんじゃないかってことです。
でも、招待されているのは沙羅だけだし、かなり特別な行事らしいので、私たち親せきの大人は同行できません。ただし、ほかに手伝いで呼ばれている人もいるそうです。親せきの家には、お手伝いのおばさんと、沙羅と同じくらいの子もいるんだって。ちょっとしたお友達くらいなら、一緒に行ってもいいんじゃないかって、おばあちゃんは言ってるけど、そのへんは沙羅の考えにまかせます。
無理にとは言わないけど、よかったら、行ってみませんか。場所の地図を入れたので、参考にしてください。山の中は、電波が届きにくいだろうから。
お父さんも言ってるけど、変に気を遣わないで、あなたの好きなようにね』
読み終えて、沙羅はしばし、ぼーっとした。胸の内から、じんわりとした熱が体じゅうに広がっている。
胸が高鳴っていた。もしかしたら、もしかしたらここで、自分の謎が解けるかもしれないのだ。情報は少ないが、母も祖母も、詳しい内容は知らされていないだけだろう。
化生を傷つけるという涙のこと、夜になると決まって傍に現れる〈彼〉のこと。なにか、手がかりが掴めるかもしれない。
沙羅はチラリと、ベッドの脇に目をやった。白装束に身を包んだ青年が、毎夜のとおり、そこにいる。
「……きみのこと、ここでなら、わかるのかな」
口の中で呟いた言葉に、返事はない。沙羅はふっと微笑んだ。
「ま、いっか。これでなにか、わかるといいよね。一応、ヘライさんにでも相談しとこうかな」
独り言のように呟いた、そのとき。
「え?」
突然、青年が屈みこむ。自分をじっと見つめるまなざしに、沙羅は息をのんだ。
風が吹いて、窓を揺らしている。
吸いこまれるように、沙羅は青年の薄い唇が動くのを、眺めていた。
「ニ、エ」
掠れた低い声で、青年はそう言った。
街路灯に羽虫が集まっている。
カーブミラーが見下ろす四辻で、赤黒い髪の男は立ち止まった。ブーツの底が踏んだ小石が、小さな音を立てる。
楽器ケースを背負ったまま辺りを見まわし、空気を深く吸いこむと、「あーあ」と間延びした声をだした。
「惜しかったねぇ。もう片付けられちゃってたみたいだよ。あの化生、おもしろそうな人だったんだけど」
眼鏡のレンズ越しに後ろを見やる。
黒ずくめの少女が、夜の闇から溶けでるように追いついてきていた。ポニーテールを揺らし、同じように辺りを見まわして、「やっぱり……」と肩を落とす。
「バスの中で声を聞いたとき、すぐ追っかけられてたらよかったんですけど……クロキさんと遭わないようにしたら、やっぱ、こうなっちゃうもんなんですね」
どこか少年のような響きのする声で、少女が言う。
慰めるように、男が笑った。
「遭っちゃったら、ややこしくなるからね。でもさすが、我がバンドのドラムだね、アトラさん。化生の声を聞きのがさないんだからさ。これで報告はできるってわけだ」
「ありがとうございます。チロさんのベースや、他の人の音、〈お客さん〉の声……全部、聞きのがすわけにはいきませんからね」
照れたように頭を掻いた後、少女はふと、男を見上げた。
「今日はまだでしたけど、もうそろそろ、いいんですよね? あのお姉さんも、ライブに誘うんでしょう?」
男が目を細める。期待を込めた少女のまなざしに、ややあって「そうだね」と言った。
「アトラさん、楽しみにしてるもんね。博士に訊いてみて、オッケー貰ったら、さっそくチケット渡しに行こうか。そのときは、よろしく頼みますよ?」
少女は目を輝かせ、拳を握って大きく頷いた。
「もちろんです! 楽しみだなぁ、また最高のライブにしましょうね!」
はりきる少女に、男は一層、目を細めた。
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