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「それ、タチの悪いイタズラなんじゃないの?」
翌日。昼食を食べながら、沙羅が昨日もらったライブチケットの話をすると、友人のミナミは顔をしかめた。サラリとした髪を耳にかけ、パックの野菜ジュースを飲みながら、鋭い目で沙羅を心配そうに見やっている。
机を四つ合わせてテリトリーを作り、沙羅はいつものメンバー四人で、昼食を摂っていた。昼の教室ほど、賑やかな場所はない。すみっこにいる沙羅たちのテリトリーは、ほかのグループの話題や言葉の波が打ち寄せ、沙羅たちの言葉を埋もれさせようとするので、話がいよいよ秘密めいてくる。
クールなミナミにバッサリと言われ、沙羅は「やっぱ、そうなのかなぁ……」と口をとがらせた。つい力が入りすぎて、手にしていた焼きそばパンの麺がこぼれそうになる。
せっかく購買の競争をくぐり抜けたのだからと、沙羅が慌てて焼きそばパンにかじりついていると、隣からのんきな声が飛んできた。
「でもでも、もしイタズラじゃないんなら、なんかそういうの、いいよね。知る人ぞ知る、的な? そのチケットって、ネット販売とかないんでしょ?」
自分流のこだわりをもつユッカが、お手製オムライスをぱくつきながら笑って言う。スプーンにのっかったオムライスは、店のメニューのように、ケチャップとパセリできれいに彩られていた。
自分で好きなものを食べたいからと、弁当を手作りする手間を選ぶだけあって、ユッカは怪しさよりも魅力を感じたらしい。
「だよねぇ。やっぱ、気になるよねぇ……」
正直なところ、興味もあった沙羅は、しみじみと頷いた。ころりと意見を傾けた沙羅に、「でも、気をつけたほうがいいんじゃない?」と口をはさんだのは、黙って話を聞いていたミキだった。
「ウチの妹もさ、どっから情報仕入れてんだか、東京のライブ行きたいとか言いだしたことあったんだよね。でも、よくよく話きいてみたら、ネットの知り合いと東京駅で待ち合わせするって言うの。小学生がだよ? 親がめっちゃ怒って取りやめになったんだけど、よくわかんない相手についてくってのは、やっぱ、危ないよ」
おにぎりを頬張りながらの正論に、沙羅は「ううん……」と唸った。頭ではわかっていても、やっぱり、行ってみたいという気持ちを消し去るまでには至らない。そうは言っても、客観的な意見としては、怪しいことにはちがいないのだ。
「……もうちょっと、考えてみよっかな」
「あんたねぇ……」
呆れたようなミナミの眼差しを受け流し、沙羅は敢えて、明るく笑ってみせた。
「ま、予定が合わなかったら諦めるし。もしかしたら、ライブで頑張ってる女の子の応援に、行くかもしれないってことで」
「そうそう。ライブっていえばさ、あたし、この前の夏休みに、友達と、友達のお母さんに送ってもらって、千葉のライブ公演行ったんだけどさ……」
おしゃべりに耳を傾けながら、沙羅はどこか、教室のざわめきが遠くに感じられるような気がしていた。沙羅と戸来のことを知っていた、あの少女。思いかえせば思いかえすほど、あの女の子は、沙羅がいる高校生活とはまるで違う世界からやって来たという感が拭えない。一瞬だったけれど、ただの中学生や高校生とは、まるで気配が違っていたのだ。
──あの子、一体、どんな子なんだろう……。
体の中のなにかがざわめくのを抑えるように、沙羅は体に力を込め、顔の底から笑顔を引き摺りだして笑っていた。
放課後、さっそく怪異相談所に向かい、買い物の留守番待ちだという戸来に相談をもちかけると、相手の動作が固まった。
ジュースを注いだコップをテーブルに置いたその姿勢で、すっかり凍りついている。涼しげな三白眼は見開かれ、口はぽかんと開いたままで、いつもの大人びた表情がすっかり剥がれ落ちている。
その瞬間、沙羅の胸に初めて、目の前にいる戸来が大学生一年生だという実感が湧きあがった。そうだ。この人もつい最近まで、高校生だったんだ……。ついこの前まで、戸来も受験勉強をしていた高校生なんだということを、突きつけられた気がした。
おどろきのあまり、沙羅もぽかんとしていると、先に気を取り戻した戸来が咳払いした。
「ライブ、ねぇ。黒い髪の女の子ってことは、そうか、あの子か……」
呟くように言う。ドサリとソファに腰をおろしたその様子は、心持ち顔が青ざめていて、突然、急激にくたびれたようだった。
「……確認だけど、沙羅さんは、どう思ってるの? 行ってみたい?」
前髪をかき上げ、上目で覗き込むように沙羅を見る。その眼差しは、すっかりいつもの大人びたものに戻っていた。
気詰まりな空気を破るように、沙羅はソファに向かい合って座り、大きく頷いた。
「行ってみたいです。……ヘライさん、知り合いなんですよね?」
友達には〈考えてみる〉と言ったものの、心は決まっていたのだ。
探るように戸来を見ると、相手は気まずそうに目を逸らした。
「そりゃあ、そうだけど……。俺としては、あんまりオススメはできないっていうか……」
歯切れの悪い言葉に、沙羅が目を丸くする。
「ヘライさん、もしかして、このライブに行ったことあるんですか?」
身を乗り出して訊くと、戸来の表情は一層渋くなった。眉を顰め、腕を組んで、やがて、ぎこちなく頷いた。
「……怖かったよ」
ポツンと呟いた言葉が、暗くなりはじめた夕方の室内に滲んで、消えていった。
沙羅は黙って、言葉の続きを待った。
開け放った窓から、野焼きの煙と、金木犀の香りが流れこんでくる。
赤黒い夕陽を浴びながら、窓の外の畑や家や、建物の群れに目をやった戸来は、ゆっくりと口を開いた。
「あそこのライブはどうも、化生を扱ってるようでね。少なくともメンバーの一人は、クロさんとも知り合いなんだ。ただ、油断すると、相手のペースに巻きこまれる」
「巻きこまれる……?」
沙羅が首を捻ったとき。ちょうど、事務所の扉が開いて、黒樹が顔を覗かせた。
「おや、サラさん、こんばんは。トキさんとおしゃべりですか。こんな暗いところでおしゃべりしていると、オバケが紛れ込んでくるかもしれませんよ」
そう言いながら、電気をパチンとつける。手にしたレジ袋がガサガサと音をたて、事務所に漂っていた緊張感をかき乱していった。
「いや、でも、ちょうどよかった。お客さん用のお菓子を買いに行っていたんですがね、いつもよりもちょっと、安くなっていたんですよ」
白髪に黒いスーツという、オバケとは言わないまでも、浮き世離れした格好の黒樹は、二人の間に流れる微妙な空気など気にもとめず、レジ袋から次々にお菓子を取りだしていく。煎餅にクッキー、チョコレート、キャンディといった取り合わせは、種類だけ見れば豊富だが、全体的に安価なものが選ばれているからか、どこかレトロで、懐かしい雰囲気がある。
戸来は上司に対して、何かもの言いたげな視線を投げたが、結局、ため息をついただけだった。
「それで」
お菓子の山のてっぺんにキャンディの袋をのせたところで、黒樹が言葉をついだ。穏やかで、流れるような口調だった。
だから、沙羅は息をのんだ。
いつの間にか、黒樹が戸来のすぐ隣に近づいていた。膝を曲げ、下から覗き込むようにして、戸来の顔を見つめていた。
「なにか、ありましたか?」
ほんの少し掠れた低い声が、空気にやわらかく溶けていった。
白髪がサラリと揺れる。沙羅からは、黒樹の表情は見えない。
しかし、同じように息をのんだ戸来の目が、不思議な輝きを帯びるのは見のがさなかった。ほんの一瞬だったが、呆然としたような、恍惚としたような……。
沙羅が目を見はったのも束の間、その光は消え去り、戸来はしっかりとした目で黒樹を見つめ返していた。
「いえ、なにも」
ハッキリと言いきった戸来を、沙羅は意外な思いで見た。一瞬、目と目がぶつかる。戸来は「大丈夫だから」と、簡単な口の動きだけで伝えてきた。
黒樹は目を細め、「そうですか」と戸来の肩をぽんぽん叩いた。
「トキさんがそう言うのなら、ま、そうなんでしょうな」
引っかかるような物言いだが、それ以上の追求はない。ただ、楽しそうに笑みを深める黒樹に、戸来は咳払いをした。
「……とにかく。今日は結局、依頼がなかったんですよね? じゃあ、沙羅さんには帰ってもらってもいいんじゃないですか。今日は平日ですし、俺は講義が二コマ目からだけど、沙羅さんは朝、早いでしょ?」
「え、ええ、まぁ、はい……」
話をふられ、沙羅が曖昧に頷く。仕方がないので帰る準備をしていると、戸来がそっと耳打ちしてきた。
「ライブに行くんなら、俺も行くよ。場所はわかるし、俺も招待されてるみたいだからね」
沙羅がハッと目を向けると、戸来の目と目が合った。無言で言葉を交わし、事務所のドアを開けたところで、黒樹の声が飛んでくる。
「おつかれさまです。サラさん、夜遊びはほどほどに、ですよ」
数日後の土曜日。真っ赤な飴玉が溶けるように日が沈むかけた頃、沙羅は戸来と待ち合わせをした。街路灯やビルに明かりが灯りだし、コンビニや居酒屋のまわりには、仕事帰りのサラリーマンたちの姿がちらほらと見える。
「おまたせ。じゃ、行くよ」
ラフなパーカーにジャケットという出で立ちであらわれた戸来に、同じく動きやすいシャツにズボンという格好を選んだ沙羅は、こっくりと頷いた。
〈ほどほどの夜遊び〉は、クロキ怪異相談所からやや離れた、コンビニから始まった。
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