そして、数えきれない春を越える

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 少し遅めの晩ごはんを囲いながら、父が努めて明るい声で言った。 「みんなで引っ越ししよう」  父といっても、私にとっては義理の父であり、血の繋がりは一切ない。幼い私を連れた母と再婚し、最悪なことにその母は数年後に病気で亡くなってしまった。  何だかお互い、家族に恵まれないなあとは思うが、義父は母のぶんも私たちを愛してくれた。私たち、というのは義父にも連れ子の男の子がいたのだ。  一つ歳下の口数少ない男の子だった。 「どこに?何で?」  思いつきで行動する父ではなかった。 「広島に転勤になったんだ」 「あー、なるほどね。まあ、答えはわかってると思うけどここに残ります」 「うん、そうだよな。わかってたけど聞いてみた」  近くの大学に進学が決まっていたので、県外……しかも遠方に引っ越しなどありえない。 「碧生(あおい)は?」 「俺も残る。今年受験生だよ?」 「だよな。わかってた。わかってたんだよ」  父はがっくりと細い肩を落とした。本当に残念そうに小さく背中を丸めている。 「断れないの?」 「こればかりは断れないんだ」 「じゃあ親父だけで行けばいいよ」 「寂しいじゃん」  子どものように口をすぼめている。 「断れないんでしょ?」 「断れない。だから行くしかないけど、寂しいんだよ」 「今だってそんな一緒にいないじゃん」  ソーセージを頬張りながら私が言う。我が家の晩ごはん登場率は、ソーセージが極めて高かった。私たち三人の中で、料理上手が一人もいないため似たような献立は日常茶飯事で、誰もが文句を言いながらも食べている。  私が高校に上がってからは、私も蒼生も部活や塾で夜遅いので、お惣菜やお弁当を買って帰ることが多くなっていたが。 「一緒にいなくてもさ、家に帰れば誰かがいるってうれしいものなんだよ。何か話したいときに、話せる人がいるって幸せなことなんだ」   しんみりすることを言うものだから、私も蒼生も無言で箸を進めた。 「二人で大丈夫か?」 「大丈夫でしょ」  高校生から寮に入っている友達もいたし、遠い高校に進学した子で寮でもなく、普通にアパートで一人暮らしを始めた友達もいた。  大学受験でほとんど部屋にこもっていた私だが、今年は蒼生がそうなるだろう。二人とも自由気ままな性格で、勉強がなくても、部活や塾、習い事がないときは部屋にこもっていることがほとんどだった。 「お父さんは大丈夫じゃないのに」 「いい大人が何言ってんだよ」 「むかーしな、昔の話だけど、遠恋してる彼女に振られたことがあるんだ。振られてすごく悲しくてトラウマなんだよ」  知らんがな、と蒼生の顔が言っていたのがおかしくて笑いそうになった。 「離れててもお互い元気なら問題ないし、連絡もすぐ取り合えるじゃん。今っていい時代なんだから。それに、家族で振ったり振られたりはないんだからよくない?何の心配もいらないよ」 「何かあってもすぐに駆けつけられない」 「新幹線あるから大丈夫でしょ」 「え、そういう問題?」  蒼生の発言に父が悲しそうな声を漏らす。 「そういう問題じゃなかったら、どういう問題?」  蒼生が怪訝な顔をした。 「気持ち……」 「いや、すぐに駆けつけられないって言ったから、新幹線があるって答えただけだけど」  そりゃあそうだ、と私も頷く。父はなぜだかたいそう弱気になっていた。年齢のせいかもしれない。 「わかった、もうわかった。じゃあお父さんの引っ越しの時にみんなで広島に行こうな?観光しよう!」  これには私たち二人ともすぐに賛同した。 「それはいいよ。宮島行きたいな」 「うん、鹿見たいね。お好み焼きも食べたいし」 「お好み焼き食べたい!みんなへのお土産はやっぱもみじ饅頭がいいのかなあ。あ、お土産で思い出したけど、しゃもじがめっちゃ売られてるらしいよ」 「そうなの?」 「うん。友達が何でこんなにしゃもじが売られてるんだろう、って言ってたもん」  父親そっちのけで盛り上がる二人を見て、父はさらにへこんでいるようだった。 「ちょ、ちょっと待って。何で広島観光の話でそんなに盛り上げってるの。お父さんを広島まで送るっていう、ちゃんとした目的があるんだからな?」 「わかってるよ」  私たち二人は同時に答えて半笑いした。何をそんなに不安がっているのだろうかと思うが、母を亡くした記憶はそう単純なものではないのかもしれない。  それは私も同じ気持ちだった。
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