intrusion

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 目が慣れる前のシルエット段階では、肩に触れる手前で跳ねている襟足が印象的に映った。自動改札機が切符を吐き出すのと同じ速度で、女の背格好や、徐々に見えてきた顔のパーツたちで頭の中を検索する。僕の知り合いに、該当者はいなかった。  そもそも僕は、一人でこの店に来たわけで。  じゃあ誰だよ、この女。 「真打、登場!」  マイクを通していないのに、鼓膜が破れそうなくらいの大声でそう叫んだ女の表情は晴れやかに笑っていたが、頬だけが10回くらいぶたれたみたいに真っ赤だった。無論、僕はこの女の前座として存在しているわけではない。  曲のイントロが流れる中、女はそのまま、ずかずかと部屋の真ん中まで攻め入ってきた。  アルコール臭に混ざって、微かに石鹸のような香りが鼻先に届いたかと思うと、女がテーブルの上に置いてあった僕のマイクをむしり取っていく。それを掴んだ右手の薬指には、シンプルなデザインだが、間違いなく「単なるアクセサリー」以外に何らかの意味を持つ、指輪が光っていた。  ぱきっとしたアイラインの引かれた女の両目が、画面に映し出された歌い出しの歌詞を追う。  そして、すぅ、と女が息を吸う音が聞こえた次の瞬間、僕は女の歌声にすべての集中力を奪われた。  僕の入れた曲はゴリゴリのバラード曲で、さっき部屋に押し入ってきた瞬間の女の声色とはまさに「水と油」だった。しかし女は歌い始めた途端、まるで違うトーンの声をして、尚且つしっかりとメロディを捉えながら、そこに歌詞をのせてゆく。  女の歌声は最後まで、握りつぶさんばかりに、僕の感情的な部分をがっちりと掴んで離してくれなかった。歌に限らず、よほどでなければこんな胸の高鳴りを感じることなどないと思っていただけに、僕は少し前まで目の前で泥酔していたはずのこの女が、また違う意味で「ただものではない」ということを全身で感じ取ることとなった。  歌い終わった女は、マイクをテーブルの上にぽいと放る。ガゴン、というノイズがスピーカーを通して増幅される。耳障りな音のせいで僕はわずかに表情を歪めたが、やはり未だ酔っている様子の女には何ひとつとして響いていないようだった。 「うぃー」  気持ちよさそうにサムズアップしながら、女はテーブルを回り込んで、僕のすぐ隣にすとんと腰を下ろす。ぶわっ、と酒の臭いがむせるくらいに漂ってきた。僕も酒を全く飲まないわけではないが、いったいどれだけ飲み干せば、ここまで酒臭くなれるのだろう。  そして声はさっきまでの愉快さ極まりないといったトーンに戻っており、先程まで僕の胸に冷たく心地よい温度で刺し入ってきた歌声とは、似ても似つかない。 「ねえ、あたしの歌、どうだった。どうだったんだよ、えぇ」  見ず知らずの人間のいる部屋に押し入り、一曲きれいに歌い上げてしまうこの女は、何がしたくて僕の部屋に来たのか。そもそもこれだけ酔っ払っているということは、この店のどこかに、女の連れか誰かがいるのではないか。  しかし、文節が切れるごとに顔と身体の距離を近づけてくる女に、僕はすっかり気圧(けお)されてしまっていた。  正直に言えば、女は僕の好みの顔立ちだ。それを遥かに上回る強気さは、何を原動力にしているのだろうか。
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