intrusion

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「お上手でした」 「あ? なによそれ、京都の俳句の先生みたいな回答しやがって、気に入らん」 「いや、本当ですって。あなたが誰かは存じませんけど、ぶぶ漬けでもどうどす……って追い出すよりも、聞き入ってしまったくらいに」  さりげなく「おまえ誰だよ」と言ってみせたのが効いたのか、女は急に肩の力を抜くと「ほぁー……」などと呆けた声をあげていた。僕の心のざわつきも一瞬少し落ち着いたが、この女が京都の女だったらどうしようかという別の心配事が顔を出してきたことに気づき、頼むからそれは杞憂(きゆう)であってくれと願った。  僕も女も言葉を発さず、数刻、テレビ画面から流れる最新配信曲の宣伝だけが部屋に響いた。現実を突きつけられたおかげで、女も少しは頭が冷えたのだろうか……と、僕はわずかに期待を寄せる。 「じゃあ次、きみね」  そんな思いは呆気なく打ち砕かれ、女はマイクとリモコンをわしづかみにすると、僕の胸元に、ずいと押し付けてきた。はっきりした目鼻立ちでつくられた表情は落ち着いているが、頬は相変わらず真っ赤なままだ。  あっけなく淡い期待を打ち砕かれた僕は大人しくそれらを受け取りつつ、さりげなく、ウーロン茶の入ったドリンクバーのカップを女のほうへずらした。とりあえず、少しでも酔いを醒ましてもらわないと、まともな会話のキャッチボールは期待できそうもない。  とはいえ。 「次って――」 「早く。10秒以内に予約しないと、強制的に『君が代』とか歌わせるから」  下手な選曲をするよりそのほうが安牌な気もしたが、それはそれで女の感情を荒立ててしまいそうだった。仕方なく、僕はさっき女が歌っていたものと同じ曲を予約入力する。  というか、さっきだって僕が歌う気でいたのに、女が勝手にフルコーラス全てを歌い上げてしまったのだ。それも、かなり酔っているはずなのに、僕よりもはるかに上手く。  よほどの腕前でない限り、誰かとカラオケに来ていたら相手が歌っている間は次に歌う曲のことしか考えていない僕だけれど、この女の歌には素直に聞き入ってしまった。  否、聞き惚れてしまった、と言うほうが適切だろう。だからこそ、できるならばこの女の前で歌など披露したくない。  お前の気持ちなど知ったことではないと言わんばかりに、イントロが流れ出した。  女は曲のタイトルが表示されたテレビ画面を、ニマニマしながら見つめている。ずっとこのイントロが続けばいいのに……と、これほど願ったことはなかった。  画面に歌い出しのテロップが表示されたことを認識して、腹を括った僕は、静かにマイクのスイッチを入れた。
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