intrusion

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 防音の壁をもってしても完全にはシャットアウトできない歌声が、微かに漏れ聞こえてくる。おそらく隣の部屋のものだろう。カラオケ楽しんでますかぁ、などとテレビ画面から気の抜けた声で問いかけてくるのは最新ヒットチャートの常連歌手二人組。この人たちはもうカラオケで何を歌っても「すごい、自分の持ち歌みたい」と言われ続けるのだろうか。そんな風に言われ続けることがどれほど肩身の狭いことか、今の僕には分からない。  普段は自分の意見を言えず、ボリュームも小さくなりがちな僕でも唯一声を張れるのが、この狭い部屋の中だった。大学と家の往復ばかりしている日頃の鬱憤を「ふざけんな」とか「死ね」とか叫ぶのならこんな場所である必要はないけれど、その抑えきれない憤懣をプロ達が創った楽曲と歌詞に変換して表現すると、こんなにも気持ちがいいものだとは思わなかった。  初めて勇気を出して「一人カラオケ」にチャレンジした日は、思わず感動して二度も時間を延長したほどだった。今では勇気どころか遠慮すらなくなってきた。今日はどうしても衝動を抑えられなくて、すっかり夜が深くなってからカラオケにやってきた。夜料金は昼料金より高いが、こういう時にケチっても仕方がないので、痛くも痒くもない……という顔をしながら入店した。  そうして歌い始めてから、あっという間に一時間が経っていることに気づく。どんなにふざけていたり、陰鬱な曲でも、何回入れ直したって誰にも文句を言われないこの空間が、いつもながら実に素晴らしい。特に歌の途中に台詞とか英語のパートがある曲など、他人と行く時には相当な酩酊状態でなければ入れられないし、いかんせん僕の好きな曲にはそういった内容のものが多いのだった。  バタン。  ノックもなく、急に部屋のドアが開け放たれたのは、僕が直前に歌った曲をもう一度予約送信した瞬間だった。僕は歌う時にはいつも部屋の照明を落としているから、開いたドアのところから、膨大な光が流れ込んでくる。  まるでその闖入(ちんにゅう)者から後光が差しているようだったが、見たところちゃんと自分の脚で立っているし、服装からいって、カラオケ屋の店員でもなかった。  僕と同年代か、少し上くらいの歳に見える、女だ。
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