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灰色のデスクの上にパソコンが一つ。
壁にはスチールの小さな本棚があり、窓を半分ほど遮り昼間でも薄暗い。
物理学だの、数学だのといった難しい本が床に無造作に積み重ねられていた。
「先生、礒見 先生」
入口のドアを開けた男が、モニタを食い入るように凝視する女を呼んだ。
だが、声が聞き取れなかったのかキーボードをシャカシャカと打つ音がまた響く。
仕方がないので部屋に入った男は、女の前に掌を差し出して遮った。
ギロリと睨む女の形相に、思わずたじろいだ男が、
「先生が悪いのですよ。
さっきからお呼びしているのに、答えていただけないから」
「で、何か用か。
私が暇そうに見えるのか。
無駄にする時間など一分たりとも持ち合わせていない」
「今度の学会はいかがなさいますか」
「お前が行って適当に発表してこい」
ふんと鼻を鳴らしてモニタに視線を戻した。
「一度くらい顔を出してください。
僕が怒られてしまいます」
「お前の仕事だ。
私はとにかく行かない」
男が缶コーヒーを書類の隙間に置くと、傍らのスツールに腰かけた。
深く息を吸い、ため息を一つ吐くと床に落ちる窓の光に視線を落とした。
「太陽の公転速度と、星の動きを比べるとどちらが速いと思う」
礒見 かおりは、無駄な脂肪の一切を削ぎ落したような尖った顎をしゃくり、窓を指した。
男は逡巡した。
彼女の問いには、いつも深い意図がある。
床に映った四角い光は、ほとんど分からないほどゆっくり動いているはずだ。
印をつけて、30分ほど経ってからもう一度見ると動きを認知できるだろう。
「太陽の方が速いのではないでしょうか」
迷いながらも言い切った男に、ふんと鼻を鳴らして彼女が言った。
「答えは、どちらも動いていない、だ。
一般相対性理論も知らないのか」
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