姉貴に俺が自転車乗れないことを馬鹿にされた! 見返したい!

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姉貴に俺が自転車乗れないことを馬鹿にされた! 見返したい!

 ゆっくりゆっくりペダルを回し、燈次(とうじ)は住宅街を走っていく。ふらついているが、転倒せずに走れている。 「やっと俺も自転車に乗れるようになってきたな」  燈次は鼻歌を歌いだした。  だが曲がり角に差しかかり、燈次はバランスを保てなくなった。 「うわっ!」  倒れそうになり、燈次はやむなく自転車を降りる。転ばなかったが、缶はかごから転がりおちた。 「ジュース落ちたよ、ボウヤ」  通行人の中年女性が缶を拾って手渡す。燈次がお礼を言うと、中年女性は微笑ましそうに目を細めた。 「怪我ない? それはよかった。自転車の練習、偉いね。ボウヤは何年生かな」  燈次がにこっと笑うと、中年女性は満足そうに帰っていった。  その後で燈次は缶のラベルを見る。目立つ位置に「お酒」のマークがあった。 「俺は酒も買える年齢なんだがな」  童顔で背が低い燈次は、よく子どもと間違えられる。  燈次が自転車にまたがり直したとき、また声をかけられた。 「ボウヤ、こっちも落としているわよ」 「ありが……げっ!」  缶を手渡してくれた相手の顔を見ると、燈次は顔をしかめた。 「何でここに姉貴が」  そこにいたのは燈次の2歳上の姉、琳華(りんか)だった。彼女はぐっと胸を反らし、あごを高く上げる。 「見てたわよ、燈次。あんた、自転車に全然乗れないのね」 「見間違いだ。俺は完璧に自転車を乗りこなせる」 「嘘がお上手ですこと」  琳華はおほほ、と高飛車に笑った。琳華は隙あらば燈次を馬鹿にしてくる性格だ。 「自転車に乗れない大人は案外多いんだぞ。安易に軽んじるのはいかがなものか」 「安心して。あたしが馬鹿にしてるのは燈次ひとりだから」  燈次もヒートアップして応戦する。 「俺は超絶上手く乗れるがな。ウィリーだって得意だし。めちゃくちゃヤバいコースも誰より速くゴールできるぞ」 「どうかしら」 「そうだ、明日俺とレースでもしようじゃないか。俺のハイパーテクをご覧にいれよう」  琳華は自分の髪をパサッと払い、燈次に顔をうんと近づけた。 「手加減しないわよ」 「こちらのセリフだ」 「勝てるとでも? あんたが、あたしに? 後で大泣きしても知らないからね。おーほほほ!」  琳華はすでに勝ったとばかりに高笑いをし、去っていった。 「うわ――――ん!」  帰宅後、燈次は声を上げて泣いた。 「姉貴の馬鹿。こっちがせっかく、自転車乗れて喜んでたのに。水を差さなくてもいいじゃないか」  燈次はぐすぐすと鼻をすすり、自転車にまたがる。 「今日ひと晩で完璧に乗りこなしてやる。明日、後悔するのは姉貴のほうだ」  しかし燈次の車輪はフラフラしている。転びはしないが非常に遅い。野良猫が行って帰ってくるほうが早いくらいだ。  燈次が特に苦手なのは曲がり角。  途中で止まってしまったり、転びそうになって自転車を降りることになったり、なかなか成功しない。  燈次が悔し涙を拭いていると、人影が近寄ってきた。姉がまた馬鹿にしにきたかと思ったが、来たのは優しそうな雰囲気の女性。 「どうした、さと」 「燈次(とうじ)さまこそ、夜遅くに何を?」  彼女が首をかしげると、彼女のメイド服のフリルがふわっと揺れる。  燈次は金持ち男。さとは彼に仕えるメイドだ。 「なあ、さと」 「はい」 「自転車ってどうやったら乗れるかな?」  燈次が呟くと、さとは不思議そうに彼を見つめた。 「自転車に乗れない? 何のお話ですか?」  無垢な表情を浮かべるさとに対し、燈次は見栄を張った。 「あ、別に。俺はめちゃくちゃ乗れるけど、乗れない人も多いなって話。金持ちとか特に」 「ほえ?」 「俺はとても上手に乗れるのだが、後学として聞かせてもらおう、曲がり角ってどうしたら曲がれるんだ?」 「曲がると、曲がれます」 「さとはいつ自転車に乗れるようになった?」 「小学生のときです」 「どうやって覚えた?」 「私も苦労したんですけど、ワッてしたら乗れるなって思ったら、乗れるようになりました」 「……参考にした本とか、あった?」 「自転車が出てくる絵本を読みましたよ。その本、絵が好きなので実家から持ってきてるんですよ」  そう言ってさとは一度屋敷に戻り、本を1冊抱えて戻って来た。  さとは絵本を音読する。 「ある日、ネズミさんはお母さんに自転車を買ってもらいました。でもネズミさんは上手く自転車に乗れません。……」  燈次は通行の邪魔にならない場所で自転車のスタンドを立て、彼女の声に聞き耳を立てる。 「……ネズミさんはイヌさんに言われたとおりにしてみました。すると、今度は曲がり角で転びませんでした。ネズミさんは大喜びです。『本当だ。下を向かないで、自分が行きたいほうに顔を向けて走ると、転ばない!』」  燈次はほう、と感心の声を出した。  さとは絵本を読みつづける。 「そして、ネズミさんはニコッと笑っていいました。『ぼくはさっきまで、転んだら嫌だってことばかり考えてた。でもね、ネコさんと一緒に自転車でお散歩するところを思いうかべたら、不思議と怖くなくなったんだ』」  燈次は自分が、琳華と一緒にサイクリングをするところを想像した。想像の中のふたりは笑顔を交わしている。  燈次の口元が思わず緩んだ。 「いい絵本だな」 「はい」  燈次は自転車にまたがり、漕ぎだした。今度は曲がり角もスムーズに進めた。 「さとのお陰で肩の力が抜けたよ。明日はいい日になりそうだ」  翌日――。  燈次は自分が指定した場所に辿りつく。  その場所は山の頂上。そこから下に向かって坂道が続いていく。  ここはいわゆる「つづら折り」だ。坂道はジグザグに配置され、急な角度の「角」がいくつも存在する。  よくぞこんな場所を指定した、と燈次は改めて思った。  とはいえ、燈次の心は晴れやかだ。 「姉貴も人間。初心者の俺に配慮をして、うんと手加減をしてくれるだろう」  今日は楽しいサイクリングになる。そのつもりだった。  が……。  到着した琳華を見て、燈次はあんぐりと口を開けた。 「何だ姉貴、その姿は!」  燈次の自転車はいわゆるママチャリ。それに対し、琳華が乗っていたのは本格的な競技用自転車だった。  自転車用の靴。ウェア。グローブ。その他もろもろ一式が揃っている。琳華はプロテインバーをかじりながら言った。 「誰がママチャリで勝負するなんて言った?」 「人情がないのか」 「あたし、ネズミを退治するのにバズーカ砲を用意する性格だから」  琳華は得意の高笑いを披露する。燈次は、少しでも姉を信用した自分を馬鹿だと思った。 「まあいい、勝負は勝負だ」 「始めましょう。燈次が大泣きする準備を終えたら」  燈次はレースの前に水分補給をしようと思った。燈次は少し離れた場所に置いた荷物のほうへ行く。  ところが。 「俺の荷物がない!」 「しょうもない時間稼ぎね」 「違う、本当にないんだ」  燈次はきょろきょろと見回す。落としたのかと考えて下の坂を見る。すると、一台の原付バイクが目に留まった。バイクは斜面の中腹あたりの坂を走っている。 「あのバイクが持っているリュックサック。あの特徴的な色は、絶対に俺のバッグだ!」 「盗まれたのね」 「畜生、もうあんなところに!」  燈次は追いかけようとして自転車にまたがる。しかし、彼の運転技術ではとうてい原付に追いつけない。  琳華はフンと鼻を鳴らし、スポーツ用のサングラスをかけた。 「あんたはそこで待ってなさい」  琳華は競技用自転車のペダルを踏みこんだ。見る見るうちに加速し、光のような速さで坂を下っていく。  急角度の曲がり角もお手の物。恐ろしいほどの正確さで、速度を落とさずコーナリングを決める。  鮮やかな技術に、燈次は思わず声を漏らした。 「プロのレーサーかよ……」  それだけでは飽きたらず、彼女は道を無視しはじめた。  前述の通り、ここはつづら折りの坂道。曲がりくねった1本の坂道が、いくつも重なるような形で、上から下へ伸びているのだ。伸びきったバネを、なぞるように下るイメージだ。  しかし彼女は、しっかりと舗装された道を、律儀に下るのが面倒になったらしい。  上の道と下の道の間に隔たる、舗装されていない斜面を、彼女はダイナミックなジャンプで乗りこえた。 「ヒャッホ――!」  そんな声が、離れた位置にいる燈次にも聞こえた。  燈次は燈次で、黙って見ているつもりはなかった。自転車は頂上に置いておき、えっちらおっちら、自分の足で下りていく。到底追いつけるはずはなかったが、黙って待つ性格ではない。  しかし時間がかかる。だから燈次も琳華のように、上下の道の間にある斜面を移動することにした。ジグザグの坂道を行くより、未舗装でも真っすぐ下ったほうが少しは速いだろう、と考えた。  未舗装の斜面は草木が生い茂っている。あまり進みやすい道ではない。どうしようか、と思っていると、燈次は葉っぱで足を滑らせた。 「うわっ……わーっ!」  燈次は斜面をゴロゴロと転がりおちていく。木の枝のしなりで身体がバウンドし、次の木に着地する。と思ったら、その木の枝にも同じように弾きとばされる。  そんなふうにしながら、燈次はものすごい速さで下っていった。  坂の下では琳華が盗っ人のリュックサックの紐を掴んでいる。ふたりは揉みあいになっていた。  燈次の落下地点は、このままだとふたりが立っている場所になりそうだ。  この状況は活かすべき。そう思った燈次は、琳華に向かって叫んだ。 「姉貴、避けろ――っ!」  琳華がリュックサックを離し、後退する。  燈次は落下の勢いを保ったまま、盗っ人に体当たりをした。  盗っ人の身体がクッション代わりになり、燈次は怪我することなく着地した。盗っ人は身体を痛めたらしく、地面でバタバタしていた。  燈次はリュックサックを取りもどした。中身を確認しても、盗られた物はなさそうだ。  燈次は琳華と目をあわせる。  琳華は顔の土ぼこりを手の甲で拭いながら、ニッと勇ましく笑う。燈次も歯を見せて笑いかえす。  ふたりは黙ってハイタッチを交わした。  ふたりは山の頂上へ戻っていった。琳華は自転車を押し、燈次と同じ歩調で歩いてくれた。ふたりは雑談をしながら長い道をゆっくり上がっていく。  燈次は「姉貴とこんなにも打ち解けて話したのはいつぶりだろう」と思った。何てことない話をしているのに、胸の奥が妙にワクワクした。  頂上に着き、燈次は自分のママチャリにまたがる。  自分の自転車を眺めながら、燈次は感慨深い気持ちになっていた。 「ママチャリと競技用自転車。種類は違えど、どちらも自転車だ。通じるものがあるに違いない」  ふたりは改めて、レースをすることに決まっていた。  だが……。今度は見栄やマウントのためではない。もっと仲よくなるためにやるのだ。  勝ち負けが重要なのではない。お互いを知るために。そのために一緒の道を走るのだ。  琳華の準備が終わったようで、ふたり分の車輪が一直線に並ぶ。  燈次はグリップを握りなおす。  琳華もブォォン、とエンジン音をふかす。 「さあ、楽しい自転車交流会の始まりだ――」  そこでふと、燈次は疑問に思った。 「おや? 今、隣からエンジン音がしたような」  いやいや、と燈次は首を左右に振る。聞き間違いに違いない。  しかしまたブォォン、とエンジン音。もしやと思って燈次は隣を見る。 「あ、姉貴……何で大型バイクに乗ってるんだ!」 「悪い?」 「自転車レースじゃなかったのか」 「誰がいつそんなこと言った?」 「せめて自転車同士にしないか。そっちのが親睦を深められると思わんか」  琳華はハッと嘲笑した。 「親睦? 怠けたこと言うわね。これは勝負よ。どっちが格上か、思いしらせるのが目的でしょう」 「最初はそうだったが。でもさっき、心を交わしたじゃないか」 「それはそれ」 「可愛い弟に手加減してあげようとは思わんのか」 「あたし、蚊を潰すのにガ○ダムを用意するタイプなの」 「機動戦士をっ?」 「喋ってないで、さっさと勝負といきましょう!」  そして琳華はエンジンをふかし、颯爽と坂道を駆けていく。 「ヒャッホ――――!」  燈次は、スタート地点でメソメソ泣いていた。
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