第二章 その二

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「来たって、どこから来た」 「…廃墟のような街から。地上から落ちて、気づいたらここに」  どこか身体が痛むのか、苦しそうにぼそぼそと声を出す正体不明な男の言葉、その内容にノスリは不信感しか抱けない。そんなはずある訳ない。 「地上から来ただと?地上はケガレだらけだろ。そんな場所でお前はどうやって生きてきたんだ?」  ノスリの世代の者は、地上は(けが)れた世界だと習ってきた。人が住める空間ではない、特にこの地下都市で生まれた者は、地上では生活をするどころか存在することすらできないと教え込まれてきた。実際、地上との行き来はなく、そういった世界だと信じて疑わなかった。でも、この男は地上から来たと言う。もしそれが本当なら、地上は人が住める世界ということなのか?もしかしたら地底生まれの自分たちでも……ノスリの脳裏に空想にも似た思考が駆け巡った。  この地下都市の周囲は発光石と呼ばれる自然発光する岩石の層に囲まれている。大量のエネルギーを含有するその発光石からエネルギーを抽出し、効率的に発電可能な設備を開発して以降、この地下世界の電力はほぼ不足する心配がなくなった。昼夜問わず求めれば、どこでも明かりに照らされた生活が送れた。しかし、しょせんは人工の灯り。陽光とは違い、あくまで表面的な明かり。陽光は身体の芯に達し高揚を呼ぶ。しかしただ明るいだけの灯りでは気分は晴れず、かつて陽光を浴びた経験のある人々は、次第にそれを憧憬(しょうけい)するようになっていた。しかし地上は人が生きてはいけない世界だから、そう思って諦めていた。  また地下空間のみでは、いくら技術を駆使しようと耕地に制限がある分、どうしても慢性的な食糧不足に陥ってしまう。多種多様なメニューを作る技術があってもその食材が不足すれば制限をかけざるを得ない状況になってしまう。  そんな諸々の渇望や不安によって、この地下都市の住民の間では、地上世界に憧憬を向ける傾向がここ最近、流行り出していた。  ノスリの胸に好奇心がムクムクと顔を出していた。彼も、世間の時流に合わせた訳ではないが、この閉塞感漂う地下都市を抜けて、地上を見てみたいと、密かに思っている一人だった。  もしこの男が本当に地上から来たのだとしたら、もしこの気分的に息苦しい地下世界に住む住民が地上に行くことが可能なのだとしたら……  ノスリは自分が歴史的に重要な状況に立ち会っているように思えて、身震いした。もしかしたら、この男は過ぎるほどに慎重に扱う必要があるのかも。 「救援部隊が来たようです」  後方で周囲を警戒していた隊員の声。確かに辺りが騒がしくなっていた。  ノスリは一瞬、固まった。  この地下世界の行政府は、多岐に渡り情報操作を行っていた。  この狭い社会で無制限に、偽の情報や偏った情報が横行すれば、すぐに社会的ヒステリック状態を引き起こしかねない。だから公的機関がある程度、情報操作を行うことは、治安を維持するために必要不可欠であると、誰もが大っぴらには言わないが納得し、黙認していた。  この男が上官の手に渡れば、いずれ行政府に引き渡されることになるだろう。行政府にこの男を引き渡せば、その身の処遇は首脳部の判断するところとなる。その場合、存在自体をなかったことにされる可能性も否定できない。しかし引き渡す以外のいい案も浮かばない。ノスリはタカシの目をじっと見た。タカシもノスリの目を(まばた)きもせず見つめていた。  四十人もの武装した治安部隊員が、靴音を響かせながらホール内に雪崩込(なだれこ)んできた。みなHKIー500を装備している。ノスリたちの周りを幾重にも取り囲む。後方から上官らしき男が彼らの方に近づいてきた。 「状況を報告しろ」  ウトウか、その声を聞いてすぐにノスリは察知した。ノスリの班が所属する分隊の長を務める男だった。小柄で右目の下に鼻横から耳にかけて目立つ傷がある。誰に対しても公平だが、職務に忠実で、自分の正義にそぐわない言動には厳しい態度を取る男だった。ノスリはすぐに、男をウトウに引き渡す以外に手立てはないことを察した。 「この場でこの男を確保、拘束いたしました。尋問したところ、この男は地上から来たと言っております」  敬礼しながらウトウに言った。ウトウは、ほぅ、という顔つきをして、血にまみれたタカシの顔に鋭い視線を向けた。見上げるタカシの視線と重なった。この目はどこかで……ウトウがそう思った瞬間、頭上から、足元から、前後左右から、ごおおぉぉぉ、という重厚すぎる響きが耳朶(じだ)に襲い掛かってきた。
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