第二章 その三

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第二章 その三

 治安本部は、普段は警備の中枢施設として存在し、何らかの変事があった場合にはその対策のための活動拠点になる位置づけの建物だった。この地下都市では何を差し置いても白い塔を守ることが優先されたので、自然と塔に一番近いこの場所に設置されていた。  治安本部は、外見とは違って、最先端の建築技術を駆使して建てられており、どんな状況でも崩壊を(まぬが)れる作りになっていた。だからその点の心配はなかったが、屋内に設置してある機器がいたる所からいたる所へ飛び回り、屋内にいる者たちは皆、それから身を守ることで精一杯だった。ただこれだけの揺れだったにも関わらず、モニターや集積回路などの固定された機器は無傷で、そのまま稼働を続けていた。  何度か照明が切れたが、その都度(つど)すぐに予備電源に切り替わって復旧した。果てしなく続く強い揺れの中で、誰しもが、いつまで続くのか、と不安を抱えながら、その末尾を待っていた。やがて人々の願いが極まった頃、揺れがやんだ。   イカルは揺れの終息とともに、すぐ横にいるツグミを見た。放心状態といった様子で座り込んでいたが、どうやらケガもなく無事なようだ。続けてモニターを見上げた。周囲にいる者たちも、外の状況を確認するために、双眸(そうぼう)をモニターに向けた。主要地点の状況を映している三十ばかりのモニターはすべて無傷だったが、その半数以上がカメラが壊れているのか、照明が消えているのか、砂煙が漂っているためなのか至極視界が不明瞭だった。それはノスリたちのいるB3区画地上連絡通路入口ホールの画像も同じだった。人の存在の有無さえ分からない。 「速やかに被害状況を報告せよ」  モズが部屋の奥に向かって声を上げた。その声をきっかけに次々に被害状況が屋内に響く。 「C3区画で天井が崩落。死傷者不明」 「D1区画でエレベーター停止。二名内部に取り残されています」 「B5区画でビル倒壊。死傷者不明」  後から後から被害状況がもたらされた。それは時間が経過するほど数を増し、もはや誰もがそのすべてを把握できなくなっていった。 「各地区の警備班を至急現場に向かわせろ。各地区詰め所に地区毎の被害状況を知らせておけ。被害の大きな現場から急行することはもちろんだが、どこから手をつけるかは現場指揮官に一任する」  モズが指示を出している間にも報告は続いた。確認しなくてもこの都市はじまって以来の大惨事だろうことは明白だった。イカルは塔を映し出しているモニターを確認した。最上部中央のモニター、そこには普段と変わらぬ白い塔の姿。それは少しも揺るぎなく見えた。イカルはホッと安堵した。 「B2区画の様子が変だぞ!」  誰かが叫んだ。みんながそのモニターを注視する。  B2区画は、この地下都市で一番建物が密集しているシティと呼ばれる一つの街で、ほぼその全域が構成されている。シティには、商業施設や裕福な者たちの家屋、各種の集会施設、オフィス街などがひしめき合い、その中心部分には天井に届きそうなほど背を伸ばしたビル群が(そび)え立っていた。  そんな街に天井から小さな固まりがパラパラと落ちている。もちろん小さいと言っても画面上に映るくらいなので、実際はかなりの大きさだった。そして画面は微かに、小刻みに揺れていた。  誰もが次第に成長していく悪い予感を抱えながらその画像を眺めている間に、彼らの足元にも振動が伝わってきた。それは次第に強くなっていく。 「オイッ、何か、やばいぞ」誰かがまた叫んだ。  B2区画を映した画像の上側、天井部分に動きがあった。大きなひび割れが走り、徐々にその一部の岩石が重力に抗うことを諦めたかのように他から分離して下がってきていた。そしてある瞬間、糸が切れたかのように、その巨大な岩は重力に身を任せて、街の上に落下した。  ビル群があまりにも脆く崩れ、粉砕された。  地上にあった生命や生活や仕事やそんな種々雑多な物事すべてが一瞬にして破砕された。凄まじい衝撃音、それに続いて直接、岩石に当たらず無傷だった建造物をも巻き込みながら、衝撃波が瞬間的に、地面を広がっていった。  治安本部にもその衝撃波はすぐに到達した。  先ほどの地震よりも強い縦揺れに、屋内にいたすべての者が床に倒れた。固定されていないあらゆる機器が、重量関係なく再度空中に飛んだ。  また一瞬、照明が消えてすぐに復旧した。イカルはすぐに塔の様子をモニターで確認した。何の変化もない。しかし、その下にあるB2区画の画像は先ほどとは同じ街を映しているようには、とうてい思えない有様だった。  巨大な砂煙の固まりが街の下半分を(おお)っていた。それでも建物がすっかりなくなっていることは想像できた。遠目にも廃墟(はいきょ)と化した、瓦礫(がれき)の集積地としか見えない街のなれの果てが、恐らくそこには存在している。更に今しがたの崩落を引き金にして大小様々な形の岩が頭上から街に向かって落下していた。  その様子を見ている者たちは皆、この世の終わりを見せつけられている気分になっているか、あまりに現実離れした事象に実感を得られないでいるかのどちらかだった。  その部屋にいた誰もが我を忘れてモニターに見入っていた。モズはすぐさま立ち上がり各人の勤めを、今、何をすべきかを思い出させるために次々に指令を発した。 「工作輸送分隊長に連絡して、残っている隊員のすべてをB2区画に至急向かわせろ」 「各救急病院に連絡。負傷者の受け入れ態勢を整えるように要請しろ」 「セントラルホールの被害状況を報告せよ。被災していない箇所を住民の避難場所とする。毛布、飲食物他、ホールセンターに連絡して準備をさせろ。緊急時のための備蓄品をすべて吐き出させろ」 「近衛委員に連絡して塔内部の被災状況を確認。必要ならば隊員を派遣する。要請を待つ、と伝えろ」 「たった今からB2区画を第一種立ち入り禁止地域に指定する。区画に通ずる通路を全て封鎖しろ。トビ班、シメ班タゲリ班とともにB2区画に向かい、住民の避難誘導任務につけ」  了解、敬礼をしつつトビはすぐさま班員のもとに駆けていった。 「隊長、我々は」  横からイカルが訊いた。モズは一瞥(いちべつ)を投げ掛けるとすぐさま言った。 「お前たちはここで待機だ」 「しかし……」 「塔内部から隊員派遣の要請があるかもしれん。そのために待機しておけ」  有無を言わせぬ口調だった。イカルはぐっと言葉を呑み込んだが、こんな状況で何もすることがないのは耐え切れない思いだった。  上着の背中側の(すそ)を掴まれている感覚がした。振り返らなくてもツグミが掴んでいるのが分かる。これは不安を感じるといつも彼女が取る行動。そして彼が危険と思われる場所に行こうとした時にも取る行動だった。  塔からの要請は一向にこなかった。塔が堅固に作られていることは誰でも知っている。この治安本部にも増して。要請なんかくるはずがない、イカルは思った。
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