第二章 混迷の中

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「班長」  ノスリが声のした方を向くと、キビタキというノスリほどではないが背が高く筋骨たくましい体躯(たいく)の班員が通路入り口近くで、ケガレに攻撃を加えながら声を張り上げていた。先ほど退却路の確保を指示された班員の一人だった。 「出口の扉が開きません。ロックされています」  キビタキの早口な口調が否が応でも緊張感を更に高めた。 「どういうことだ、なぜ開かない」 「恐らく、この地域にA級厳戒警備態勢が()かれています」  そういうことか、ノスリは合点がいった。  A級警備態勢はこの国の最上級の厳戒態勢だった。そしてそれはケガレの発生が感知された時点で、有無を言わさず自動で発動されることになっていた。  その警備態勢が布かれた地域は、他の地域とは隔絶される。扉も閉め切りになる。いっさいのケガレが消滅するまで、一片の欠片も感知されなくなるまで、それは続くことになっていた。ノスリは背筋が寒くなった。  この警備態勢を解除してもらわないと確実に、俺たちは全滅する。  こんな所で、こんなに突然に自らの死を濃厚な予感として意識することになろうとは。冗談じゃない、ノスリは左手首の通信器に触れた。 「本部、本部!応答願います。こちらウトウ分隊ノスリ班々長ノスリ。応答願います」 「無駄です。電波障害が発生しています」キビタキはすでに通信を試したのだろう、冷静にそう言った。 「くそっ」ノスリは吐き捨てるように言った。 「とりあえず何とかして通路に向かおう。ここは広すぎて守りが多方面になって、こっちに不利だ」ミサゴがエネルギー弾を放ちながら言った。 「よし、他の奴らの撤退支援しながら後退するぞ、持ちこたえろ」  近くにいる班員がみな、オッシャとか、ハイッとか、オリャーとか口々に叫んで応えた。逃げ道が閉ざされ、弾は残り少なく、勝機の見出せないこの状況ではそうしないと自分を保っていられなかった。  もはや残りの弾数も考えずにエネルギー弾を放ちながら、兵士たちは、ただ出口を目指して足を運んだ。すぐ横で仲間が黒犬に噛みつかれても、黒衣の者に身体を乗っ取られても、とにかく出口を目指すことだけを志向した。 「おいっ!この輪っかを外してくれ。このままだったらお前たちみんな死ぬぞ。俺が喰い止める。その間にお前たち逃げるんだ。だから早く外してくれ」  タカシが、立ち上がろうと身体を動かすと拘束帯が締まって身体に喰い込む。両上腕と胸を締め付けられて動けなくなる、息苦しくなる。  ここにいる誰もが初めて会った人たちだった。それでも放っておく気にはなれない。  彼らはごく簡単に傷つき、あっけなく死んでいった。今までの生活も、思い出も、積み重ねた記憶も、未来への希望も、誰かと育んできた愛情も、大切な人たちへの思いも、何もなかったかのようにこの世から消滅していった。  この人たちの喪失は、けっしてこの世界に良い結果をもたらしたりしないはず。そもそもこの人たちがこの世界そのものなんじゃないか?俺はこの人たちを守らないといけないんじゃないか?タカシはそう思うより、そう感じていた。 「おいっ!早くこの輪っかを外せよ」すぐ横で震える手でHKIー500を構えながらホールを呆然と眺めている兵士に言った。 「バカ言うな。そんな事できるわけないだろう。そもそもそいつを締めた奴が認証するか、認証番号を入力するか、本部のシステムから解除しないと外せねえよ」  くそ、と吐き出すように言いながら、タカシはなるべく締めつけられないように、ゆっくりとではあったが、何とか立ち上がろうと身体を動かした。 「おい、動くな」横の兵士が言った。  しかし現状では、その兵士が大して自分には興味がないだろうことを察して、彼はあえてその言葉を無視した。  手を使わず何とか立ち上がった。そしてゆっくりホールを目指して歩を進めた。横にいた兵士の声が聞こえた気がしたが、更に無視した。 「撤退しろ!出口を目指せ!走れ!」  さっき自分の襟首(えりくび)を掴んでここまで引きずってきた男の声が、騒音の中、わずかに聞こえた。  ホール内での叫び声、呻き声、何かが崩れる音、落下して床に当たる音、爆発音、黒い霧の中で様々な音が錯綜(さくそう)していた。その喧噪(けんそう)に向かって、彼は歩を進めた。  彼が、ホールに向かって進む間に、廊下に線を描きながら黒い霧の塊が流れ込んできた。音もなく黒い円盤が彼らに向かって飛んできた、と思う間にその塊が破裂した。彼の横にいた兵66士が発射したエネルギー弾によるものだった。  その兵士は震えながらHKIー500を構えて、ホールの方向を目を見開いた状態で凝視していた。その兵士に向かってホールから、瞬間的に黒犬が駆けてきた。その兵士は抵抗する間もなく喉に噛みつかれた。ぐしゃりと喉が潰れる音がして鮮血が飛び散った。黒犬はその、すでに死亡しているだろう兵士の体内には侵入せずに、振り返って彼の姿を見た。その顔は、心なしか少し笑っているように見えた。  次の瞬間、黒犬が飛んだ。彼に向かって鋭い牙を見せつつ襲い掛かった。彼は思わず目を閉じ、顔を背け、身体をよじって避けようとした。痛みを予想して身構えた。しかし痛みは、身体を締め付ける拘束帯が更に締めつけた分しか感じられなかった。 「あなたは慎重や用心という言葉の意味を知らないのかしら」  聞いたことのある声が耳朶(じだ)に響いて、彼は目を開いて振り返った。
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