第二章 混迷の中

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 治安本部では、誰もが地上連絡通路入り口ホールの様子を映したモニターを眺めていた。  黒く煙り視界は悪いが、戦闘がはじまっていることは分かる。黒い円盤状の物体があちこちに飛び回っている。そこにいる兵士が各自HKIー500を構えて、その黒い物体を狙って撃ち、破裂させている。何かがこの地下世界に侵入して戦闘が生じている。  そんな中、モズだけはしっかりとその円盤状の物体がケガレであることを認めていた。目を見開き、身体を小刻みに震わせながらモニターの中の場景を眺めていた。  モズの脳裏に鮮明なる過去の記憶が蘇ってきた。それは普段、無意識に目を背けている記憶。ただ何かの拍子に思い出すと、その度に意思の力で情動を抑制しなくてはならなくなる、そんな記憶だった。  ――――――――――  それはこの世界の住民が皆、地下へと(もぐ)る前の記憶。  治安は決して良いとは言えない地上世界だった。普通に窃盗や詐欺や恐喝なんてことが起きる社会だった。でも、そんな中でも皆、何とか暮らしていた。自分と家族の生活を営んでいた。  それが、ある日、突然吹いた一陣の風に壊滅させられた。  その風によってそこに生きていた人々の半数がいなくなった。ある日突然、その存在が消滅した。誰にもそれを止める手立てはなく、悲しむ余裕さえなく、愛する人、親しい人をほぼ瞬間的に失った。  それまでは、いくら治安が悪くても人が死ぬことはあまりない世界だった。人々は裕福ではなくても親しい人々とともに生きていること、それを当然だと思っていた。しかしその日、すべては(くつがえ)された。  風が吹いた日から、街中にケガレがうろついた。その黒い円盤状のケガレは、人を見つけると有無を言わさずに狩った。静かに、そして確実に。  モズとウトウはその時、二人とも班長として自らの班員を率いて、街の外周警備に当たっていた。そのため風の襲来には遭わずに済んだ。しかしその後、街に戻ってから数えきれないほどの人の死を()の当たりにした。  モズは、人々の避難を誘導しながら、自分の家族の安否が気になってしょうがなかった。  モズには妻と二人の息子がいた。長男のクグイは彼と同じく治安部隊員になっており、その時はウトウの班に編入されていたので生存を確認できた。しかしその他の家族は安否不明だった。  家族の安否を確かめに行きたかった。しかしそんな余裕は毛の先ほども彼らには与えられていなかった。  さっきまで横にいた人が急に存在を消した。さっき話をした兵士が苦悶の表情だけを残し、この世から消えた。死が限りなく身近に感じられた。  相手が何者なのかも分からず、有効な武器もなく、ただ見つからないように身を隠すばかりの日々、自分の無力さを思い知らされる日々、死がひたすらに蔓延(まんえん)していく。  街の東側にあるビルの地下に人々を誘導して身を隠した。いつ見つかるかも分からない。無闇に外部に出ることもできず、水や食料の調達もままならず、誰もが今後への不安と死への恐怖に(さいな)まれ、神経をすり減らしていった。  そのビルの地下に通じる道は、二つの階段とエレベーターとエスカレーターだけだった。ビル全体の電力が止まっているためにエレベーターとエスカレーターは使えない。モズたちは階段出入り口部分の非常扉を手動で閉鎖してケガレの侵入を阻止した。  その地下空間には最初、二十数名の人々が避難していた。  それから少人数ずつ、偵察を担当した兵士が、隠れていたり、行く当てもなくさまよっていた人々を連れ帰ってきた。やがて地下室の避難民は五十名ほどになった。そのうち兵士は十二名。モズの班、ウトウの班の生き残りがそれぞれ五名と四名、他は壊滅した班から合流した三名だった。  彼らの潜伏先には中心部分に広い空間があり、その両側についこの間まで営業していた店舗が並んでいた。大半が飲食店だった。  食料も水も計画的に配分すればまだしばらくはもつ。だから今、無理をして兵士の数を減らすべきではない、しきりに偵察に行きたがるウトウをモズはそう説得した。いずれこの場所を放棄しなければならない事態が発生するかもしれない、他にもっと良い隠れ場所が見つかるかもしれない、その時のために兵士は温存するべきだ。今、無駄死にさせるべきではない。  モズとウトウは同期入隊で身分は同じだった。しかし、どちらかが指揮を執らなければならない場合、指揮権はいつもモズに任命された。ウトウはそれを甘んじて受け入れていた。それは誰の目にも適材適所だったから。ウトウが一番その事を分かっていた。自分はあくまで前線にいるべきなのだ。後方で指揮を執るなんてもどかしくてしょうがない。自分が大部隊の指揮をしたら全滅しかねない。だから冷静に状況を判断できるモズの方が適任なのだ。  何日も暗い地下空間で身動きもとれずに隠れ(ひそ)む生活は、退屈以外の何ものでもなかった。だんだんと気も()えてきて物事をいい方向へ考えることが難しくなっていった。
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