その川を越えたずっと遠く

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 ある日の朝にも、みかるは六、七人の男子と輪になって話していた。  街では、男子も女子も苗字をさん呼びしあうのを義務づけられていたが、私的な場ではみなくだけた調子で呼びあう。みかるはさっそく、「みっつ」という呼び名をたまわっていた。  と、まとめ役である瞬くんが口を開いた。 「……てかさ、きのうアズンバがアッチジでベガったじゃん? あれゴゾいよね」 「そうそう! ゼン、ボ、ダモ、ジュサ!」  ゼン、ボ、ダモ、ジュサ! の部分でみんなはいっせいに同じ手ぶりをそえて唱え、げらげらと笑いが起こる。  みかるもいっしょになって笑いながら、じつは、一語としてなにが起きているのかわからない。知らないから教えて。そんなことを訊ける隙間も、一ミリもない。  ここ数日、ずっとこんな感じだ。みかるの家にはテレビやゲーム機があるが、それではカバーできないなんらかの情報が、彼らには撒かれているらしい。  なおも続くその話に軽く微笑して調子を合わせつつ、みかるは精神力を限界まで削って聴覚を研ぎ澄まし、用語を記憶しようと努めた。  瞬くんがぴたりと話をやめれば、みんなもぴたりと止まる。瞬くんの、まじりけのない微笑がみかるに向いた。 「そういやみっつ、パゲってブゴイだっけ?」  みかるも微笑しながら、困った顔をつくり、 「それおれもわからんかった」 「だよなあ! あれはむり」  瞬くんはのけぞって笑うと、顔を輪にもどす。みかるは胸をなでおろした。しらじらしくはなかっただろうか。だれかに、悟られていやしないだろうか。  時間が来て、輪はばらけた。けれど、その朝が終わっても毎度の五分休みがあったし、昼休みがあったし、放課後にも、翌日にも、一週間後も、彼らはアズンバやアッチジがベガる話をした。そのたび、みかるは白目を剥いて知ったかぶりを繰り返し、そうするごとに、正気の薄皮がむけていくのを感じながらも、抜け出すすべを知らなかった。  はやく、インターネットが必要だ。家にはまだ、両親のパソコンもスマホさえもない。学校から配られたタブレットはブロックがきつくて使えないし、それをかいくぐって得られる情報も役には立たない。  でも、もうすぐだ。  誕生日になったら、スマホを買ってもらえるのだから。  あと二ヶ月。たったの二ヶ月。
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