第5話 咲夜と吉田の思い出

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第5話 咲夜と吉田の思い出

 咲夜と吉田は酒を酌み交わしながら、過去の話に花を咲かせていた。 「俺、吉田と出会った時のこと、よく覚えてないなあ」 「0歳半の頃の記憶があったら、それこそ驚いてしまいますね」  吉田は愉快そうに笑う。  咲夜が物心ついたときには、既に吉田はそこにいた、という感覚だ。  自宅で自分の母親と一緒に会話している吉田の姿は、日常の光景だった。  8歳になるまでは、そこに父の姿もあったのだ。  吉田と父がビールに枝豆を食べて、一緒に並んでテレビで野球を見ていた光景が印象に残っている。  吉田は、他人なのに当たり前のようにそこにいた。  ――咲夜が8歳のとき、父が亡くなった。  趣味の海釣りに1人で出かけた時の、不幸な事故だった。  ベチャベチャに泣き腫らしてマトモな言葉も出てこない母の代わりに、吉田が死亡届や葬儀の手配など、手続きを全てこなしたのだ。  今にして思うと、ただのマネージャーにしてはサービスが手厚かったな、と思う。 「なあ、吉田ぁ」 「なんですか、咲夜」 「お前、俺の母ちゃんのこと好きだった?」  吉田はカクテルを噴き出しそうになった。  なんとか堪えたが、ゲホゲホとむせている。  咲夜はゲラゲラと爆笑しながら背中をさすってやった。 「な、何言ってるんですか君は」 「違うの?」 「そんなわけないでしょう。たしかにお母様はお美しい方ですが」  咲夜の顔立ちは母親似だった。  端正で目鼻立ちがくっきりしている。  男にしては大きめの、切れ長の目が女性ファンに人気であった。 「あーあ、吉田に真っ向から否定されちゃった。母ちゃんにチクッとこ」 「そういうの、揚げ足を取るというのですよ」  コホン、と咳払いをする吉田に、咲夜はまた笑う。 「俺は、吉田が父ちゃんでも良かったけどな」  咲夜が高校生の頃、間違えて吉田を「父ちゃん」と呼んでしまったことがある。  学校の先生に向かって「お母さん」と呼んでしまうような現象だ。  咲夜は内心、焦りと恥ずかしさでいっぱいだったが、吉田は振り返って、「どうしました、咲夜」と答えてくれたのを、今でも覚えている。 「なあ、吉田。俺は吉田が母ちゃんと結婚してもいいと思ってるよ」 「ですから、私たちはそういう関係では無いのですよ、咲夜」  吉田は苦笑いをしていた。  咲夜だって母と吉田がそんな関係性ではないのはわかっている。  ただ、母と吉田を結婚させることで、なんとか彼を日本に繋ぎ止められないか、という思いつきで言っただけだ。  これは、執着だ。  父のように思っていた人が離れていくのを、どうしても認められない。  吉田の夢は痛いほど理解している。  それでも、行かないでほしい。  自分を置いて、手の届かないところへ、行かないでほしい。 「俺を置き去りにするな」と、泣きながら縋ることができたら、どんなにいいだろう。  だが、咲夜はもう21歳だ。いい大人だ。  いい年した大人の男が泣いてわめいて、みっともなく追い縋ることなど出来るものか。  咲夜は小さくため息をついた。  吉田は、そんな咲夜の心中など知らず、思い出話を続けている。 「咲夜のお母様といえば、教育熱心な方でしたね」  咲夜を赤ちゃんモデルにしたのは、母親だ。  芸能界デビューした咲夜に、母は勉強の指導をした。 「おバカアイドルでもやっていけるだろ」  そう言って勉強を拒否する咲夜に、母は鋭く叱ったものだ。 「最低限の知識や教養は、持っておかないとあとあと困るのはアンタでしょ」  そして、咲夜に家庭教師代わりに勉強を教えていたのも、また吉田なのだ。  咲夜の母いわく、「家庭教師として来る女はみんなアイドルの咲夜目当て。男を呼んでも全然勉強にならない」と大きくため息をついていた。  そこで抜擢されたのが、マネージャーであり、咲夜に近しい関係の吉田というわけだ。 「なかなか苛烈なお母様でしたね」  吉田はあの頃を振り返っているようだった。  現在、咲夜は母と2人暮らし。  再婚しないのかと聞いたことはあるが、「そうねえ、いい人が見つかったら紹介するわね」となんとなく毎回はぐらかされている。  母は、ひそかに吉田を想いを寄せているのではないかと咲夜は考えているが、確証は持てない。  それに、本当に好きだったとしても、この2人はお互い告げることは無いのだろうなと思った。  吉田は両親が天国へ旅立つのを見届けた。  これでもう彼を日本に縛り付けるものはない。  籠の中の鳥を野に放つというのは、こんなに寂しい気分なのだろうか、と咲夜は思った。  彼のイタリアの師匠も病気が良くなったというから、また倒れる前に少しでも早く傍に行って、またヴァイオリン職人になりたいという吉田。  イタリアのヴァイオリン職人と、日本のアイドル。あまり関係を持つことは今後ないだろう。  彼が日本を飛び立つまで、あと半年。  それまでに、心残りがないようにしなければならない。  咲夜は吉田との思い出が少しでも良くなるように、奔走しようと決意したのであった。 〈続く〉
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