第6話 父殺し

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第6話 父殺し

 吉田の話に納得し、イタリアへと送り出す決心をした咲夜。  アイドル・神楽坂咲夜とマネージャー・吉田紳司の、残り少ない二人三脚はあと半年続く。  この半年の間に、吉田は別のマネージャーに後任を継がなければならない。  引き継ぎのために、咲夜には吉田ともうひとり、事務所の別のマネージャーがつくことになった。  この引き継ぎが終われば、そのままそのマネージャーが後任に就くことになる。  咲夜はその日、俳優として映画撮影の仕事をしていた。 「吉田、あれ」 「はい」  咲夜が休憩用の椅子に座り、吉田に手を差し出す。  吉田は彼の手にミネラルウォーターの入ったペットボトルと、汗を拭くためのタオルを渡した。  新人マネージャーは手帳を持って何かを懸命に書き込んでいる。  おおかた、「咲夜が『あれ』と言ったら水とタオル」とでも書いているのだろう。 「お前、名前なんだっけ」 「ぼ、僕ですか?」  他に誰がいるんだよ。  舌打ちをしそうになった咲夜に、新人マネージャーとなった若い男がアワアワと慌てている。 「た、田井中です、田井中――」 「あ、下の名前はいいや。田井中、俺が『あれ』って言ったら水とタオルだけ渡せばいいと思ってないか?」 「違うんですか?」  田井中と名乗った男はパチパチとまばたきをしていた。 「『あれ』の内容は時と場合による。俺が腹減ってたらロケ弁を持ってこい、って意味になるし、台本が手元になかったらそれを持ってこい、って意味にもなる」 「それは、どうやって判別するんでしょうか」 「空気を読めって話になるな。日本人なら得意だろ」  咲夜の無茶ぶりに、田井中は若干顔が白くなった。  もし咲夜の機嫌を損ねれば、途端にマネージャーから下ろされる。それを想像すれば、まあそんな顔色にもなる。 「咲夜、さすがにワガママを言い過ぎですよ」  吉田は眉をひそめてお小言を言う。  対する咲夜は、しれっとした顔をして吉田に口答えをした。 「なんだよ。吉田がいなくなるなら、お前の代わりに俺の手足になって働く奴が必要なんだろ。お前は『あれ』って言って分かるんだから、お前の代わりも『あれ』を分かってくれないと困る」 「私が君の『あれ』を察するのに、何年かかったと思っているのですか」  何しろ、20年近くを吉田と生きているのだ。まあ、他の奴には分からないだろうな、と咲夜も察しがついている。  それでも、彼は意地悪を止められない。  しかし、田井中は意外にも、咲夜と吉田のやり取りを尊敬の眼差しで見ているのであった。 「やっぱり神楽坂さんと吉田さんは、すごいなあ」 「あ?」 「僕、お二人のような阿吽の呼吸を取れる、二人三脚の関係になれるように、これから頑張ります。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」 「お、おう……」  深々とお辞儀をする田井中に、咲夜は調子が狂う。  それをニコニコと見ている吉田に腹が立った。 「で、吉田。このあとの予定は?」 「午後からアニメ映画のゲスト声優として、収録に行きます。そのあと、香水ブランドのCM撮影、それから先日出した本についてのインタビュー」 「やること多いな」 「いつものことでしょう」  咲夜と吉田のやり取りを聞きながら、田井中は夢中で手帳に何やらメモしている。  勉強熱心なところは、まあ悪くない、と咲夜は思った。  今日の分の映画の撮影が思ったより早く終わったので、吉田の運転する車で次の予定地へ。  後方座席には、咲夜と田井中が隣り合って座る。 「『サイバーサバイバー』、僕もあの漫画好きです」 「ああ、そう。俺は読んだことないけど」 「あ、そ、そうですか……読まなくてもゲスト声優できるものなんですか?」 「できるんじゃねえの。実際、こうやって呼ばれてるし」  もちろん、表向きは「サイバーサバイバー、大好きです!」という顔をしているが、咲夜はまったく知らない漫画である。  彼が演じるのは別に物語の根幹に関わるキャラではないので、台本をザッと読んだだけでも出来る役だ。  だいたい、多忙な咲夜に全40巻の漫画を読んでいる暇などない。 「――ここが電脳界か。俺はこの世界を侵略し、新たな世界の神になる!」  台本をスクロールしながら、声を吹き込む。  今の時代、台本は紙の本ではなくタブレットに送られた文章ファイルである。  特に声優業において、吹き込みの際にページをめくる音がマイクに入ってしまうのはよろしくないらしく、タブレットを指でスクロールしながら声を入れるのが流行ってきているらしい。  咲夜の役は、映画のオリジナルキャラでイケメンの悪役だ。  吉田と田井中は、咲夜のアフレコをじっと見つめている。 「――OKです、お疲れ様でした」  今日の収録を終えて、次の現場へ。 「田井中、今、俺が欲しい『あれ』は分かるか?」 「ええと……水とのど飴、でしょうか?」  咲夜は「おっ」という顔をした。どうやらビンゴである。  運転している吉田はしたり顔をしていた。 「なかなか筋がいいな」 「ありがとうございます」  田井中から水とのど飴を受け取り、水で喉を潤してから、のど飴を口に含んだ。  のど飴のミントと漢方薬のような味が舌に残る。  その後味を水で流した。 「田井中、あとで俺のお気に入りののど飴を教えてやる」 「は、はい」  ――筋はいいが、まだまだだ。  咲夜は、すっかり、この新人マネージャーを育てる気になっていたのだった。  香水ブランドのCMと、出版した本のインタビューを終えた頃には、どっぷりと日が暮れていた。 「雨が降ってきましたね。咲夜、どうぞ」 「おう」  吉田がいつもステッキのように持ち歩いている傘の出番である。  運転席を降り、咲夜のいる後方座席のドアを開けながら、傘をさしかける。  咲夜は当然のようにその傘に入った。  もちろん、大の男がふたりも入れるスペースはない。  田井中は折りたたみ傘もないらしく、慌てて小走りに事務所に駆け寄って玄関ドアを開けて待っている。 「ただいま戻りました」  吉田が事務所の人間に声を掛けるが、みんな何故か忙しそうに駆けずり回っていた。  吉田と田井中、咲夜が何事だろうと首をかしげていると、咲夜に歳近い所属アイドルが彼らに気付いたようだ。 「神楽坂、今まで何してた!?」 「何って、仕事……」 「今すぐ社長室に行け! ヤバいことになってる!」  事務所の仲間の切羽詰まった雰囲気に、3人はただ事ではないと気を引き締め、緊張した面持ちで社長室に向かう。  社長室では、この部屋の主が難しい顔で何やら雑誌に目を通していた。 「社長、何があった?」  咲夜が声を掛けると、社長はようやく顔を上げる。  彼が咲夜の姿を認めると、「大変なことになった」と重々しい口調で告げた。 「咲夜、週刊誌にお前のことが取り上げられている」  週刊誌にアイドルの名前が出るなんて、大抵はろくでもないことだ。  しかし、咲夜が自身の記憶をたどっても、何についてスクープを取られたのか、思い当たるフシがない。  映画の撮影で女優と知り合ったりはしたが、社交辞令程度でホテルはおろか、食事すら一緒にとってないのだ。  社長は黙って読んでいた週刊誌を差し出す。  咲夜は開かれていたページを見て――息を呑んだ。 『神楽坂咲夜、父殺し!?――超人気アイドルの過去に潜む闇とは!』  そんな見出しがデカデカと踊っていた。  父殺し――俺が父ちゃんを殺した――。  そこから先、咲夜の記憶はない。  目の前が真っ暗になって、卒倒してしまったのだ。  ただ、真っ黒な視界のなか、脳裏で「咲夜! しっかりしてください!」と吉田の声が反響して闇に飲み込まれた。 〈続く〉
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