第7話 咲夜の罪

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第7話 咲夜の罪

 父ちゃん。  どうしてそんなものを大事にしようとしたんだ。  自らの命と引き換えにしてまで。  そんなもの、俺がこの先いくらでもプレゼントできたのに。  父ちゃんが生きてさえいてくれたら、俺が毎年、嫌と言うほどプレゼントしてやったのに。  父ちゃん、ごめん。ごめん……。  咲夜が目を覚ました時、溢れ出た涙が目尻から耳の方向に流れていた。  耳の中に液体が流れ込んでいて、気持ち悪い。  体を起こすと、吉田が近くの丸椅子に座っていた。  新人マネージャーの田井中はその隣で緊張感のある顔をしている。 「吉田……今、何時?」 「夜中の2時です。君が倒れたのは覚えていますか?」 「ああ。あの週刊誌……今更、あんな事故をどこから嗅ぎつけてきたんだか」  咲夜は自嘲気味に笑っていた。 「あの、神楽坂さん……これ、聞いていいのか分からないんですが……」 「俺が、父親を殺したかどうか、って話?」  こうして言葉にしてみると、あまりにも重い話だ。  田井中はオロオロとしていた。 「そうだな、俺が殺したようなものだ」 「咲夜……君に責任はないと何度も言っているでしょう」  吉田は厳しい顔つきをしている。  田井中は、そんな2人の顔を見比べていた。 「ええと……差し支えなければ、詳細についてお聞きしたいのですが」 「いいよ。俺が8歳の頃に父ちゃんを亡くした話は知ってるか?」 「ええ。神楽坂さんの過去については、担当させていただく時に一通り事務所の資料を漁りました」  それはそれは、勉強熱心なことで。  咲夜は無理に口の端を上げようとして、歪んだ形を作っていた。 「それ、どこまで書いてあった?」 「神楽坂さんのお父様は、趣味の海釣りの最中に、不幸な事故で亡くなった、と」 「不幸な事故、ね」  咲夜は右手で両目を覆った。  田井中は「真相は違うのですか?」と緊迫感を覚えているようだ。 「いや、父ちゃんが釣りの事故で亡くなったのは合ってるよ」 「今の言い方では、事故ではない、と言いたげでしたが」 「事故の原因が、俺のせいだった。それだけの話だよ」  田井中はいまいち咲夜の言っていることの意味がわかっていない。  そこで、咲夜の言葉を吉田が引き継いだ。 「8歳の咲夜は、お父様にとあるプレゼントをしていたのです」  それは、父の日に贈った、父の名前が刻印された魔法瓶。  咲夜の父は深夜から早朝にかけて波止場に出かけては海釣りをしていた。  その時間帯はとても寒い。だから、幼い咲夜は母と相談して、いつでも温かい飲み物が飲める魔法瓶に名入れをしてもらってプレゼントしたのだ。  しかし、悲劇が起こってしまった。  同じ場所にいた釣り人の目撃情報によれば、その魔法瓶を誤って海に落としそうになり、慌てて魔法瓶を海に落とすまいと手を伸ばした父は、その勢いのまま海に落ちてしまったとのこと。  父を助けようと何人もの釣り人が集まって救助活動を行ったが、陸に引き揚げたときにはもう手遅れだった。  ――そして、父の右手には咲夜が贈った魔法瓶がしっかり握られていたのだ。  警察が母に話している内容をうっかり立ち聞きしてしまった咲夜は、ベッドの中に潜り込んで1人で泣きじゃくった。 「俺が父ちゃんを殺したようなものだ」 「そんなことはありません」  咲夜の罪悪感を、吉田は真っ向から否定する。 「俺があんなものをプレゼントしなければ、父ちゃんはもっと長生きできたはずなんだ」  ――否、それよりも、父が自分の命を顧みずに魔法瓶を拾おうとしたことが彼の後悔だった。  贈り物なんて、何度でも買い直せばいい。  何度だってプレゼントしてやるから、死んでほしくなかった。 「私は何度でも言います。君のせいではありません」 「じゃあ、誰のせいだっていうんだ。父ちゃんが悪いのか」 「これは、不運な事故です。誰のせいでもない。強いて言うなら、登場人物が全員優しいがゆえに起こった悲劇です」  しかし、吉田の話を聞いてもなお、咲夜は塞ぎ込んでしまったのである。  吉田は、咲夜のスケジュールを一旦白紙に戻し、本人が元気を取り戻すまで、安静にするべきだと考えた。  だが、事務所の社長は「まず週刊誌の報道について、本人から説明がなければ、ファンとスポンサーが安心できない」という。  かといって、本人は「自分の罪だ」と思いこんでいる状態。  吉田は手帳用のペンを顎に当てて、しばらく考え込んでいた。  一方、咲夜はふと思ってしまった。  ――もしかしたら、このまま週刊誌騒動で落ち込んでいれば、俺を心配する吉田はイタリア行きを諦めるのではないか。  咲夜は心が不安定になっていた。  この上、吉田まで失ったら耐えられない。 「吉田」  咲夜は自分の声が震えているのが、吉田に伝わらないことを願った。 「なんですか、咲夜」  手帳から顔を上げ、吉田が真っ直ぐに咲夜を見る。  あまりにも真っ直ぐな視線を見つめ返すことが出来なくて、咲夜は目線をうつむけた。  言ってはいけない、と思いながら、止められなかった。 「吉田が、俺の父ちゃんになってよ」  恐る恐る、視線を上げて吉田の顔を見る。  ……吉田は、心底戸惑って、困った顔をしていた。  やってしまった。  言ってはいけないことを、言ってしまった。  咲夜は思わず唾を飲み込んだ。  口の中が、カラカラに干からびていた。 「ご、ごめん、吉田、俺」 「咲夜」  吉田の目は、咲夜を憐れんでいた。  ――そんな目で、俺を見ないでくれ。  咲夜は、涙が込み上げそうになるのを、必死に堪えていた。  吉田に、可哀想だと思われるのがたまらなく嫌だ。  同情や、憐憫の混じった目で見られるのがどうしようもなく嫌だ。  それは対等な立場ではないからだ。 「咲夜、君は少し休んだほうがいい。私が社長と話をつけてきますから、どうか君は静養してください」  そっと目をそらされ、吉田は手帳を懐の内ポケットにしまって、病室を出ていってしまった。  咲夜が引き留めるように伸ばした手は、空中で止まったままだ。  あとに残されたのは、なんとも言えない、というか、なんと言ったらいいか分からないという表情をしている田井中だけ。  咲夜は無言のまま、空中で静止していた手を、力無くベッドの上に下ろした。  咲夜と吉田に残された時間は、あとわずか。 〈続く〉
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