第8話 記者会見

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第8話 記者会見

 ――咲夜と吉田は、記者会見の控え室で、気まずい時間を過ごしていた。  彼らは特別、喧嘩をしたわけでもない。  ただ、咲夜が吉田に言ってはいけないことを言ってしまった。  たったそれだけで、ふたりの信頼関係は崩れかかっていたのだ。  咲夜は吉田に謝ったほうがいいのか、悩んでいた。  謝るほど彼が悪いことをしたわけではないので、謝罪はなにか違う気がする。  かといって、このままギクシャクとした、ぎこちない空気のまま、タイムリミットが来てお別れも嫌だ。  なにより、咲夜の無駄に高いプライドが、彼に謝罪の言葉を吐かせることを許さない。  そして、咲夜と吉田以上に緊張していたのは新人マネージャーの田井中であった。  このふたりの板挟みではないが、微妙な空気の中、彼は引き継ぎのために逃げ出すこともできない。  田井中の目線から見れば、咲夜と吉田は理想の関係だった。  アイドルとマネージャー。  マネージャーの仕事は、アイドルのスケジュール管理や健康管理、命じられれば使い走りだってやってのける、アイドルのために尽くし、彼らを輝かせる、光のもとにある影の立役者である。  特に吉田は、事務所の中でもレジェンド級、マネージャーが憧れるマネージャーの理想像だ。  神楽坂咲夜という事務所の稼ぎ頭を育て上げ、この事務所を栄光に導いた人物。  他の所属アイドルが仕事に困らないのも、いわば咲夜の活躍のおかげであり、陰に日向に支えている吉田のおかげでもあったのだ。  そんな伝説のふたりが、絶賛微妙な雰囲気である。大事件である。  新人の彼には、どうしたらいいのか分からない。  自分がこのふたりのあいだを取り持とうとしゃしゃり出るのも、なんか違う気がする。  田井中は頭を抱えたくなっていた。  さて、咲夜は休養を経て、週刊誌の報道に対するコメントを、記者会見で行わなければならない。  それは咲夜の身の潔白を証明するため、そして彼のファンと事務所のスポンサーを安心させるために必要なアピールである。  とはいえ、咲夜は自らが父を殺したようなものだと思っている。  事務所内で協議を繰り返した末に、予想される質問への応答を予め対策しておき、さらに咲夜が余計なことを言わないように、記者団の質問を制限しようということになった。  記者としては満足いく答えは得られないかもしれないが、事務所の目的はゴシップを嗅ぎ回るハイエナのような記者を満足させることではなく、ファンとスポンサーを安心させること。  そして、「これからも神楽坂咲夜のためにお金を落としてくださいね」と、まあ身も蓋もない言い方をすれば、そういうことなのだ。  咲夜と吉田の沈黙に耐えられず、田井中はスマホでSNSを開いて、思わず顔をしかめた。  ネット上では、あの記事のオンライン版が出回っており、ものすごい勢いで拡散されている。  そのコメント欄では、咲夜を叩くアンチと、咲夜の熱狂的なファンが口汚い言葉でぶつかり合い、罵りあって、一種の阿鼻叫喚の地獄模様を作り上げていたのである。  田井中は咲夜に見られないように、慌てて画面を閉じた。 「咲夜、会見では余計なことは言わないように」 「はいはい、わかってますよ。社長からも耳にタコができるほど口酸っぱく言われてるって」  ふたりは心なしか、トゲトゲしい雰囲気を醸し出している。  田井中はその中で小さく身をすぼめていた。  記者会見の会場として、ホテルの1階の部屋を借りている。  テーブルの上にはマイクが何台も並び、そのコードはまるでスパゲティのように床を這いずり回っていた。  さらにそのスパゲティの中にはカメラのコードも含まれている。何台もの大きなテレビカメラが、咲夜の姿を捉えようと、ものものしく首をもたげていた。  テープで留められ、床に固定されているとはいえ、足元に気をつけないとコードに足を取られて転んでしまいそうだ。  会場の椅子には、既に何十人もの記者や報道関係者が詰めかけている。  記者会見自体、芸能人にとっては大抵いいことばかりではないので、あまり関わりたくないものだが、今回の話題はさらに緊張を強いられることになるだろう。  田井中はこっそりと2人を見上げたが、思いのほか彼らは落ち着いていた。  ――きっと、こういった修羅場も、彼らはふたりで乗り越えてきたのだろう。  そう思うと感嘆の念を覚えずにはいられない。 「――行きましょう、咲夜」 「ああ」  吉田が咲夜の背中を軽く叩き、咲夜は覚悟を決めた表情をしている。  いつしか、ふたりはギクシャクしていたことも忘れたようだった。 「――え〜、ZZZテレビの佐々木と申します。神楽坂さんはお父様をどう思っていらっしゃいましたか?」 「8歳の頃の記憶ですが、尊敬できる父だったと思います。日曜日には一緒に公園に出かけていました」 「魔法瓶が海に落ちそうになってお父様が一緒に海に転落、とのことですが、そのとき神楽坂さんは一緒に釣りに来ていた?」 「いいえ。海釣りは深夜の2時から早朝の4時にかけての暗い時間帯です。子供を連れていくには危険だと、8歳の僕は連れて行ってもらえませんでした」  記者の意地悪な質問にも、咲夜は淡々と、しかし丁寧に答えていく。  記者たちは、なんとか咲夜を父殺しの犯人に仕立て上げ、新聞や雑誌の一面を飾ってやろうと躍起になっているのだ。  咲夜は冗談じゃない、と思いながら、質問に応答する。  たしかに咲夜には罪の意識がある。しかし、それは記者の飯の種にするためではない。 「週刊XXXの石原です」  質疑応答の最後、手を挙げたのは、あのスクープ記事を掲載した週刊誌の記者だった。  咲夜は心の中で身構える。 「単刀直入にお伺いしますが――あの魔法瓶、なんの意図があってお父様に贈ったものなんですか?」 「父の日に、感謝を込めたものです」 「ふーん。それがお父様の命を奪ったとは、皮肉なものですね」  ……記者の心無い言葉が、咲夜の胸をえぐるようだった。 「関係の無い質問はしないよう、お願いいたします」  途端に吉田が厳しい口調で記者に注意する。  しかし、石原とかいう記者はニヤニヤ笑いを隠さない。 「いえいえ、しっかり関係のある質問なんです。私には、この事件、ただの事故とは思えなくてねぇ」 「探偵小説の読みすぎでは?」 『事件』と主張する石原に、吉田は呆れたような視線をくれてやった。  石原記者はそんな冷たい目線にも挫けない。 「私は、あの魔法瓶、何らかの意図があって贈られたものだと思うんですよ」 「ですから、あれは父の日に――」 「神楽坂さん、貴方に答えていただきたい」  吉田の言葉を遮って、石原の追及が咲夜に迫る。  咲夜の、石原を見る目はひどく冷たく、無機質なものだった。  ――飯の種にするためなら、人を蹴落とすことも平気でやる、汚いヤツら。それがゴシップ記者だ。  咲夜はこの21年の人生で、それをよくわかっている。  今までそうやって地の底まで引きずり落とされたライバルたちを見てきた。 「――貴方、もしかしてお父様を殺すために、わざと魔法瓶を贈ったのじゃありませんか?」 「違います」 「おや、即答」 「そもそも、魔法瓶をプレゼントしただけで、父を亡き者にする方法は無いと思いますけど」 「でも、実際に人が死んでいます」 「それは結果論です。僕は釣りに同行していないし、魔法瓶が海に落ちるように操作することは不可能だ。それとも、証明できるんですか? 探偵記者さん」  そこまで言ってやると、石原記者は言葉に窮してしまったようだった。  会場の記者席からは、凄まじいカメラのフラッシュが目を焼いていく。 「以上で、記者会見を終了いたします」  咲夜と吉田は、深々と10秒、頭を下げた。  会場から控え室に戻った咲夜と吉田は、汗でびっしょりだった。  あの部屋の熱気と、記者会見の緊張を物語っている。 「お疲れ様でした」  田井中は、ふたりに水とタオルを手渡した。 「サンキュ」  咲夜はタオルで顔を拭き、ペットボトルのミネラルウォーターを飲み干す。  吉田は田井中に声をかけた。 「田井中くん、『あれ』と言われる前に用意出来ましたね」 「なんとなく状況を見て、これが必要だろうなっていうのが分かってきました」  ずいぶん優秀なマネージャーに育ったものだ。  感心している咲夜に、吉田は優しく言葉をかける。 「咲夜、私がいなくなっても、君はひとりじゃありません。田井中くんや社長、他のアイドルだって君のそばに寄り添ってくれます。他の人たちも信じてみませんか」 「あ? 別に他の奴らを信じてなかったわけじゃ……」  ――いや、きっと吉田と咲夜、ふたりだけの世界で完結していたが故に、咲夜は他の人間に頼るという選択肢が、最初から頭になかったのだ。  それに気付くと、ストンと腑に落ちた気がした。 「……そうだな。別にお前がイタリアに行ったって、一生会えないわけじゃねえもんな」 「ちょ、ちょっと待ってください、吉田さん!」  田井中が突然素っ頓狂な声を上げる。 「僕、記者会見なんかしたらどうすべきか分かりません! イタリアに行く前にマニュアルを用意しておいて下さい!」  ――控え室のなかで笑い声が響いたのであった。 〈続く〉
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