白い森の中で

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正直『どうしてこんなことに巻き込まれたのか』と思わないこともない。俺は静かに生きていられたらそれで万々歳な性格の人間だ、夢を追い求めるのは相応しい行動力を兼ね備えたたぐいの人だけでいいと常日ごろから思っている。静かに生き、静かに生を終える。生きていくうえでそれ以上の至福があるものか。 先達は生を全うするうえで一花咲かせたいと思う人間だから相容れないのも仕方ないのかもしれないが、いささか疑問に思うところはあった。これでいて先達とは長い付き合いだ。俺の性格を熟知していないわけでもあるまい。どうしてあの時だけ、いやに熱の篭った語りを繰り広げていたのか。 ──やはり『憑かれていた』のだろうか。 いつも生命の輝きが爆ぜていた目が昏く濁っていたさまを思い出し、思わず身震いする。 性格が合わないところも含めて良き人だと思っていた彼が、なぜ、なぜ。あのような様子を見せたのか。 考えたところで仕方のない話ではある。 全ては『蘇りの石』を見つけてからだ。 「それにしても、どこに……」 地を踏む足取りは茂った草にも邪魔されず軽い。立つはずだった足音は誰にも届かずどろりとした空気に溶け消える。自らの存在を丸ごと呑み込んでしまいそうな粘つく風が恐ろしく、胃の腑を絞り上げられる感覚に思わず口元を押さえた。だが吐き出すものは何もない。かすかに震えた呼気ばかりが漏れいづる。 濡れた昏い空気を掻き分けて、歩く、歩く、歩く。 歩けども歩けども、行き着く先は見えない。 次第に俺の胸のうちに『あれは彼の演技だったのではないか』という思いが湧き上がり始めた。『蘇りの石』なんてものは最初から無く、ただ、俺をこの薄気味悪い森の中に一人で行かせてその様子をからかいたかっただけではないのかと。人をからかうようなことはしない気のいい人物だと思っていたが、なんとも。人は印象によらない一面を持ち合わせているものだ。 その考えに至ってからは俺は踵を返してもと来た道を歩き始めた。騙されていたと分かればこんな場所に用は無い。早く帰る。早く帰って温かい風呂に入って、飯を食べて寝る。帰るべき場所に帰っ──……、 ──あれ。 俺は、どこに帰ろうとしていたのだろうか。 思考を巡らせていた俺はそこに辿り着いた瞬間、ざあっと血の気が引くのを感じた。 先達と『蘇りの石』について話していた記憶は確かにある。彼の異質な様子も細部まで鮮明に思い出せる。だが、それより前の出来事が全く思い出せない。俺の名前も、家の場所も、家族の名前も、そもそも家族が居たのかも。友の名も、姿形も、直前まで話していた先達本人の名前すらも。なにも思い出せないのだ。『先達と長年の付き合いがある』という記憶すら、詳細を思い出そうとすると靄がかかったように視界が歪む。 ──それに気づいた瞬間、俺は弾かれたように駆け出した。
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