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ステージ上の彼女は、一層輝いて見えた。オーラを感じる程に。
トークもなく、早速一曲目に入る。俺は唾をのんだ。一体どんな歌声が飛び出すのだろうか。
静かに彼女がイントロを奏でる。初っ端からしっとりか? と思ったのも束の間、一瞬の空白を感じた後、彼女の第一声のパンチが俺をずどんと殴った。
そのまま固まる俺を置いて、腹の底から湧き上がる彼女の力強い歌声が、アップテンポなバンドサウンドと共にボルテージMAXで駆け抜けていく。気づいた時には、客は皆、腕を突き上げ、リズムに乗って跳ねていた。俺はあっという間に異空間に吸い込まれ、俺の血流に彼女の歌声が混ざって全身を駆け巡る。
高揚感で息切れするような一曲目が終わり、客が拍手と歓声を送る。俺は手を叩くのも忘れていた。早くも熱気がむんむんとこもり、俺はじっとりと汗ばむ。
二曲目は、横に揺れるような楽しい曲。三曲、四曲と、時々トークを挟んで、しっとりした曲、跳ねるような曲。様々な顔色の音楽を、俺達の胸に、魂の奥底から届けてくれるような歌。
俺は何とも言えない感覚に捉われていた。彼女が歌うその姿を、ずっと見ていたいような。自分と彼女だけの空間だと錯覚させられるような。あぁ彼女はボーカルなんだと、俺は思った。同時に、なぜだか俺の芸人魂にも火を付けられた気がした。
開始から一時間後には、俺もグッズ制覇勢の一味に加わろうと思うくらいになっていた。
全ての曲が終わると、俺は着替え必須の汗だく状態。久々に燃えた爽快感に包まれていた。
彼女が締めくくりのトークを始める。
「えーこれまで私達を応援してくれた皆様、ほんっとにありがとう。今日のワンマンが出来て、ほんっとに幸せです。えー……」
うるるは言い淀む。客席から「ありがとー」「幸せだよー」などと声が上がる。
「えー、突然ですが私達CHERRY POCKETは、今日を持ちまして、解散いたします」
瞬間、客席がどよめいた。悲鳴があがる。
俺は耳を疑った。は? 解散?
「えー……、メンバーと沢山話し合って、今日を最後にしようということになりました。今まで応援してくださり、本当に、ありがっ……と……ござ……」
うるるは、それまで気丈に話していたものが決壊するように、声を震わせ始めた。
は? それ何のボケや?
客席からも涙声が出る。「いやだー!」「なんでー!」と追い縋るファン達。
ステージ上の三人は横並びになり、マイクをステージに置いた。「ありがとうございました」と声を揃えて深々と頭を下げると、それ以上詳しい説明もなく、ステージを降りて行った。
静まり返る会場。暫くして、困惑のまま呆然とする俺達の頭上に、既存のBGMが戻ってきた。ドスンドスンと、重低音が響く。それはあまりに機械的で、夢の時間はここまでという合図のようだった。
何なんや? 俺の心をがっつり掴んでおいて、今日で終わりとは、どういう種類のツンデレや?
俺は、余韻に浸る客達の合間を縫って一人、外へ出た。
一歩出ると、この箱の中での時間は幻だったのかと思うくらい静かな夜が流れていた。俺はライブハウス横の灰皿の前で煙草を吸った。
まぁ本来、あいつのバンドが活躍しようが解散しようが、無関係の日常や。今日俺は電車であいつと出会い、ひょんな流れであいつの歌を聴いた。最初で最後の歌。ただそれだけのことや。
ただ、あんなにうまくて人気もあるのに、なんで解散するんや。仮にこれがお笑いやとしたら、辞めるなんて選択肢は俺にはない。手応えありありのアリのはずや。元々解散ライブと聞かされていたなら話は別やけど、ちょっとあんまりちゃうか。
箱からぽろぽろと客が出て来て、思い思いに嘆きながら帰っていく。俺はそれをぼーっと眺めながら、焼き付いたあいつの歌を心の中でずっと聴いていた。煙草を一箱空ける頃には、客はすっかりいなくなった。
俺は最後の一本を灰皿に押し付けると、箱の中に戻った。中には、静かに片付けをするスタッフと、バンドのメンバーがいた。
「おい、うるましん」
皆が驚いて俺に振り返った。
「……友清さん?」
うるましんが駆け寄ろうとする。
「俺の告知タイム、忘れてんちゃうぞ」
あいつの目を見たら、泣いていることに気づいた。俺の胸がぐっと締め付けられる。余計に離れ難くなる俺の心を、あいつは更に掴んでくる。
「……ふはっ、ほんまや。そのために来てくれはったのに」
どう見ても悲痛な叫びを抱えているのに、うるましんは手を叩いて笑う。
「約束違反ですもんね、返金しますね」
受付に向かおうとするうるましんの腕を、思わず掴んだ。
「返金せんでええから、教えてくれ。なんで解散すんねん」
俺を見るあいつの目から、ぽろぽろと涙が落ちた。
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