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たいせつ
「ほんで、『うるましん』て何なん? 名前?」
ラーメンを啜りながら、隣に座る彼女に聞いてみた。あれから俺達は、こうしてちょこちょこ会うようになった。
「名前ですよ。『漆間 心』。今さらですか?」
彼女は湯気をはふはふさせながら顎を上げて笑う。
「耳は?」
もやしと麺を食べて、スープを蓮華ですくう。
「薬飲んで通院してます。補聴器が必要になるかも」
彼女は煮卵を頬張った。
「そうか。あいつとは? 裕也」
俺は水を飲んだ。二人がどうなっているか、実は一番気になるテーマだ。
「……会ってもないし、LINEもしてないです」
俺は「ふうん」と、何食わぬ顔でこしょうを振った。
「けど、お前はまだ好きなんちゃうん」
探りを入れるなんて、俺は気色悪い男やと思う。
「……どやろ。友清さんとおったら楽しくて忘れてまうわ」
彼女は笑って、ずるずると麺をすすった。
彼女を楽しませることが出来てるなら、芸人冥利に尽きる。彼女が、俺の勧めたラーメンをうまそうに食って笑う。それで俺は満足……なのか。
「なぁ友清さん。もしさ、何かで、もう漫才はできませんってなったら、友清さんならどうする?」
彼女はラーメンから視線を外さずに聞いてきた。ふと寂し気に。
「せやなぁ。そらショックやけど、新しい『たいせつなもん』見つけるかな」
俺は彼女を見たが、彼女は蓮華の中のスープを見つめていた。
「『たいせつなもん』か。見つかるんかな?」
「俺はもう見つかりつつあんで」
「えっ! 何なに?」
彼女はやっと俺を見た。
「お前」
俺は手を止めて彼女の目を見た。彼女は三、四回瞬きをして、吹き出した。
「ボケへんねや」
彼女が照れ笑いをして肩をすくめるので、だんだん小っ恥ずかしくなって、一気にラーメンを掻きこんだら盛大にむせた。彼女が俺のコップに水を注ぎながらけらけら笑う。
小さい店のカウンターで、夢の途中にいる俺達が並んで笑う。この時間が、俺はたまらなく幸せで、大切だった。
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