のこしてくれたもの

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のこしてくれたもの

アンゲリカ・エップ、旧姓・アマンの死後、クロイゼン国の王家直属の騎士団員たちへは自身の母から技能を受け継いだアンゲリカの息子・エドムントが剣技を教授していくこととなった。 アンゲリカの夫である、エミール・エップは妻のあとを追うかのように、急激に体調を悪化させて永眠した。 騎士団の団長と副団長を務めていた二人は、いつも仲の良い夫婦として知られており、アンゲリカとエミールの訃音(ふいん)には、たくさんの者が悲しんだという。 アンゲリカがつけていた日記から、抜粋した文を以下に記しておきたい。 (アンゲリカの日記より・その1) アタシは剣技を団員たちに教えているのだが、時々、怒鳴ってしまう。 怒ってはいけないと、頭ではわかっているのに。 「そんなんじゃ、全然ダメでしょ!!」 「何度、同じことを言わせるの!!」などと。 ………先生はこうではなかった。 どんな生徒であっても、けっして怒ったりはしなかった。 先生の前では、できる生徒もできない生徒もいなかったように思う。 アタシ自身、先生から怒られた記憶がない。 先生が誰かを叱ったのをアタシは見たことがない。 先生と楽しい課業時間を過ごしていたら、いつの間にか、剣技を使えるようになっていたのだ。 これは本当に不思議でしかたない。 アタシは先生みたいには、どうやってもなれそうにない。 アタシは、剣技教官と認められたけど、先生は教官というよりも「師匠」だった。 教官と師匠はやっぱり違う。 人に教えるのは難しい。 人になにかを教えるとは、どんなに才能が必要なのだろう。 剣(つるぎ)だけではなく、様々な武器を先生は扱えた。 また、二刀流なら、その構え方の種類と技法を、両手で武器を持ったとしたら、どう握ったらいいか、どこに力を入れて攻撃したら良いのか、盾を持っていたらどうするといいのか、をわかりやすく教えてくれて、アタシらの前で実演してくれた。 当時を思い出せば思い出すほどに先生の偉大さが身にしみる。 先生がこの国を去ってから、アタシは先生の過去と歴史、すべてを知った。 …………信じられなかった、驚いたなんてものではなかった。 アタシは、いえ、アタシらはこんな、こんな人から、技を直接、教えてもらっていたのか、と。 (アンゲリカの日記より・その2) 先生がいなくなってから、アタシには一つわかったことがある。 訓練中、泣いてしまったある団員に「教官、剣技つかうとき、怖いんですよ。誰かを殺そうとしてるみたいなんだもの」と言われたときにわかったのだ。 「ごめんごめん。そんなつもりはないんだけど」とアタシは謝りながら、ここで気付いた。 アタシが剣から放つ鋭気は、殺気になっていたらしい。 アタシらが知る先生の技は、もともと相手を殺すための技術だった。 それを先生は相手を守るための技に変えて、アタシらへと授けてくれたのだ。 いろんな武器を装備して、先生が目の前で見せてくれる技の数々には驚いてばかりだったが、どんなときであっても、にじみ出る殺気を感じたことは一度もなかった。 得意とする武器を握った歴戦の勇士なら、周囲を覆ってしまう緊張感が先生にはまったくなかった。 先生は自然体だった。 訓練中に雰囲気が悪くなることも一切なかった。 アタシらも先生はすごいんだなと驚くだけで、恐ろしい人とは感じていなかった。 戦争時に国を防衛するために使ってきた技から殺気だけを除いて、それをそのまま放ち、そして人に教えるだなんて、技を使いこなした者であればあるほど、とても真似できない芸当だ。 どれほど、先生から教えてもらえたアタシらは幸せだったのだろう。 (アンゲリカの日記より・その3) 先生、先生、また会いたいです。 今のアタシだったなら、先生と互角に戦えるかもしれません。 いいえ、だめです。 今のは取り消します。 先生は、強すぎますから。 先生がいなかったら、あの事件によって騎士団は無くなっています。 アタシも夫も死んでいたと思います。 あの時のことを思い出すたび、よく生き残ったな、と感じては身体が震えてしまいます。 先生、先生がアタシへ授けてくれた剣技と剣、どれもすばらしいです。 アタシ、先生に会えて幸せでした。 先生はアタシを変えてくれました。 素行不良だったアタシを先生は立ち直らせてくれた。 先生、先生ほどの恩師にはアタシはもう二度と会えないと思っています。 先生がアタシ達に教えてくれたこと、これからも守り続けていきます。 先生、アタシこれでよかったですよね。 先生、どこかで生きておられますか? 同じ空の下にいても、もう会えないと思うと、とても悲しいです。 でも、先生の存在はアタシと夫と騎士団を支えています。 先生は「本当の騎士」です。 先生がすべての罪をひとりで背負ってくれたから、騎士団はいまも残っているんです。 先生の偉業を知らない者は多いけれど、アタシは知っています。 夫だって、おぼえています。 先生、もしも万が一にアタシと再会したら、その時はアタシをもう一度、弟子にしてください。 また、教えてください、アタシに。 あと、夫も弟子にしてやってください。 お願いします。 先生がアタシへ贈ってくれた地の結晶は本日も光っていますよ。
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