1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

 神も仏もありゃしねぇ。  この世はいつだって理不尽だ。  そんなことはわかっていたし、そんなことにいちいち悩んでいられるほど純粋な人間でもなかった。  そもそも、生まれた場所も環境もよろしくはなかったし、今で言うところの「親ガチャ」も大外れ。  ああ、これ聞いて「そんなの甘えだ」とか言う奴いるけど、全然わかってない。誰の子供に生まれるかってのは、ハッキリ言ってものすごく重要だ。金の有無も当然だけどな、それ以前に 『子供を愛することが出来る親かどうか』  って問題は避けて通れないだろ?  そういう意味では、俺は大外れを引いてたと断言できる。なにしろ親からの愛なんて微塵も感じたことがないからな。  で、そんな人間が大人になるとどうなるか、なんて容易く想像できるだろうが。  まぁ、ろくなもんじゃねぇよ。  大体さ、何が正しいのかわからないんだから、社会の中でうまくやっていけるわけもない。勿論、愛の何たるかも知らないしな。  それでも若い頃はまだよかった。体さえ元気なら金を稼ぐ方法はいくらでもあったし、死なない程度に生きることくらいは出来てたんだ。けど……。  年齢なんか覚えていない。ただ、働けなくなって、住む家もなくなって、あちこち転々とした結果行きついた先は、河原の横にある掘っ建て小屋だったってことだ。どうやら先住者がおっ死んだらしく、空き家になってたのはラッキーだったぜ。生活に必要なものは最低限揃ってたしな。  ただ……、  先住者が残したのはボロ屋と生活用品だけじゃなかったんだ。 「なんだよ、お前らっ」  わらわらと俺にすり寄ってくる複数の、毛玉、毛玉、毛玉。  自慢じゃないが、俺は動物が嫌いだ。飼ったこともないし、触ったことだってほとんどない。それなのに奴ら、何の遠慮もなく俺にベタベタすり寄ってきやがる。体の上に乗られた時は悲鳴を上げちまった。 「出てけよ! ここは俺の縄張りだっ」  そう言って外へ出しても、するりするりと隙間から入ってきちまう。そもそも掘っ建て小屋なんだから、密閉なんかされてないしな。  そうこうしていると、外からカンカン、と何かを叩く音がして、それを聞くなり毛玉軍団は蜘蛛の子を散らすみたいに外へ出て行った。何事かと思って、俺も外へ出たら、この場に似つかわしくない学生服の女がいたんだ。あれ、高校生じゃなく、中学生だろ? 背も小せぇし顔も幼い。こんな場所で、なにをしてるんだこいつは。 「あれ? ゲンさんの家……新しい人?」  聞き間違いじゃなければ、俺に話しかけてきたのか? 嘘だろ。浮浪者に気やすく話しかけて来るなんて、親の教育がなってないんじゃねぇか?  俺が何も答えないでいると、更に会話を続けようとしやがった。 「なんて呼べばいい? 名前、教えて。あ、本名教えたくないならジョニーでもアーサーでもなんでもいいけど」  口を動かしながら、しゃがみ込んで手も動かしている。どうやら毛玉に餌をやっているらしい。 「こいつら、お前のか?」  はぐはぐと餌を頬張る毛玉を見ながら訊ねると、首を振る。 「違うよ。この子たちはゲンさんの子。私は一緒にお世話してた、木村みちる。ゲンさんからはって呼ばれてた」  人懐こい笑顔で言われ、なんだか居心地が悪い。 「で、おじさんの名前は?」  グイグイ来られ、俺はつい、名乗ってしまった。本名を。 「……永瀬……音鳴(ネオ)」 「ネオ?」  名乗った後でハッとする。言わなきゃよかったと後悔する。似つかわしくない名前。なんでこんな名前付けやがったんだと、最初に親を恨んだのはこの名前をバカにされた時だったかもしれない。……いや、もっと幼い頃から、俺は親を恨んでいたか。 「永瀬、だ」  念を押すように声を出すと、みちるは笑顔で、 「じゃ、、ね」  と言った。 *****  それから小一時間、俺はみちるのお喋りに付き合わされた。というか、毛玉と同じで、帰れと言っても帰らないのだ。まずは先住者のゲンさんの話に始まり、毛玉の名前を一匹一匹教えられた。関係ないと言い張っても、この場所に住むなら無関係とは言わせない、とかなんとか押し切られる。  先住者はかなりきちんと世話をしていたようだ。毛玉たちは見た目にも健康そうで、なにより人に慣れている。隙あらば膝の上に乗り、喉を鳴らす。 「ご飯は私が何とかするから、永瀬さんは他のお世話、よろしくね」 「……だから、なんで俺がそんなことを」 「いいじゃない。暇でしょ?」  嫌味ではなく、ごく当たり前のようにそう言われ苦笑する。 「たまになら永瀬さんのご飯も差し入れできるよ、私!」  浮浪者相手に、一体何なんだ。俺は頭を掻くと、みちるに向かって言った。 「お前、こんなところで知らないおっさんと話すって行為がどれほど危険かわかってんのか?」  説教じみている。  俺が言うようなことじゃないってことは百も承知だ。だが、つい、口をついてしまう。久しぶりに人間と話が出来たことで、多少舞い上がっていたのかもしれない。  俺の説教を、みちるはキョトン、とした顔で聞いていた。そしておもむろに笑顔を作ると、 「ゲンさんと同じこと言ってるし!」  と言ったのだ。 「永瀬さん、私ね、今までがどうだったかなんかどうでもいいんだ。ゲンさんにも言ったけど、私が興味あるのは、の永瀬さんと、の永瀬さんだよ。それでも近付くな、ってって言うなら、差し入れの話は、なしにするけど?」  差し入れ、という言葉を聞いた途端、俺の腹がぐぅぅ、と間抜けな音を立てる。それを聞いてまたみちるが笑いやがった。 「あはは! 体は正直だね!」 「くそっ」 「あ、もうこんな時間だ。私、帰るね!」  立ち上がると、服についた毛玉たちの毛をパンパン払い除け、河原の土手を上がっていく。途中、振り向いて俺に手を振った。 「……なんなんだ、あいつは」  俺はまるで竜巻に遭った後のような心境で、乱された心を茫然と眺めていた。 *****  夜。  まだ寒いというほどではない気温だが、毛玉たちは毛布を奪い合うかのように狭い寝床に集まってくる。俺は毛玉に囲まれて、眠った。右にも、左にも、足元にも。まるで繭の中にでもいるかのような、おかしな感覚だった。  毛玉は、とんでもなく暖かかった。  それからというもの、宣言通り、みちるは毎日やってきた。毛玉に餌をやり、時々俺に差し入れをくれる。最初は面倒に思っていた俺も、毛玉との生活に慣れ始めた。それに、人間と話が出来るのが楽しかったんだと思う。 「永瀬さんさ、自分の名前、嫌いなの?」  ある日、唐突にそんな話をされ、俺は眉を寄せた。 「なんだよ、いきなり」 「最初名前聞いた時、すっごく険しい顔したからさ」 「ああ……嫌いだね」  フイッと視線を外す。 「ふぅん、私はカッコいいと思ったけどな」  悪びれもせずそう言うみちるに、俺は大きなため息をついた。 「冗談だろ? なにがカッコいいもんか。ネオだぞ? !」  しかも漢字で「音が嗚る」で、音嗚。俺の父親がバンドやってたからだとか言ってたような気がする。くだらねぇ。 「だってネオってギリシャ語で『新しい』って意味だよ? オシャレじゃん!」 「お洒落なもんかっ。俺のどこが新しいってんだ」  八つ当たりとわかっていても、言葉がきつくなる。 「ん~、少なくとも、ここに来てからの永瀬さんは、ネオ永瀬だよね? 猫と一緒に住むの初めて、って言ってたし、わたしみたいなガキんちょと話すのも初めてって言ってたし。今までにない、新しい永瀬さん。……でしょ?」 「くっ、くだらねぇ」  俺はそっぽを向いたまま言い放った。  しかし、考えてみりゃみちるの言うことはまんざらでもない。俺は今になって、なんでこんな風に人と触れ合ってんだ? もう、全部を手放す時期だってのに。 「いいじゃん、細かいことなんかどうだって。永瀬さんが楽しいって思える一日を過ごせばいいんだよ。この子たちと同じ」  そう言って足元にいる毛玉を撫でる。 「こいつら、楽しいとか思って生きてるのか?」  寝て、食って、寝てるだけの生き物。何を考えているのかもまったくわからないし、日がな一日、ぐだーっとしているだけの毎日に見える。 「楽しいと思ってるかはわかんないけど、少なくともゴロゴロ言ってる時は、幸せだと思ってるんじゃない?」  目を瞑り、顎を突き出し喉を撫でられる毛玉は、確かに幸せそうな顔に見えなくもないが。 「猫ってさ、ボーっと生きてるみたいに見えるけど、生きるってことにすごく真剣なんだよ? どんな状況になっても、最後の最後まで生きることを諦めない」 「……へぇ」 「って、ゲンさんが言ってたの。ある日ぽっくり死んじゃった子がいて、多分何かの病気だったんだろうけど、痛そう、とか苦しそうって素振りは全然見せなかったんだって。最期、息を引き取る時だけ、呼吸が荒くなったみたいだけど。それでもグッと目を開いて、強い眼差しで俺のこと見てたんだ、って言ってたんだ」  強い言葉で、そう口にする。 「だから永瀬さんも、楽しいって思える一日を。ね?」  小首を傾げ、笑いかけるみちるを見て、なんだか俺は急に恥ずかしくなる。こんな子供に諭されてるなんて。 「じゃ、私そろそろ行くね」 「おぅ」  みちるが立ち上がり、毛玉の毛をパンパンと払う。それはいつもの光景。まるで、から、へと帰るときの儀式のようだった。 *****  その日、俺は発作を起こした。  心臓が悪いのだ。  いつ止まってもおかしくない、欠陥品。一度発作が出ると、呼吸がままならなくなる。苦しくて、苦しくて、なのに、動くことをやめない心臓。 「くそっ」  胸を押さえ、縮こまる。  毛玉たちがフンフンと俺の匂いを嗅ぐ。どうだ、死の匂いがするか? 俺はこのまま、ここで冷たくなるんだろうよ。お前たちが丸まって繭を作っても、俺の体はもう、温まらない……。  ――暗闇の向こうに、大きな繭が見えた。  白、黒、茶、グレー、ごちゃっとした(まだら)の繭だ。  俺は何故かその繭の中に入りたくて、ゆっくりと歩く。あの中に入ったら、きっとあったけぇんだろうな、とか、優しい匂いがするんだろうな、とか、なんだかよくわからんが、とにかくその中に入って眠りたかった。  ゆっくりと近付き、繭の入り口まで。  頭から入るべきか、足を先に入れるべきか悩んでいると、すっと俺の横を通り過ぎる影。 「あ、トラ」  その毛玉は、みちるによると『トラ』という名前らしい。茶虎にトラと名付ける安直さよ。嫌いじゃないがな。  トラは名を呼ばれ振り向くと、ニャ、と小さく鳴いて繭の中へと入っていく。俺はその後を追おうとしたが、何故か繭の入り口は、トラが入った直後、閉じてしまう。 「おい、なんだよっ。俺も入れろ! トラだけずるいだろうがっ。おい!」  繭に向かって文句を言うが、閉じられた繭は、ただの繭だ。触ることは出来ても、中に入ることは出来なかった。 「くそっ、なんだよっ」  俺はひどく寂しい気分になった。だが次の瞬間、おでこにピリピリとした痛みを感じ、 「デコを舐めるなっ!」  目を、開ける。  三毛のハナコが俺のデコを舐めていた。猫の舌はざらざらで、痛い。  外はすっかり明るかった。  そして、俺の隣では……トラが死んでいた。 ***** 「聞いたことあるよ」  トラを河原の一角に埋葬しながら、みちるが言った。 「動物ってさ、飼い主の代わりに死んじゃうことがあるんだって」 「あん?」  俺は額の汗をぬぐいながら訊き返す。 「飼い主がさ、病気になるとするじゃん? 具合が悪くなって、もうこれは助からないかも、っていう時にさ、なぜか奇跡的に助かったりするの。でも、昨日まで元気だったはずの、飼ってた犬や猫が死んじゃってる。そういうときは、その子たちが命を懸けて飼い主を守って、代わりに死んでいくんだって」 「……なん、だよ……それ」 「ただの都市伝説みたいな話だよ。でも、そう考えるとなんだか素敵に聞こえる、ってことじゃない?」  みちるは黙々と作業をし、その辺から摘んできた花を手向け、最後に手を合わせた。 「トラはさ、すごく甘えん坊で、ゲンさんに一番懐いてたの。ゲンさんいなくなってからご飯食べなくなって、元気なくなってさ。でも永瀬さん来てからはご飯も前みたいに食べてたし、復活したんだよね。好きだったんじゃない? 永瀬さんの事」 「……は?」  確かに、茶虎の毛玉は一番ベタベタと甘えてくるやつだった。寝る時も必ず俺の右側。いや、だからってまさか、身代わりになんてことあるわけないだろうが。毛玉だぞ? 「……ネオ永瀬、だね」  そう言ってみちるが俺にティッシュを差し出した。なんでティッシュ?  ――俺は、泣いてるのか。 *****  神も仏もありゃしねぇ。  この世はいつだって理不尽だ。  俺は遠くない未来に死ぬだろう。  俺だけじゃない。命あるものはみんな死ぬ。当たり前のことだ。  だから慌てることなない。  その日がくるまで、生きてりゃいいんだ。日がな一日、風に吹かれて。  俺は昨日までの自分を捨てる。今日と、明日だけあればいい。 「永瀬さーん!」  今日もみちるがきた。  今度は彼女の話でも聞いてみようか。深入りしたくなかったから敢えて何も聞かずにいたけど、あいつにだって話したいことくらいあんだろ。  俺の周りには、相変わらずいくつもの毛玉が転がっていた。 ~終~
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!