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クラゲの為に生きる男
クラゲが、妻?
俺は二の句が継げなかった。
しかし、自身の秘密を語れればそこから饒舌にもなるらしく、デューンは俺が重ねて尋ねてもいないのに、くどくどと語り始めたのである。
「私達は子供など望んではいない」
クラゲじゃな。
「子供は神からの授かりものだと思っている」
神様も何もできないと思うよ。
クラゲだろ?っていうかお前、クラゲに突っ込んでいた?
こんにゃくに突っ込むおひとり様行為があると聞いた事があるけど、大人は性欲満たすためにはクラゲにも突っ込めるものなのか?
俺は誰よりも男らしい体格を持つ男を、寒々とした気持ちで見上げた。
クラゲ標本瓶を大事そうに胸に抱えた男は、遠い目をしてさらに言葉を続けるじゃないか。
「私は妻と暮らせていられれば良かった。だが妻は魔王が降臨した世界が耐えきれないと内に籠ってしまった。だから私は魔王討伐を望んだのだ」
いや、瓶にクラゲを入れ込んだのはお前だろ?
俺の心の中での突っ込みを知らないデューンは、瓶を掲げて頬ずりをし、俺の更なる突っ込みを呼ぶような台詞を言い放った。
「せっかく魔王を倒したのに、君は以前よりも無口になってしまった」
クラゲは最初から喋らねえ。
いや、異世界のクラゲは喋るのか?
そうだここは常識外の異世界だった。
異類婚ありありの世界なのかもしれない。
俺は心の片隅でデューンを見下げていた事をほんの少しだけ謝り、新たな気持ちでデューンを見上げたが、やっぱり見下げたままでいたいと思った。
デューンが瓶の中のクラゲに向かって吼えたのだ。
「君は一体どうしてしまったんだ!」
お前がどうしてしまっただよ。
「ええと、デューンさん。戦いの前と後の今で、なんかそのええと、そのクラゲが変わったのですか?」
「失礼な!プルモーだ。彼女の名前はプルモー」
「失礼しました。そのプルモーさんは、あの、どのように変化なさったのでしょうか」
「お喋りだった彼女が何も言わなくなってしまったのだ。艶も何もなく、海水に溶けてしまいそうにもなっている」
死んだんじゃね?
俺はそう思ったが、それは言えなかった。
俺だってペットを飼った事ぐらいある。
例えどんなペットでも、飼い主がそれの死を受け入れるのはとても辛い事だ。
「えっと、あのさ。置きっぱな時に取り換えられたんじゃないかな、とか」
「わたしが彼女を手放すものか!」
「わあ!」
「常に私から離さぬように、いいや、彼女に何かあってはならんと、私は戦いの最中も懐に入れていた」
「それで酔ったんじゃないですか?」
デューンはががーんと聞こえるぐらいの驚愕の表情を俺に向けた。
殺すつもりはなかったのに殺ってしまった、と、二時間ドラマの犯人役が回想場面で浮かべているような表情だ。
そうだ、お前がやったんだ。
ただでさえ暑苦しい体に布ベルトで括りつけられ、魔王退治時に激しい動きを繰り返していたのならば、瓶詰のクラゲじゃ無くとも誰だって死ぬ。
「ど、どうすればいい?」
俺は哀れな男に俺が両親にして貰った事をしてやろうと考えた。
あれは、俺が幼稚園の年長さんだった頃の話だ。
幼稚園から帰ってきた俺を出迎えたのが、二年間大事に飼っていたハムスターが入っているはずの、空っぽの檻だった。
今ならば、寿命が二年のハムスターが死んでしまったのだとわかる。
だが当時の俺は訳が分からないまま母に尋ねていた。
「僕のロボ太郎はどうしちゃったの?籠にいないよ、ママ」
「逃げちゃったみたいね。きっとペットショップのお友達に会いに行ったのよ。迎えに行ってあげましょうね」
そうして俺は新しいハムを手に入れ、死んだ本物、いやそれだと新しい子に失礼なので、ロボ太郎一号の死について嘆く事は無かった。
どれも同じ模様のロボロフスキーハムスターだからできた、母の力技である。
ロボロフスキーって慣れないから個体差わかんないし。
でも、大きくなった俺は、愛鼠の墓も作らず死を悼んでやらなかった事に気が付き、それが出来なかったことで母親を恨んだりもした。
飼い主がペットの死に向き合えないって辛い事だよ、ママ?
だがしかし、今の俺は母の気持こそしっかり理解していた。
死体を子供に見せたくなかった母親の気持、すなわち面倒だなって奴。
俺は当時の母のような気持ちでデューンに向き合っていた。
「新鮮な海に放してあげようよ。俺達だって気持ちが悪くなったら、冷たい水と新鮮な空気が欲しくなるだろ」
そんでもって、別の生き生きしたクラゲをその死骸と取り換えようよ。
「さすがだ!さすが勇者ノートの弟だ!」
デューンは俺の肩をがしっと掴んだ。
そして、眩しい光に両目を閉じた一瞬後、俺は潮風を受けていた。
キラキラした海。
ざぶざぶと海に分け入っていく巨体。
俺は片桐のクエストその一をクリアし、片桐に殺されそうなときはデューンに守って貰えそうな恩は売れたはずだと思いながら、クラゲの夫であるらしい大男の狂乱を眺めていた。
「本当だ!プルモーが生き返った!プルモーが元気になった!」
異世界初日の数時間にして、俺は生存のフラグは立てられたようだ。
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