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9
朝方まで起きていた那生達三人は、眠い目を擦りながら周のアパートの前で伸びをした。
「じゃ俺車とってくるわ」
欠伸をしながら神宮が車のキーをポケットから取り出した。
「あ、先生俺がそのクーラーボックス運びますよ」
昨夜とは別人のようにスッキリした顔の伊織に安心したのか、周の足は浮かれ、跳ねるように神宮の後を追いかけて行った。
「じゃ、俺らはここで待ってるか」
那生と伊織はその場に残り、神宮と周は近所のコインパーキングへと向かった。
「伊織君、大丈夫か? 眠いんじゃないのか?」
周のアパートの前にある、花壇を見つめる伊織に声をかけると、那生は向けられた顔に驚いた。
生まれたての朝日に縁取られた輪郭が金色に輝き、白い肌がそこに溶け込むよう煌めいている。まだ幼さを滲ませる美しい笑顔が眩しくて、那生はこれまで感じたことのない、母性のようなものを抱いていた。
「はい、平気です。何だか今日は頭の霧がスッキリしてます」
朝日の下で見る伊織の顔は年相応で、きっと本来の姿はこんなにも水々しくハツラツとしたものなんだと切なくなった。
「今から尋ねる刑事さんは、体はでっかいけど繊細で優しい人なんだよ。ちっとも刑事っぽくなくて、だから怖くないからな」
那生は南條の顔を思い浮かべながら、思い出し笑いをしていた。
「はい……那生さ——」
那生につられ微笑みかけた伊織の表情が、何かに怯え、見る見る青ざめていく。
「伊織君、どうした?」
「——伊織さん、お迎えにあがりました。病院に帰りますよ」
那生の背後から低い声がし、振り返ったと同時に電流が全身を襲い、那生はその場に昏倒してしまった。
「なおさん! なおさんっ——」
遠く伊織の叫ぶ声が聞こえたけれど、それは鳩尾に鈍痛を受けたと同時に途切れれてしまった。意識が薄れる中、無理やり体を車に押し込められる感覚。そこで、那生の意識は完全になくなってしまった。
車を移動させ、アパートの前に停車させた神宮は、二人の姿が見えないことに気づき、慌てて車を飛び降りた。
「那生ー、那生! どこだ」
嫌な予感がし、叫びながら神宮は那生のスマホを鳴らしてみる。けれど電源が切られているのか、繋がらない。
神宮の異変に周も助手席から飛び出すと、アパートの前を体を回転させながら注視していた。
「伊織、いおり! どこだ、伊織!」
必死で伊織の姿を求め、周がアパートの後ろの通りまで駆けて行く。その間も神宮は、スマホをかけながら辺りを見渡していた。
アパートを一周して戻ってきた周の顔が落胆して、今にも泣きそうになっている。
その顔を見ながら、神宮は自分の考えが甘かったことに茫然自失となってしまった。
那生達がどこかへ連れ去られてしまったことは明白で、そこを予想していなかった自分に腹がたち、握り締めた手の中に爪を食い込ませていた。
「せ……先生。那生さんのスマホ繋がった?」
息を切らしている周に神宮は、無言で首を横に振った。
「那生……」
「先生! これ那生さんのじゃ——」
周が指し示したのは、花壇の隅に落ちていた眼鏡だった。
「これ……朝かけてた。那生のだ」
「先生……伊織達誰かに連れ去られたんじゃ……」
膝から崩れ落ちた周が、神宮を見上げてくる。今にも泣きそうな顔で。
「俺のミスだっ……、離れるんじゃなかったっ」
「せ……んせい」
——くそ、くそっ! 俺の一番大切なものを……。
周の見上げた先にいた神宮は、猛火を目に宿し、見たこともない形相で怒りに震えていた。
「周、行くぞ!」
神宮は運転席へ乗り込むと、エンジンをかけた。周も慌てて助手席に戻ったが、体がまだ半分外に残った状態でアクセルを踏まれ、危うく落ちそうになる。
何とかシートベルトを掴み、助手席に滑り込んだ周が、重力に逆らうドアを必死で閉めながら「先生、どこ行くんですか!」と、一触即発しそうな神宮に声をかけた。
「決まってるだろ、警察だ!」
そう言い捨てると神宮は唇を噛み締め、一心不乱に車を走らせた。
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