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「こ、ここは……い、痛っ」  手足が拘束された状態で目が覚めた那生は、自分のいる場所を把握しようと薄闇の中で目を凝らした。  仄暗い空間は何処かの会議室のようで、部屋の隅には重ねられたパイプ椅子がオブジェのように積まれている。  椅子以外は何もない殺風景な部屋を見渡し、そこに伊織の姿が見えないことに愕然とした。 「伊織君どこだ! くそっ、ガチガチにくくり付けやがって」  結束バンドで自由が効かない体のまま引きずるように移動し、那生は閉じられたブラインドの隙間から外の景色を覗いてみる。  見下ろした先には真新しく舗装された駐車場が見え、那生のいる部屋から地面までの距離が、二階もしくは三階建ての高さほどの位置にいることが推測された。だか、見渡しても周りに居場所が分かるようなビルも店もなく、今自分がどこにいるのか、ここからでは知り得る手立てはなかった。 「スマホ……はやっぱ盗られてるか。環……、きっと心配してるだろうな」  手首に食い込む拘束具の痛みが那生の恐怖心を煽り、焦る気持ちが邪魔をして、この場所から逃げ出す術が一向に浮かばなかった。 「伊織君、無事かな……」  引き離された伊織を心配し、静まり返った部屋に独り言が吸い込まれていく。  闇に呑まれるような恐怖に囚われ、せめて体力だけは温存しておこうと、那生は闇の中でじっと息を潜めていた。  人の気配が一切感じられず、雑音すらない無音な状態が続き、恐怖と孤独で膝を抱え顔を伏せていた那生の耳に、聞き慣れた音が飛び込んで来た。  タイヤの音……。 「誰か来たのかも……」  逸る鼓動が期待からなのか、恐怖からなのか。それを確かめるために、拘束された足で跪き、再びブラインドの隙間から外の景色を覗いてみる。  僅かな視野から覗き見た駐車場に、一台の乗用車が侵入し静かに停車するのが見えた。  車に詳しくない那生には車種を特定することは難しく、車体の色がシルバーだと言うことしか分からなかった。せめて運転する人物を確認しようと注視していると、車のドアが開き運転席から一人の男が降車するのが見えた——が、那生はその人物を目にして声をあげそうになった。 「えっ! な、奈良崎先生?」  コンタクトがない目では視力が足りず、那生は少しでもクリアな視界を求めるよう、目を眇めて眼下を見下ろしてみる。  車から降り立った男性は、周りを気にする素振りを見せ、その姿は何かに警戒しているようにも見えた。そして行き先を迷うことなく、那生が囚われている建物とは別の方向へと行ってしまった。 「奈良崎先生に見えた……。でも先生なら何故ここに? やっぱりここは四聖病院と関わる場所で、先生は栞里さんのことを調べてるんじゃ……。それなら、もしそうなら先生が危険だ」  不自由な体をくねらせ、何とか拘束を解こうと那生はもがいていた——と、その時、扉が開く音がし、那生の心臓が緊張で凍りついていく。  僅かな日差しだけの薄暗い部屋に、徐々に近づいてくる影に怯えた。 「へー、かわいい顔してるじゃん」  濃厚になっていく気配と共に声が先に届いてきた。  声の持ち主がカーペットの上をゆっくり進んで来ると、スポットライトを浴びるように足元から徐々に顔を照らしていく。 「き、君は……?」  見覚えのない青年が那生の足先に辿り着き、不気味な笑みで見下ろしている。 「あれ、俺のこと知らない? はあ、まだまだだな、俺も」  背年は両手のひらを上に向け、肘を曲げた状態で大袈裟に呆れ顔をしている。 「君は誰だ……。こ、ここはどこなんだ」  恐怖で声が上擦りながらも、那生は目の前の青年を凝視した。 「俺はモデルの瑞季。CMも出てるんだけど、知らない? ちゃんと覚えてよね」  瑞季はポーズをとるように腰に手をかけ、臀部のポケットから隠し持っていたナイフを取り出すと、ギラつく刃先を見せつけるよう那生にかざして見せてきた。 「そ、そんな物出してどうするんだ。君、伊織君のお兄さんだろ、違う?」 「へー、それは知ってるんだ。そうそう昨夜は弟が世話になったね」  冷ややかな視線を那生に向け、ナイフに頬づりしながら瑞季は視線を合わせるよう、目の前に屈んできた。 「どうして俺が伊織君と一緒にいたのを知ってるんだ?」  目の前の瑞季に不快感しか感じない那生は、睨みつけるように聞いた。 「そんなの簡単だ。伊織には始終見張りが付いているからね。あいつがそれに気付いてないだけ。ね、それより見てこれ。このクリップポイントナイフの輝き。最近買ったんだ、美しいだろう」  冷たい刃先を頬に押し付けられ、今にも那生の柔肌に斬りつけんばかりに、血に飢えた獣のような眼を向けられた。 「や、やめろ……。い、伊織君はどこなんだ、無事なのか!」 「伊織? さあ俺は知らないな。親父に説教でもされてるんじゃね?」 「父親……? それじゃあここは四聖病院なのか!」 「聞いたところで、あんたにはどうする事も出来ないっしょ」  酷薄な唇からは、人間の持つ温かさなど一切伝わってこない。きっと那生が何を訴えても、聞く耳など持たない人種だと、否応なしに理解出来てしまう。 「……さっき年配の男性が来なかったか? シルバーの……車に乗ってた人だ」  奈良崎の事が気がかりな那生は、一か八か瑞季に尋ねてみた。 「年配? さあ俺は知らないよ。な、それよりあんたの肌を斬り刻ましてよ。いつもなら女しか殺らないけど、あんたかわいい顔してるから特別にやったげる」  異常者が言うようなセリフを平然とした顔で吐く瑞季に、伊織から聞いていた通り、この兄が連続殺人犯なんだと那生は確信した。  目の前にいる人間は、獰猛な獣のように興奮した眼をし、刃先を自分の舌に押し付ける様を那生に見せつけてくる。 「や、やめろ! 血が出てるじゃないか!」 「血? 血が何だって」  鮮血が滲む舌をあっかんべーというように向けられ、那生と言う獲物が怯える姿が可笑しくて堪らない様子で笑っている。その笑い声は狂者のように引き攣ったように聞こえ、部屋中に反響していた。 「い、伊織君に……伊織君に会わせてくれ!」  必死で懇願しても聞く耳を持たず、那生の側から離れた瑞季が部屋の隅に重ねてあるパイプ椅子を突然蹴り倒しだした。 「伊織、伊織ってうるせーなっ! あんな出来損ないっ!」  椅子を片っ端から蹴っていく姿を凝視しながら那生は両手で頭を覆うと、腕の隙間から暴れる瑞季の様子を観察していた。すると、再びドアが開き、スーツ姿の男が入ってくるのが見えた。  息遣いが荒くなっている自分に気付かない瑞季の体を、男は慣れた手つきで制止しさせ、那生をチラリと一瞥してきた。 「瑞季さん。理事長がお呼びです」  男に背後から羽交い締めにされ、常軌を逸した瑞季の動きは次第に終息を見せたが、阻止された怒りは治らず、鋭い眼光で男を睨みつけていた。 「さあ、行きますよ」  男にうながされてもまだ暴れ足りないのか、舌打ちをすると散乱した椅子を足蹴に八つ当たりをしている。  瑞季からの攻撃の矛先がいつ自分へ向くかと、部屋の片隅で竦んで見ていた那生は男と目が合った。  男が大人しくなった瑞季の腕を離すと、今度は那生の方へ近付き、強引に腕を掴まれそのまま無理やり立たされた。  拘束された体は安定を保てず、ふらついていると足の結束バンドを切られ、「あなたも一緒に来てください」と、抑揚のない声で命令された。  数分前に見た狂者のようだった姿は消え、ナイフを弄ぶ瑞季を先頭に、那生は腕を掴まれた状態で男に引きずられるように部屋を出た。  ここから逃げ出すチャンスもなく、那生は心の中で神宮の名前を呟いていた。
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