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「ねー、まだ続くの? その三文芝居。俺全然目立ってなーい」  痺れを切らした瑞季が、指で器用にナイフをくるくる回し愚痴を溢している。 「瑞季の言う通りだ。奈良崎さん、そろそろ本題に移ってもいいのでは。悠長に事を運ぼうとするのはあなたの悪い癖だ」  奈良崎に先急がせるよう示唆すると、久禮が部下に何やら合図をした。その号令を待ち構えていたが薄暗い廊下から影を揺らし、徐々に近付いてくる輪郭が次第に露わになってきた。 「はあー。でた、出来損ないの『犬』が」  面白くなさそうな顔をする瑞季が、自分の出番はないと言うように、側にあった椅子に座って足をぷらぷらさせている。  瑞季の代わりに那生達の前に立ちはだかったのは、陽炎のように体を揺らせながら近付いてくる二人の青年だった。 「何、あの人達……。何であんなに目が虚ろなんだ」  焦点が合わない姿は不帰(ふき)の客のように、生きている気配が感じられなかった。 「那生、伊織、俺の側から離れるな」 「頑張るね、神宮。でも、お前は本当にここから無事で出れるとでも思ってるのか? もしそう思ってるなら、お前は馬鹿で単純な男と言うことか」  体を張る神宮を奈良崎が嘲笑うように言った。 「そうですね、俺は馬鹿だ。もっと早くあなたのことを理解してればよかった」 「お前ごときに私の何が理解出来たと言うんだね。それより自分の身の心配をした方がいいんじゃないのかな」 「……どう言うことだ」 「お前にはここで死んでもらうってことだよ、この子達の手によってね」  愉快そうに吐き捨てる奈良崎が、無表情の青年にナイフを握らせると、まるで動物を躾るように頭を撫でていた。 「従順に飼い慣らしましたね、奈良崎さん」  口の端で笑う久禮に対し、痙攣に似た笑みを向けた奈良崎が、『犬』と呼ばれる青年をゴミでも見るように見た。 「久禮さん、本当に大丈夫ですか? 今後、瑞季君のような完成形ができますか? この二人は見る限り未完成だ。失敗作と言ってもいい。今のところ成功例は瑞季君だけでしょう?」  奈良崎の言葉に、久禮が鼻で笑った。 「試作品を改善していくのが研究者でしょう。この二人があってこその完成形(みずき)ですよ」 「では……那生は完璧に仕上げられると言う事ですね。郷司先生」  白衣のポケットに手を突っ込み、傍観していた郷司が大きく溜息を吐く。 「あなた達は簡単に言いますけど、ロボトミー手術みたいな古めかしい方法はナンセンスなんですよ。頭蓋骨に穴を開けて、脳の前頭葉の一部を切除する。前頭葉を傷つけ、高次脳機能障害を人工的に(おこ)すのは中々至難の技なんですよ。ましてや従順な性格に作り変えたり、瑞季みたいに凶暴性を強調する人間なんて……。いっそ、言いなりになるようにプログラムしたチップでも埋める方が手っ取り早い」  逆ギレに近い態度で郷司が久禮に反発した。 「古の先駆者に出来て、現代を生きるお前に出来ない事はないだろう」  鼓舞するような言葉を言っても、久禮達の会話は人間がするものではない。  那生は蒼白した表情で、震える唇を開いた。 「郷司先生……ロボトミーは禁忌のオペですよね。不可逆的な人格変化を伴い、人間性を奪ってしまう……やってはいけない手術だ。それをこの人達や瑞季君に実施したのか! しかもあの二人はまだ子供じゃないですかっ」 「禁忌? 那生、それはどう言う事だ?」  悪逆無道な人間に対し、目に涙を滲ませながら、那生は問いかけてきた神宮の方を見た。 「……ロボトミー手術は、元々は激越型うつ病って言う精神疾患を治療する手術だった。脳の各器官を繋ぐ白質って言う神経繊維を一部破壊して、各器官の連絡経路を断ち切ってしまうんだ。繋がりを断てば、機能不全の前頭葉から他の器官への連絡が行かなくなってしまう。前頭前野が破壊された人は、人間らしく生きることが出来なくなることがあるんだ……」 「外科医でもないのに、才原先生はよくご存知ですね。先生が言う通り、これは手の凝った手術なんです。額に穴を開けて前頭葉を破壊し、神経繊維を切り離すと言った難易度の高い手術だ。脳外科医でもない俺にはかなりね。狙いが定まらなくて、こんな人間しか作れなかったよ。その中で唯一の成功例は瑞季だ。彼は奇跡なんだ。だからね、才原先生。安心してオペを受けて下さい。二人目の成功例になるんですよ。成功すれば世の中は変わる、例えば凶暴な犯罪者を穏和な性格に変えてりとかね。本当に素晴らしい計画だよ」  愚行な行為をさも正義だと語る郷司を侮蔑した目で見つめ、那生は心が破壊してしまった青年を見て流涙した。  術後の後遺症で人格の損失や、人間性を失って感情のコントロールができず心が破壊されてしまった。そんな非人道的な人間を故意的に作り出そうとしていた人間は、人の皮を被ったバケモノだ。殴る価値もない。 「高次脳機能障害で過剰にドーパミンを排出させ、あんた達が利用しやすい人格を生み出したんだな……」 「利用しやすい人格……? 那生、どう言うことだ」 「本来——この禁忌な手術では乱暴で粗野な性格を、大人しい性格に変えたりするためのものだと聞いた事がある。でも……」  神宮の背中から一歩前に踏み出し、那生は久禮と奈良崎に近づいた。 「でも——なんだね? 那生」 「那生! よせっ」  奈良崎と対峙しようとする那生は、行く手を阻止する神宮の手をすり抜け、上っ面だけが人間な悪魔を真っ直ぐ捉えた。 「でも、その逆を実行したって事ですよね。瑞季君の人格を乱暴で手の付けられない性格に変えてしまった。そしてその二人もそうしようとした、けれど施術は——」 「そう、失敗だ」  苦笑いしながら久禮が、さも残念そうに嘆いて見せてくる。 「何を笑ってるんですか! この人達はあなたのくだらない思考で感情が消失し、人間らしさを失ってしまったんだ。そんな悍しい事、人間が人間に下してはいけない!」  全身で訴えかける那生を、久禮が無言でジッと見ている。 「……いいですね、奈良崎さん。彼のこの真っすぐさ」 「分かっていただけましたか。この素直でかわいい那生の人格が変わり、私達の言葉にしか従わなくなる。それを想像したら興奮するねぇ」 「それは同感だな、奈良崎さん。四聖病院に来た時から、才原先生の白衣姿を切り裂いて、傷をつけ、その血を肌ごと舐め回す。そんな妄想ばかりしてましたからね」  ベロリと舌を唇に這わせ、郷司が物欲しそうに那生を見てくる。  自慢げに鼻で笑う奈良崎に、教室で優しく微笑んでいた姿はもう微塵もなかった。  彼こそが禁術を使い、別人になってしまったのではと思えるほどに。 「お義父さん……それを僕にもしようとしたんですね」  怯えていた伊織が涙を溜め、瞬きもせず父親と言う名の男を凝視した。 「お前は失敗作以前の問題だ。麻酔薬が使えなかったんだからな」 「郷司ってば、ビビっちゃてお前に実践するのは嫌だって言い出してさ。本当根性ないんだから、こいつ」  郷司を小心者と、瑞季が愉快そうに囃し立てている。 「仕方ないだろ! あんな風に目の前で痙攣されて白目剥かれたら、誰だってビビるって」 「だからちまちまと認知障害がでるように、注射してたんだろ。自業自得だっーの」 「うるさい! あの治療のお陰で伊織の記憶は葬り去ることできただろーが」  腹を立てた郷司が、瑞季に唾を吐き捨て罵倒した。   「認知障害……? 催眠療法じゃなかったんですか……先生。ぼ、僕の心が病んでいるからって、治療してくれてたんじゃないんですか!」  わなわなと震えて訴える伊織に、瑞季が高笑いした。 「ほんと、馬鹿だなお前は。手術じゃなくて、違う方法で実験されてたんだよ」  瑞季の話す意味がわからず、伊織が郷司に視線を向けると、やれやれと言った顔でカラクリを教えてやろうと、郷司が恩着せがましく言ってきた。 「伊織君に使ったのは、向精神薬で普通に患者へ処方するものだ。でもこれには副作用が出る場合がある。僕はデータを収集するために、症状もない、健康体の伊織に投与すればどうなるのか、試したかったんだ。そしたら見事に副作用が発露した。伊織は過去を忘れたのではなく、思い出せなくなったんだ!」  楽しそうに話す郷司を見て、那生が胸ぐらを掴もうとした。だが、虚な青年がそれを阻止するよう、那生の手を掴んでいる。 「薬剤誘発性認知症——。才原先生も聞いたことあるでしょう? 医者なんだから。強い抗コリン薬の用量依存症で、全認知症やアルツハイマー病の発症を増加させる症例もある。それをちょっと伊織君で試した——」 「ふざけるなっ! 何がちょっとだっ! 人の命を何だと思っているんだ。曲がりなりにも医者だろ、人の命を救う仕事だろっ! 命を冒涜するようなことをして。あなたは恥ずかしくないんですかっ」  涙ながらに那生が訴えても、郷司の顔は好みの音楽を聴いているような顔をしている。 那生は喉の奥に手を突っ込まれたような嘔吐反射を感じ、これまで耳にした凄惨な言葉を吐き出したくなった。 「さあ、余興は終わりだ。郷司、那生と伊織を早く治療しろ。彼らには別世界で生きてもらう。多幸感に溢れる世界をね」  奈良崎の言葉を合図に、二人の青年が側にいる那生と伊織に襲い掛かろうとしてくる。 「那生、下がれ!」 「ダメだ! 伊織君あぶな——」 「那生!」  伊織に飛びかかろうとした青年の一人を那生が庇い、振りかざして来るナイフを持つ手を必死で支えていた。その横では、もう一人の青年が、神宮を襲っている。 「ち、力つ……よい」  那生の側に駆け寄ろうとした神宮の行手を、今度は堅山が阻止して来る。 「那生! 伊織!」  力が衰えない腕が那生へ襲い掛かろうとした時、伊織が青年に体当たりし、咄嗟に那生を庇った。だが間髪入れずナイフの先端が弧を描き、伊織の白い肌をかすめると、鮮血が白いシャツを赤く染めた。 「伊織君!」 「へ、平気です。少し切れた……だけで……す」  伊織の傷を心配をする暇さえ与えられず、青年が再び那生に目掛けてナイフを振りかざそうとしてくる。 「那生! 危ないっ!」  堅山と青年に腕を取られたままの神宮が叫んだ時、那生の頬にポタリと水滴が舞い落ちた。  ——え、涙……?  那生にナイフを突きつけながら、無表情の青年の目から涙が溢れ、那生の頬にポタポタと落下してきた。 「君……悲しいのか? そうだよな、こんなことさせられて悲しいんだよな……」  振りかざされているナイフを忘れ、那生は青年の身体を力強く抱き締めた。 「もうこんなことしなくていい、こんな悲しいことを……」  抱き締められたままでも、まだ暴れる青年の耳元で那生は宥めるよう、静かに囁いて背中を優しく撫でた。 「那生、そんなことするなっ! 早くそいつから離れろ!」  神宮の声が聞こえていても、那生は暴れる青年を抱き締めたまま、久禮と奈良崎を睨みつけた。 「久禮院長、あなたはこの二人意外に何人の子供を手にかけたんですか」  低く、怒りに満ちた声で那生が呟く。憤怒の炎が消えず、胸の奥でずっと燃え続けている。 「君は何を言ってるんだ。人聞きの悪いこと言わないで欲しいものだね」  久禮が心外だなと、冷笑し那生を見てくる。 「俺は以前、彼らと同じように、心が壊れた子供を治療したことがある。発見されて病院に運ばれて来たあの子も同じような虚ろな目をして、自分の名前すら分からなくなっていたんだ」  那生は泣きながら、以前救急で運ばれて来た少年のことを思い出していた。 「戯言を。何を証拠に言ってるんだ」 「そう、証拠なんてないんですよ。でもね、医者として治療した俺にはわかる。この人達もあの少年も、身も心も傷をつけられて記憶を奪われた。汚い大人の私利私欲のためにね」 「私利私欲の何が悪い。働いて金を儲けることは君だってやっていることだ。そのために必要なものが彼らだと言うだけだ。言わば治験だよ、医者の君らもやっているだろう。新薬だの、ロボット手術だのを真っ先に実施するのは余命宣告されて弱った患者にだろう。そうやって治験に加担してるのと、私達がしている事とどう違う」  人道から逸れたことを当たり前のように、正当化して弁論する久禮に、那生の言葉は響かない。それどころか、医療の世界で居座りながらも、治験を冒涜する発言に那生は同じ医師免許を持つ人間なのかと、怒りでおかしくなりそうだった。 「あな……たって人……は」 「那生、もういいこっちへ来い!」  叫んだ神宮が堅山の鳩尾に肘鉄を喰らわせると、怯んだ隙に頬を殴りつけた。すかさず青年が襲ってきたが、それを難なく交わす神宮のポケットから、周に持たされた『お守り』がこぼれ落ちた。  それが伊織の側まで転がると、鮮やかな黄色に目が止まり、伊織は咄嗟にそれを拾い上げた。 「何……これ。カプセル?」  丸みのある小さな黄色いプラスチックから垂れ下がる紐に気付き、伊織がおもむろにそれを引っ張った。すると、けたたましいブザー音がロビーに鳴り響き、その音を耳にした瞬間、那生の腕の中にいた青年は叫び声を上げたかと思うと攻撃の手を緩め、握り締めていたナイフを手放し、そのまま気を失ってしまった。 「かわいそうに……こんなことに……巻き込まれて」  溢れ出る涙と共に煮えたぎる感情がこみ上げ、那生は落ちていたナイフを無意識に握り締めていた。 「よせ、那生! そんなもん持つな!」  堅山と格闘していた神宮が、思いっきり下顎にこぶしを突き上げ、その場に倒れ込んだ隙に那生のもとへと駆け寄った。 「那生、それを離せ……」 「許せない……こいつら。先生も……」  増悪する憎しみが溢れた目の那生に神宮の声は届かず、刃先を久禮と奈良崎にナイフを向けている。 「もー、だから『犬』はダメだって言ったじゃん。やっぱ俺が始末しないと」  出番が回ってきたと喜ぶ瑞季が、那生の前に立ちはだかった。 「瑞季とか言ったよな、俺が相手だろ。もう忘れたのか」  那生が握り締めているナイフを強引に剥ぎ取られ、神宮がそのナイフを手にし、瑞季の意識を自身に向けようとしていた。 「神宮、ダメだ、返せっ!」 「そのセリフそのままそっくり返すよ、那生」  いつもと変わらない神宮の笑顔が胸に刺さり、那生は正気に戻ると、危険に晒される神宮に不安を募らせる。 「俺はどっちでもいいけどな。結果は同じなんだからさっ」  攻撃的な言葉を吐くと同時に舌舐めずりをしながら、瑞季がナイフを振り上げて飛びかかって来た。 「やめて! 兄さん!」  伊織が大声を上げ、瑞季を制止しようと下半身にしがみ付いた。 「離せ、伊織! 役立たずは引っ込んでろ」  執拗にぶら下がる体を揺さぶり、瑞季が振り払うと、伊織の体を突き飛ばした。 「嫌だ! もうこれ以上兄さんの手が汚れるのを見たくないっ」  泣き叫んで訴えても、伊織の言葉は無慈悲にも瑞季には届かない。その証拠に瑞季の顔は喜悦で溢れていた。 「邪魔すんならお前を先に殺すぞ」  神宮を後回しにした瑞季が、伊織の首筋へとナイフを突きつけている。 「いいよ……。僕を刺して気が済むなら。だから僕で……殺すのは最後にして」  慈悲を乞うように瑞季の下肢にしがみつき、精一杯の力で兄の行手を塞ごうとしている。 「お前の命ごときで、この場を回避できると思ってるのか、笑えるな」  常軌を逸した瑞季の心に伊織の願いは届かず、自分を戒めるように、瑞季の手ごとナイフの柄を掴んだ伊織が、刃先を自身の胸に振り下ろそうとした。 「やめろ、伊織君! 君が死ぬことはないっ! 君には周君が待ってるんだよ」  那生が放った『あまね』と言う言葉を聞き、伊織の手が一瞬静止すると、眸から涙が溢れ出した。 「なんだ、もう終わりか伊織。やっぱつまらない奴だな、お前は」 「瑞季」  傍観していた久禮が、静かに叱責するよう名前を呼んだ。 「何、父さん」 「さっさと全て排除しろ。お前には造作もない事だろ。私も忙しいんだ」 「分かったよ。じゃ、ご希望通りお前から殺ってやるよ」  刃先を舌で舐め、瑞季が伊織の胸ぐらを掴み、悲観して項垂れる体を容易く持ち上げた。 「よせ、お前の弟だぞ!」  神宮の発した言葉を聞き、瑞季は空間を切り裂くように高笑いをした。 「こいつと俺が兄弟? ハッ! こんな無能な奴、兄弟でも何でもない」  瑞季の手を止めようとした神宮が、新たに駆けつけた部下に羽交い締めされ、堅山と一緒になって動きを封じ込めらてしまった。 「くそ! 離せ!」 「那生はこっちだよ」  いつの間にか背後に忍び寄っていた奈良崎に、那生は後ろ手を縛り上げられてしまった。 「や、やめろ! 先生。もうこんなこと——」 「おい、奈良崎! 那生に手ー出すな!」  八方塞がりになり、反撃の手立てを失った神宮の目が、遠くで動く影を捉え、虹彩の中央部分だけでを確認すると、気付かれないように、小さく首を縦に振った。
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