最終章

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最終章

 お手数ですが明日署にきてくださいね——。南條にそう言われて帰宅を許され、神宮の車で那生のマンションまで帰ってきた。 「……周君、南條さんに許可もらって、警察に付いて行ったんだよな」  家のドアの鍵を開けながら、那生は背中にいる神宮に呟いた。 「そう……だけど。那生、その質問三回目だぞ。病院を出た時も、車に乗っていた時にも言ってた」 「え? そ、そう……か。悪い……疲れてるのかな」  周のアパートで拉致されたのが早朝で、今はもう夕方だ。身も心こもへとへとのはずなのに、さっき口にした返事は嘘だった。  いや、正直に言えば疲弊はしている。けれどそれを上回る緊張が、那生の思考をおかしくさせている。  スリッパを出して神宮を招き入れると、那生はカーテンと窓を開けて空気を入れ替えた。 「えっと、何か飲むか……。ビールはダメか、車だもんな。珈琲——でも、あ、そっかメシ食うし食後のがいいか。神宮、お茶か炭酸水どっちが——」  キッチンで冷蔵庫を開けながらブツブツ言っていると、背中に気配を感じ、振り向くとすぐ側に神宮が立っていた。 「じ……んぐ——」 「那生」  言いかけた名前を言下に遮られ、真剣な眼差しの神宮を伺うように見上げた。 「な……に」 「……お前に確かめたいこと——いや、聞きたいことがある。だから疲れてるのを承知で部屋に上げてもらった」 「聞きたい……こと?」  神宮の言葉をなぞると、那生は頭の中の引き出しを引っ掻き回した。  ——何を聞きたいんだ。高校以来会ってなかった俺に……。  立ち竦んだまま言い淀んでいる神宮をリビングに誘導し、ソファに座ったのを確認すると、那生はコップにお茶を入れてテーブルに置いた。 「……なあ、神宮。その、話って——」 「那生、同窓会の日、奈良崎と話してたろ、高二の時にご両親が、その……」  あの日、卒業して以来会ってなかった奈良崎に、改めて支えてもらったことの礼を言ったのは今でも感謝していることだ。今回、奈良崎に酷い目に合わされたけど、そんな彼から高校生の那生が救われたのは事実だ。 「ああ、両親が死んだ話か……。でもそれは当時説明したろ? 葬式やら何やらで休んでたしさ」 「そうだな。那生とは高一だけだったからな、同じクラスになったのは。だからご両親のことも、学校を休んでいたことも後で知った」 「それがどうかしたのか。後で知ったからって気にすることじゃ——」 「那生。俺が聞きたいのは、奈良崎に礼を言ってたことだ。ご両親が亡くなったことで、あいつに礼を言うことなんかあるのかなって……。同窓会の時、俺が来たタイミングだったからさ、お前が奈良崎に頭を下げているのを見たのは。だから気になってたんだ」  眉根を寄せて苦しそうな顔をする神宮を見て、那生は不思議に思った。  なぜ、神宮はそんなことを気にするのだろうと。あの時の奈良崎と那生の会話や様子は特別、変わったことはしていない。普通の会話だったと思えるのに。 「神宮が何で気にするのかわからないけど、先生に礼を言ったのは……」  話す事を躊躇してると、神宮が頭をポンポンと叩き、「言いにくいことだったらいい」と、微笑まれた。 「……いや、平気だ。俺、俺あの人に自殺しようとしたところ止めてもらったから……だから礼を——」 「自殺! 那生お前……」  神宮が目を見開いてこちらを見ている。そりゃそうだ、あの日、突発的に起こした自分の愚行なことを、改めて友達に言う必要はないのだから。 「ごめん、ずっと黙ってて……」 「お……いや、お前、いつそんな……」  動揺を隠しきれない神宮が、睫毛を伏せてしまった。那生はこんな顔をさせたくなくて、ずっと話さなかったし、何より自分が忘れたかったことだから、誰にも話さなかったのだ。 「俺の両親が交通事故で死んだ時、葬式で親戚の人が話していたのを聞いたんだ。両親は実の親じゃないってのをね」 「えっ!」 「もー、びっくりだよな。今まで何も疑わず、親子やって来たってのに」 「な……お」  予想外の告白に神宮が愕然とし、言葉を詰まらせている。 「おまけに親戚に借金してたみたいで。俺の耳に届いて来たのは事業に失敗した自殺じゃないのかって雑音ばっかだった……」 「それで……那生……」 「あ、うん。両親はとってもいい人だったよ。今思えば他人の俺を普通に育ててくれてたんだもんな。だから心無い人達の言葉があの時の俺には余計に悲しかったんだ。俺を引き取ったのも、子供ができなかったからだって、顔も知らない親戚が言ってたな……」  葬式の日のことが鮮明に蘇り、胸が苦しくなる。両親と血が繋がってないのだから、親戚の人達とも当然他人だ。誰が好き好んで、他人の子供の面倒を見るのか。当然、そんな人間は誰一人いなかった。 「お前、両親の後を追うつもりだったのか……」  神宮の言葉に那生は黙ったまま、否定をしなかった。 「……両親が亡くなって、葬式やら色んなことに追われててさ。住む場所も、借金を返すために売るって言われた。俺は親も、住む場所も失くなってしまった。だから、高二だけど、未成年だから施設に行く話が出たんだ」 「し……せつって、養護施設ってことか?」  神宮の質問に那生は無言で首を縦に振った。 「俺も覚悟したよ。元の場所に戻るだけだろって言い聞かせて。でもその時、葬式に参列してくれた先生が、親戚の人に言ったんだ、一緒に住むのが無理なら、せめて保証人にでもなってくれと」 「保証人って……部屋を借りる?」 「そう。家賃も家を売ったお金と保険金があるはずだって。先生は借金の件を知り合いの弁護士に頼んでくれて、返済の手続きやら、残ったお金を息子の俺に全額渡るように手配してくれたんだ」  那生はここまで一気に話すと、お茶をひと口飲んで、続きを話し出した。 「高校生の俺に、葬式、墓、借金、部屋を借りる、って言う、ちんぷんかんぷんな手続きを全部、先生がやってくれたんだ。ほっとくと、親戚連中のいいようにされかねないって思ってくれたんだと思う」 「……だから那生は、先生を守ろうとしたんだな」 「……結構世話になったしね。おまけに恩を仇で返すみたいに死のうとしたし」  ソファに座る神宮の足元に座っていた那生は、あぐらから膝をたて、体操座りのように自身の膝を抱えた。無意識に体を小さくし、過去の情けない自分を体の中へ閉じ込めるように。 「死にたくなったのは、両親の死や、心無い親戚だけが原因じゃなくて……」 「じゃなくてって、他にもあるのか?」  座ったままの神宮が身を乗り出し、那生の体に近付く。  緩くウェーヴした髪が、那生の頬に触れそうで触れないくらいの距離まで。 「バタバタして悲しむまもなくて、でも学校は普通に授業もテストもあるだろ。正直、俺はもうどうでも良かった、学校も進路も。だから死ぬ前に、自分の気持ちを浄化させようと——」 「浄化……? 何だ、それは」  鼓動が煩いくらい急き立て、那生は自然と生唾を飲み込んだ。そして周の勇気を見習うよう、意を決して口を開いた。 「神宮の……席に座ったんだ。机に触れて……頬づりしてお前を感じてたんだ。本人に触れることは許されないことだから」 「それ……」 「あの時、神宮に見られたよな。俺、焦ってパニックになって。まさか本人に目撃されるなんて思わなかったから……恥ずかしかったのと、気持ち悪がられて嫌われてしまうかと思って……」  必死で笑顔を作り、那生は会話の隙間を作らないよう話を続けた。 「ずっと親友だった神宮に、俺の邪な気持ちがバレて、友達でいることを拒否されたらどうしようって思った。……だから怖くなってそのまま屋上に向かったんだ」  平静を装っているつもりでも、那生の声は次第に涙声になり、虹彩が雫を含んで膨れ上がってくる。 「那生……俺——」 「俺は、俺はこの時、両親と親友をいっぺんに失くしたと思ってしまって、もうどうしていいかわからなくなってた」 「それで死のうとしたのか……」  無言で首を縦に振り、那生はそのまま顔を伏せた。 「……飛び降りようとした時、奈良崎先生に引き戻されてさ。俺が屋上へ走って行く姿が尋常じゃなくて、追いかけて来てくれたんだよ」 「だから、あんな事された今でもあいつの事気にかけてんだな」 「ああ……。とんでもない人だったけど俺にとっては命の恩人だったし、頼れる大人はあの人だけだったからな……」 「お前は馬鹿だ……」  唐突に非難され、那生は泣き顔でムッと神宮を睨み返した。 「そうだよ、俺は馬鹿だ。馬鹿だけど、真剣にお前のこと——」 「でも、もっと馬鹿なのは俺の方だっ! 俺がお前を屋上まで追いかけていけば良かった。奈良崎なんかじゃなくて、俺がお前を救いたかったよ」  目の色を変えて訴えてくる神宮に、那生がポカンと口を開けて凝視していると、膝に置いていた手を取られ、力強く神宮に握り締められた。 「じ……んぐう。どうしたん……だ」 「お前は……本当に馬鹿だ……人の気持ちも知らないで」  那生の腕を握ったまま、神宮が項垂れていると、気になった那生がその顔を覗き込んで、「人の気持ちって?」と、聞き返した。 「……お前が座って頬擦りしたって席は、晃平の席だ」 「え? こ、こう……へい?」 「そう! その席は晃平の席。で、俺はその後ろ」 「え、え! う、嘘だ。だ、だって俺あそこに座ってる環を何度も見た——」  慌てふためいていると、額を指で突かれ、神宮が拗ねたような顔で那生を見ている。 「いつだったかは覚えてないけど、晃平より俺のが背が高いから前が見えづらいって、あいつが文句言うんで変わってやったんだよ。だから俺があいつの席に移動したの」 「そ……んな。じゃ、俺は……」 「那生は晃平の席に触ったり、頬擦りしたりしてたんだよ」  神宮がそう言い切ると、顔をそっぽむけてしまった。  那生は頭を抱え、顔を真っ赤にしてた。 「俺って本当ばか……」 「ショックだったよ。那生は晃平が好きなんだって思ったから」 「こう……へいの机に……俺、頬づり……したんだ」 「そう。それにな、俺の方が先にお前を好きになった。でも、これも俺は馬鹿だったんだ……。若気の至りじゃないけど……」  神宮の手はまだ那生の手首にあり、離そうとしてこない。それを嬉しく思いながらも、那生は神宮の続きの言葉が気になって語られるのを待っていた。 「俺さ、高校入学して部活はバスケ部に入ろうと決めてたんだ。ルールなんてわからないけど」 「バスケ部に? 初耳だ。でも何で入部しなかったんだ?」 「……それは入学して、那生を見つけたからだ」  神宮の言っている意味がわからず、那生が首を傾げていると、 「那生を探すための理由でバスケをやる。でも、同じ高校に入学してたんだ、部活を同じにしなくても会える。だから入部はしなかった」 「あ、ちょっと待って。意味がわからない。俺を探してた? 何で? 神宮は高校より前に俺のことを知ってたって言うのか?」  那生の質問に、神宮は知っていたと、顔を逸らしたまま答えた。 「中三の総体。那生達みたいな運動部の三年生は最後の試合だろ? 俺のダチもそうだったから、最後に試合を観に行ったんだ。その時、相手の学校が那生のいたとこだった」 「え、総体の試合観にきてたのか。でも、どの試合だろう……。俺ら敗者復活戦で何とか三位になれたけど、その試合かな……」  首を捻って考えていても、ギャラリーのことまで覚えてない。 「どの試合かはわからない。会場も知らない学校だったし、覚えてないな。でも俺はそこでお前にを持ってかれたんだ」  そう言って、神宮が人差し指で自分の心臓のあたりを指さした。 「それはどう言うこと……だ」 「那生を見た試合は、応援するのにコートのすぐ横で観戦できたんだ。バスケを間近で見たことなかったから、俺はコートのすぐ側でダチを応援した。両チームの点数もせってて試合が白熱してきてさ、俺も夢中で応援してた。その時、コントロールを誤ったボールが、コートのラインの際に立っていた俺のとこへ目掛けてとんできたんだ。顔面に直撃しそうだったのを、相手チームのひとりが俺の前に手を出して、ボールを片手で受け止めた。それが那生、お前だったんだ」  一気に言い切ると、神宮が深い溜息を吐き、那生の顔をじっと見てくる。 「かっこよかったんだよ、お前。俺の前からボールを取って、そのままドリブルしてシュートを決めた。背は小さいのに、すばしっこくて、でも大きく見えた。残りの時間は、ダチには悪いけど、那生の姿ばっかり追って見てた。多分その時からお前に惚れてたんだ、男を好きになったことなんてなかったけど、那生だけは何の違和感もなく、素直に好きだと思った」  神宮が言い終えると、今気付いたと言わんばかりに、那生の手首を離し、悪いと、小さく呟いて俯いてしまった。 「中三の時から……。本当……に? あ、でもお前は女の子と付き合ったじゃないか。えっと、確か高三の俺がバスケ部を引退する前くらいに。ご丁寧にバスケ部が部活中の、体育館で告られててさ。で、その後その子と付き合ってたじゃないか」  神宮から解放された腕を胸の前で組むと、今度は那生がそっぽを向いた。 「あー、あれはお前の気持ちを確認するためだ。それで……呼び出しの場所をわざと体育館に指定した……」 「気持ちを確認? どう言うことだよ。それに告白場所を指定して、好きでもない子と付き合うなんて、相手の子が可哀想だろ」 「それは大丈夫。お試しって言っておいたから」  平然として言う神宮に、那生は開いた口が塞がらなかった。 「……それで、俺の気持ちって何だよ」  呆れた感情を思いっきり込めて聞いた。 「……那生が本当に晃平を好きなら諦めようと思ってた。でも、時々お前から感じる視線が甘くて、俺は諦められなかった。晃平と特別な関係になってる雰囲気もなかったしな。だから俺は、お前の好きなメロンパン渡したり——」 「ちょ、ちょっと待て。お前、俺を餌付けしようとしてたのか!」 「そう言うわけじゃない。たまたま一度渡した時、那生がめちゃくちゃ喜んでたからよっぽど好きなのかって——」  開いた口をさらに広げ、顎が外れそうになる。それほど神宮の発言に返す言葉がなかった。 「那生、メロンパン好きだろ? この間も病院で食ってたし」  能天気な神宮の質問に、「好きなやつから貰ったらものは、何でも嬉しいに決まってる」と叫んでしまった。  おかしい。神宮はこんな人間だったのだろうか。那生の知る神宮は、口数が少なくて、でもいざという時の発言や振る舞いは、誰もが舌を撒く完璧な男だ。なのに、今聞いた話は、好きな相手の気を引いたり貢いだりと、何とも可愛らしい行動をしていたのだろうか。  那生は目の前で耳を赤く染めている姿が愛しくてたまらなくなり、もっと聞きたいと、もう他に聞きたいことはないのかと尋ねた。 「ある。とても重要なことだ」  真顔で眸を覗き込まれ、那生は思わず生唾を飲み込んでしまった。 「……何で、那生は俺のことを苗字で呼ぶんだ。高校の時は名前で——環と呼んでくれていたのに。久しぶりに同窓会で再会した時は神宮と呼んでくる。時々、感情的になると、昔のように名前になってたけど、冷静な時や今も……お前は俺を神宮と呼ぶ……。それが俺は悲しい」 「じん……環……。それは——」 「那生。俺はお前に執着している。しまくっている。那生しかいらないし、触れたいのも那生だけだ。バスケの試合を観たあの日から、俺はずっとお前しか見てない。何年も想い続けてるなんて、気持ち悪がられても——」 「そんなことないっ! 俺だって、高一から今も……ずっと、環だけだ。環のことが忘れられなくて、同窓会でお前と会えば、押さえていた気持ちが浮上する。俺はゲイだから、ノンケのお前が他の誰かと一緒にいるのを見たくなかったし、噂レベルの話でさえも聞きたくなかったんだ」  燻っていた想いを吐き出すと、那生は恥ずかしさのあまり俯いてしまった。すると、神宮の手で顎を掴まれ、そのまま上向きにされると、ウェーヴのかかった前髪の隙間から熱っぽい双眸を浴びせられた。 「じん——たま……き。俺……」 「那生……」  名前を呼ばれた、ただそれだけの事なのに胸が痛くなり、鼓動や脈が急き立てるように那生を追い詰めてくる。 「な、何?」 「俺は悔しい……」 「ど、どうした急に」 「俺は何にも知らなかった……お前が辛かった時も側にいたはずなのに気付かなかった」 「環……」 「那生って人間を知るほど好きになったし、何だかほっとけないやつだとも思った。奈良崎のことがあったにしても、どっか危なっかしくて。そんな那生を俺は見てたはずなのに……」  クールで無敵な神宮は鳴りをひそめ、那生の前にいるのは今にも泣きそうな顔をする大切な人……。 「ごめん、親のことを話せば、自殺しようとした理由も紐付いてくるから話せなくて。こんな俺は重すぎて、親友でもウザいと思われるのが——」 「思うわけないだろっ! こんなに、那生のことが好きなのに……思うわけない。那生を慰めるのは、いつだって俺の役目でありたかったんだ」 「ごめん……環」 「謝って欲しいんじゃなくて俺は——」  言い終えないうちに、那生の体は神宮の腕の中に引き寄せられていた。
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