最終章

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「浮かれ過ぎだな、あいつ」 「仕方ないよ、思い続けていた人と一緒に生きていけるんだ。それに……」 「それに——?」 「あ、いや何でもない。それより南條さん来るの遅いね」 「あいつはいつも来んの遅いんだよ」  神宮が頬杖をつきカフェの入り口に目を向けながら、「那生、さっき——」と、口はしかけ、見知った顔の登場で神宮はその言葉を中断した。 「あ、環。南條さん来た」  騒々しい足音をさせ、額に汗を光らせる南條が二人の元へとやって来た。 「すいません、遅くなりました」 「あんたが遅いのにはもう慣れたよ」  神宮に言われ、返す言葉もありませんと、また頭をぺこりと下げている。  ぶっきら棒な言葉をぶつけても、当の本人にはあまり効果なく、気を使って那生が差し出した水を南條は一気に喉へ流し込んだ。 「四聖病院のこと、裏が取れたんだな」  一応、ここは大学のカフェ。生徒も何人かまばらに点在しているため、神宮や南條は声をひそめた。 「はい、お二人にはご協力頂いたのでご報告をと思いまして。図々しく大学まで来てしまいました」 「律儀だな、南條さんって」 「いや、よく上司に叱られますよ。木偶(でく)(ぼう)って」  ヘラヘラと笑う南條を見ながら、「それ、笑えない」と那生達は苦笑した。 「スタッフからの話では、以前から四聖病院では予定してない手術が急遽入ることに院内では不穏な空気が流れていたそうです。殺された被害者も四聖病院の患者が多いって噂になっていたそうですし」 「そりゃそうだろうな。それ以外の被害者は瑞季のファンか伊織の顔に惹かれた女性ってことだろう。それにいくら極秘手術と上から箝口令が敷かれても、人の口に蓋は出来ない。きっとどっかからは漏れてしまうだろう」 「陰で院長はいろいろ噂されていたみたいです。あまりにもプライドの高い久禮は、下の人間が自分を脅かす事など想像もしてなかったんでしょうね」  さっきまでとは別人な顔をし、南條の顔が刑事になって話を進めた。 「久禮のやつ言ってたよな『人の命と気持ちは(もろ)い』って」 「——久禮は殺人教唆の罪に問われます。それと臓器売買、誘拐など、まだまだ叩けば埃が出て来そうなやつです。奥さんの死にも関与してる可能性もありますし、それに伊織君や瑞季君のいた施設も、久禮が奥さんの名前を代表者にしてました。そこは伊織君の言うように、親のいない子供を収容する場所にしてたんでしょう」  言い終えると、南條が深い溜息を吐いた。 「南條さん。あの……奈良崎先生は……どうなるんですか」  黙って話を聞いていた那生は、ずっと気になっていたことを尋ねた。この質問自体が神宮の眉根を歪ませている。それでも那生は知りたかった。 「奈良崎は……今、取調べできる状態ではないです。精神がおかしくなってしまってて」 「えっ……」 「那生さんもあの時見たでしょう。あれからずっと正気を失ったままです」  南條の言葉に、那生の眸が曇った。あんな酷い目に合わされながらも、情が捨てきれず気持ちのどこかで救ってあげたいと思っている……。その自覚は捨てきれず、那生は複雑な気持ちになっていた。 「まだあいつの心配してんのか」  少しきつめの口調で神宮が那生を一瞥してくる。 「いや、心配とかじゃないけど……。自我を失ったって事は、先生自身が非情なことをした事実を受け止めきれなかったからだろうなって……」 「あの、さっき伝え忘れてた久禮瑞季の事なんですけど」 「伊織君のお兄さん……。そっか、どうなるんですか?」 「あいつも言わば被害者だよな。人殺しとは言え」 「自ら望んであんな人間になった訳じゃないしね」  三人で額を寄せ合い重い溜息をついた。施設にいたであろう他の子供も、虚な目で涙を流していた青年も、那生が治療した少年も、全て久禮の被害者だ。 「脳に損傷を与えて人格を変え、殺人鬼にするなんて正気の沙汰とは言えませんよ」 「気の毒だよな……彼も、他の子供たちも」 「今はあの凶暴な性格がいつ現れるか分からないので、瑞季君は専門家のもと警察病院で収容しています。犯行現場にいた青年二人も、施設で育っていたんです。郷司が証言しました、久禮に言われてロボトミー術を施行したと。青年二人以外にも、子供が二人発見されました。ただ残念ながら——」  青ざめた那生は、南條を食い入るように見た。 「残念ながら、一人は遺体で発見されました。もう一人はあの新病院の一室に閉じ込められていて……正常な状態ではありませんでした」 「あの院長どこまで狂ってんだ」 「先日、宮古島に行ってきたんですが、あの施設は少し前に家事で全焼してもうなくなってました。従業員も一人残らず行方不明で。島の住民も何も知らない様子でした」  久禮が真実を語らない限り、養護施設にまだ子供がいたのかはわからない。人の心を遥か昔に捨てた男が、果たして真実を語るのか。南條はポツリと愚痴を溢した。 「でも、何で久禮は伊織と瑞季だけは養子に迎えたんだろう」 「それに関しても久禮は何も話しませんでした」  警察は真相を久禮の口から語らせる事に難航しているのだと、南條の口ぶりで理解した。 「もしかしたら……」  ずっと黙りこくっていた那生は、徐に言葉を紡ぎ出した。 「もしかしたら、院長……本当に息子として育てようとしたんじゃないのかな」 「どうしてそう思う?」 「うーん、何となくだけど……あの人寂しかったんじゃないかな」  突拍子もない事を口にする那生に、神宮も南條も面食らった。 「寂しかったって——」 「いや、何となくだよ。ふとそう思っただけ。だってあの人奥さんと生まれてくる子供を一度に失くしたし、それに——」 「いや、那生さん。それはあいつ自身が手を下したんですよ、きっと」  答えを待っている神宮と南條に構わず、那生は頬杖を付きながら窓の外の景色を遠くを眺め「そう……なんだけどさ」と、憂いた声を出していた。 「そうなんだけど。久禮院長はすごく奥さんを愛してたんだろなって思っただけ。殺したくなる程にね……きっと奈良崎先生も。いや、やっぱウソウソ。気にしないで。俺の勝手な推測だからさ」  根拠もない発言を恥ずかしく思い、照れ隠しに南條の背中を叩きながら「すいません、変な事言って」と那生は笑って誤魔化した。  久禮や奈良崎の奥底にあって表に出て来てない事象は、那生にも警察にも誰にもわからない。たとえ証言したとしても、あの久禮が果たして真実を語るだろうか。きっと、地獄まで持っていく。那生はそんな気がしてならなかった。 「な、何だよ環。また俺がおかしな事言ってると思ってんだろ」 「まあな。南條さん、那生のお人よしは今に始まったことじゃないんで気にしないで下さい」 「フォローになってないから、それ」  那生と神宮の様子を見守っていた南條の胸ポケットから呼び出し音が聞こえると、ちょっとすいませんと、二人から少し離れて南條が電話に出ている。 「えっ! に、逃げた? わ、わかりました。すぐ署に戻ります!」  慌ただしい電話の対応に、那生と神宮が心配げに見ていると、「すいません、緊急事態で署に……戻ります」と言って、椅子にかけていた上着を手にカフェを早足で出て行こうとしている。  入り口のところで南條が立ち止まると、那生と神宮の方へ頭を下げ、悲壮な表情を残して去って行った。 「南條さん、慌ててたな。また事件でも起きたのかな」  那生が心配げに溢すと、「刑事って職業も大変だな」と、神宮が上書きするように言った。   いつの間にか周りに生徒の姿は見えなくなり、カフェには二人だけしかいない。  遠くでキッチンのスタッフが片付ける食器の音色が、いつもより大きな音に聞こえる中、那生がふと呟いた。 「俺も伊織君の顔見たかったな……」  保護観察処分で少年院などに収容されなくても、罪を自覚し反省や後悔をすることができても、手のひらに残る罪過は消えない。それは伊織本人もよくわかっていることだろう。  幼い頃からの不安定な環境を経て大人になってしまった彼は、一人だったら生きて行くことも耐え難かったかも知れない。だが、伊織には『周』がいる。何が何でも伊織を守り、愛する心を持つ絶対的存在が。  周が側にいてくれることが、これからの伊織の唯一の救いになるはずだ。 「……一日でも早く伊織の心が軽くなればいいな」  自分の吐き出した言葉が恥ずかしかったのか、面と向かって顔を合わせられないのか、神宮が顔を背けてポツリと呟いた。 「そうだな……。みんな方向は違っても最終的には幸せになりたいから、何かしらの行動を起こすんだ。そこに例外はなく、手段が違ってても」  頭に浮かんだ言葉を口にすると、目の前にいる神宮の視線がこちらを見ていたのに気付く。  那生は急に恥ずかしくなり、「な、何だよ。俺、変なこと言った?」と、耳を赤くして突っかかった。 「何も。那生は有りのままの那生でいてくれればいいなってね」 「何かバカにしてる……?」 「ハハッ。してないしてない。それより今日晃平の店に行かないか、久しぶりに顔見に行かないとあいつ拗ねるからな」 「いいね! 行こう」 「——もう、晃平との仲疑わなくてもいいもんな……」  神宮が一人喜びを噛み締めてこぼした声は、那生の耳に届かないくらいの声だった。 「ん? 何か言った?」  珈琲のカップを片付けながら、那生は耳をかすめた声を確認してみた。 「いいや、何も」  柔らかな表情で微笑む神宮が眩しく映り、那生は目を眇めてしまった。  カフェの外では中庭の樹々が葉を互いに擦り合わせ、空気の振動を吸収し、鈍い音を発していた。  詰め寄る枝が窓に当たり微弱に震えているその隙間から、粘着質な視線が中の様子を伺うよう覗いていた。  葉で覆われた木々に隠れるよう、一人の人間の輪郭が垣間見える。その体が寄りかかっている木の(たもと)の側には、泥で汚れた靴のつま先がカフェの方角を向いていた。  泥まみれの靴の主は、楽しげに会話をする那生と神宮を瞬きもせず凝視している。  薄汚れた衣服を纏い、力の抜けた腕には自由を奪う手枷(てかせ)がだらりと垂れ下がっている。擦り切れた手首から血を滲ませながら。  何かの気配を感じたのか、破れたズボンから覗く土の付いた膝が僅かに反応し、逃げるようにその身を翻した。  だが、再び踵を返し、生茂る葉の隙間から、男は口元に八重歯を覗かせて厭らしく笑っている。  唇は獲物を今にも貪るように舌舐めずりした後。その姿は木の袂から姿を消した。  一瞬、背筋に浴びる違和感が中庭から伝わり、那生は振り返ってガラスの向こうで騒つく樹々たちを見つめた。 「那生、どうした」  カフェの出口で待つ神宮に声をかけられ、那生は視線を愛しい人へと戻すと、「……いや、何でも……ない」と不安を拭いきれないまま答えた。  足早に神宮のもとへ駆け寄ると、頼り甲斐のある腕に飛びついた。 「那生?」  背中に感じた記憶にある蛇蝎(だかつ)のような視線。ゾクりと全身が粟立ち、那生は気づかないフリをして神宮の腕に縋った。 「何だ、甘えてんのか」  そんな甘い声を聞きながら、声を出すことが出来ず那生は唇を固く閉じ、気のせいだと自身に言い聞かせていた。  神宮に、震える体を悟られないように……。  午後の西日が作り出す影が廊下に長く伸びている。それは忍び寄る足音のように二人の後を追い、ようやく結ばれた尊い絆を飲み込もうと身構えている。  キャンパスの廊下を歩く二人の影に、重なるもうひとつの影。  二人はまだその存在に、気付いていない……。
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