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明らかに分かっていながら揶揄っていると分かるのに動けなかった。まるでヘビに睨まれたカエルみたいだ。
チェロを自由自在に操るその長い指が頬に触れて奏はびくりと反応を返した。
「キスくらいさっさと経験しといた方がいいんじゃない? 協力しようか?」
するりと顎を持ちあげられ、その綺麗な顔が近づく。
どうしようもなく身を縮め、咄嗟に目を瞑りそうになって類の色素の薄い瞳とかち合った。
想像と違いどこか懐かしそうな切なそうな、その瞳の奥の不可解な感情に何をされそうになったかも忘れて魅入った。
戸惑いながらも見つめれば逆に類は目が覚めたように瞬いた。
その不思議な感情の彩が一瞬でなくなる。
「やめた」
「っ!?」
ぱっと奏を解放すると類が大袈裟に離れる。奏も自分の置かれた状況を思い出して我に返る。
「だってお前、チョロそう。本気になられて面倒なのはごめんだ」
「っ……!」
「っと、短気だな。なに? して欲しかった?」
かっと頭に血が上って手を振り上げると、いとも簡単に避けられた。
誰のせいだと睨み付ける。
「誰がお前なんかに本気になるかよ!っていうか相手にするか!」
すると類はニヤリと笑った。
「へぇ? 俺に迫られて今まで落ちなかったヤツっていないんだけどね?」
「たいした自信だな、じゃあ、俺が最初の一人だ、おあいにくさま!」
苛々しながら言うと、類がたまらない様子で噴き出した。
「冗談じゃん、面白すぎる」
「っ……」
前言撤回しよう。
すべてにおいて完璧と称したが、この性格は最悪だ。あれ程モテるのが理解できない。
いまだ笑いを止めようとしない類に向かって思わず持っていた楽譜を投げつける。
楽譜は類に当たって廊下にひらひらと落ちた。
「二度と俺に近寄るなよ!」
後から思い出せば死にたくなるような捨て台詞を残して奏は駆け出した。
面白そうな笑い声を背に受けとめて。
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