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 彼女は人魚で、航の祖父に面倒をみてもらっていたという。祖父の死後、この池を出て新天地を求めるか迷っていたところ、昨日航がやって来た。他人を警戒してこれまで水の中に身を潜めていたが、彼の手にある食べ物を見て空腹を思い出したらしい。つい顔を出してしまったのだ。  人魚など信じたことはなかったが、まるでアニメ映画に出てくる姿そっくりだった。手のひらほどの薄桃色の貝で胸を覆っている彼女の下半身は、見事に魚のものだ。池を囲う小岩の上に、尻にあたるらしい部分を乗せ、尾びれで軽く水面を叩いている。 「そっか、あの爺さんの孫か」  しかし映画の人魚はもっと綺麗な言葉遣いをしていなかったか。そばに腰を下ろした航をまじまじと観察する人魚は、指先を自分の顎に当てる。 「孫と言われれば、似てる気がしないでもないな」 「……人魚は、長い間ここにいるのか」 「マナだ。ちゃんと名前があるんだぞ。爺さんにもらったんだ」  年齢の割に若々しいセンスを持っているじゃないか。航は内心で思ったが、祖父が生前どのような人物であったかの詳細なイメージは浮かばない。息子である父と折り合いが悪く、航も幼い頃に一、二度顔を合わせただけだった。浅黒い顔に白いひげを生やした老人は、ごつごつした手で驚くほど優しく頭を撫でてくれた。 「海があるだろ。その海岸であたしがうっかり落としたウロコを、爺さんが拾ったんだ」  確かに、車で一時間程走ったところに海がある。 「あたしらには、ウロコの場所がわかるんだ。だから取り戻しに行って、ここに辿り着いたんだ」 「取り戻しにって、まさか歩いて来たのか?」  この足のない身体で、ぴょこぴょこ街道を跳んできたのか。仰天する航に、マナという人魚は池の水が流れる先を指さした。山から流れてきた水は、池の一方にある溝から排水され、近くの川に繋がっている。 「あたしは、小さくなれるんだ」マナは細い腰に両手を当て、誇らしげな顔をする。「川を上って辿り着いた。そんでまあ、意気投合ってやつ? 食べ物くれるし、気付いたら居座ってたよ」  海から川を遡った人魚が庭の池に住み着き、自分の祖父が面倒をみていた。まるでおとぎ話だが、実際に池に潜んでいた彼女の姿を目の当たりにして、信じられないとは言えない。 「そんで、あんたの名前はなんてーの?」  祖父が田舎の不便な一軒家に住み続けていた理由が、分かった気がした。
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