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 二日後、航の元には釣り竿やクーラーボックス、魚の餌といった釣りグッズが届けられた。わざわざ軽トラックで家まで運んでくれた楡元に礼を言い、代金を支払う。それも相場の半額ほどに負けてくれた。 「人魚、釣れたらええのう」  がははと笑って、老人は車で坂道を下っていった。 「は? あたし、そんなくさいもん食べないけど」  航がもらったオキアミという魚の餌を見て、マナはぎゅっと顔をしかめた。 「馬鹿にしないでよ、魚の餌なんか食べるわけないでしょ。魚は好きだけど」 「だって、半分魚なんだし……」  ばしゃりと顔に水がかかる。尾びれで水面を叩いたマナは、べーっと舌を出した。 「航と同じものでいいの! 魚でも野菜でも肉でも」 「肉も食べるのか」 「あったりまえじゃない。あんたの爺さんはね、あたしとバーベキューもしてたんだから」  そういえば、裏庭の納屋にバーベキューセットがあったのを思い出す。まさか祖父が人魚と肉を焼いていただなんて、誰が想像できるだろうか。  そうして、随分とゆったりした毎日が過ぎていった。マナはお喋りで、時々家に上げるようにも催促した。雨の日は小さくなった彼女をコップに入れ、居間で他愛もない話をした。街で過ごしていた頃よりもよく喋っていることに気付き、こんな生活も悪くないなと思った。 「ねえ、航が会社を辞めたっていう、ぱわはらってなに?」  水を張った洗面器の中をぐるぐる泳いでいた人魚が水面に顔を出す。雨の音を聞きながら、携帯ゲーム機をいじっていた航は顔も上げず返事をする。 「パワーハラスメントの略だよ」 「だからなにそれ」 「つまり、自分より下の立場の人間を、必要以上に追いつめること」 「そんで、ぶらっく企業だったんだ」 「そう。零時過ぎに帰って朝六時に家を出る生活」  マナが大きな目を見開き、「はあ?」と言った。不可思議な妖怪でも目にしたような表情だ。 「何が楽しいの。それ」 「だから辞めたんだ」  二年の間に三度倒れたが、雇い先があるだけ幸いだとあの頃は思っていた。ある朝、ふと会社とは反対方向の電車に乗り、知らない車窓の風景を眺めている内にとめどなく涙が溢れてきた。その勢いで会社を辞めたが、あれは自分の心が出した自分への最終警告だったのだ。素直に従ってなければ命さえ危うかったと今なら思う。  使う暇などなく、二年間でそれなりに金は貯まっていた。だが、根性なしの息子を迎え入れる気など両親にはなく、途方に暮れていたところで祖父の家を譲り受けた。まさに渡りに船だった。  洗面器の中で泳ぎ回る人魚をぼんやり眺め、提案する。 「雨が止んだら、外に出ようか」  ぱしゃりと小さな飛沫を上げ、マナはふちに両腕をかけてこちらを見る。 「何言ってんの。誰かに見つかったら大変じゃない」 「誰にも見つからない場所を探すよ」  人魚の肉を食べた者に不老不死の力が授けられるという話は有名だそうだ。だからマナは見知らぬ人間を恐れ、他人の前に姿を現そうとはしない。航は祖父と同じ雰囲気を持っていたから、空腹と併せてつい顔を出してしまったそうだ。
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