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 田舎の一軒家に引越す(わたる)の胸には、新たな生活に対する希望よりも、厭世的なマイナスの感情があった。亡くなった祖父の遺した物の中で、最も金銭的に無価値だと判断されたのがその家だった。誰も住まない家に税金を払い続けることに親戚の誰もが嫌な顔をし、かといって潰す金を誰が払うかという面でも激しい一戦の開幕が予想された。心臓発作で突然亡くなった祖父は、まだ終活だの遺言書だのには手をつけていなかった。  だから、空き家を押し付けられていると知っていても、あらゆることに嫌気がさしていた航には、世間から離脱するきっかけとなった。折の合わない両親がいる実家にも戻れず、途方に暮れていたのだ。この辺りで何か大きなものを諦めようと思った。  祖父の使っていた家電製品が残る家へ引っ越すのに、荷物は自分の運転する車一台で事足りた。この中古車が人生最後の高額な買い物になると予見した。どんなに頑張っても、自家用車なしでは生活できない田舎なのだ。  ゆるやかな坂を上がった先の一軒の平屋は、鬱蒼とした山を背負っている。隣家へは最短距離で二十分歩かなければならない。村内の個人商店を除けば、便利な自動販売機やコンビニエンスストアまでは車で三十分かかる。こんな場所を祖父が一人で守り続けていたことに感嘆すると共に、やけっぱちな気持ちで航は段ボール箱を家の中へ運び込んだ。箒で畳を掃き、廊下を雑巾がけし、往路で買った弁当を食べる。冬が過ぎ去りうららかな春の陽気が差し込む縁側から、勝手気ままに草の茂る庭を眺めた。風呂場や炊事場の掃除も始めたが、街の生活での運動不足がたたったのか夕暮れにはへとへとに疲れ、その日は早々と眠りについた。草の触れ合うさらさらという音や水の跳ねる音が、微睡む夢現に心地よかった。
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