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もう面倒はごめんだ
『S』の引越し
『笹本』という人物の死体が発見されたのはうららかな5月のことだった。
頭部打撲により冷たくなっている姿が、都心の中央区を流れる川沿いの草むらに隠されていたのだという。
物騒な話だ。
都心とは程遠い田舎町の警察に務める吉田凛(よしだりん)は、殺人事件になんて関わったこともないし、関わる気もなかった。
しかし、世の中そう上手くはいかない。
「元気そうだな?」
上司がわざわざ凛の所属する分室にやってきた。
ここはいわゆる「なんでも課」だ。
主に小さな事件の報告書の推敲を行っている。
小さな警察署の中でも、こんな薄暗い地下室にある分室にわざわざやって来るなんて面倒な話になるとは思っていた。
「『笹本』の有力候補の一人がこの町にいるらしいから、調べてきてくれ。本人だという可能性は低いらしいけどな」
簡単に言うと、こういうことだ。
①死体は身元不明。
②ただ『笹本』と書かれたくしゃくしゃの紙片を握っていた。
③だから『笹本』(仮名)と呼ばれている。
④とりあえず『笹本』と言う名の行方不明者をしらみつぶしに当たっている。
⑤その一人がこの町にいた。
⑥調べるのは面倒だけど、調べなければならない。
つまり面倒を押し付けられたのである。
「なんか緊張しますよね」
『笹本』の住んでいたアパートに到着すると、唯一の部下である早川君はそんな不謹慎なことを言った。
凛はなんとなく無視した。
ひと回り近く年下の早川君には何を言ってもハラスメントになりそうなので、日頃から曖昧な笑みを浮かべるくらいの対応をしている。
きっと無口な人だと思われているだろう。
アパートは全部で四戸の、かなりこじんまりした建物だった。
古びた建物、変色した茶色い壁、サビたクリーム色の扉。
駐車場に置いてある白い乗用車だけがピカピカに光っているのが、逆に寂しさを際立たせる。
カギを借りるため、まずは一階にある大家さんの部屋を訪ねる。
「大家さんって、今時珍しいですよね。今はなんでも管理会社に任せる時代なのに」
勝手に時代を語るなよ、と思ったがもちろん黙っていた。
扉の向こうから現れたのは、いかにも人がよさそうなおじいさんだった。
白髪頭にゲジゲジ眉毛、チェックのシャツ、だぶっとしたジーンズ(デニムではなくジーンズ)靴だけはなぜかめちゃくちゃ派手なハイテクスニーカーだった。
こだわりがあるのかな?
「警察の方ですね。笹本さんの部屋は201号室です」
案内してくれた部屋に入ると、段ボール二つとビニール袋だけが放り出されていた。
「何もないですね」
「4月に引っ越してきたばかりなんですよ。敷金と礼金どころか、家賃も一回ももらっていないから、親族の方に請求するつもりです」
人がよさそうな顔して、結構しっかりしている。
「連絡が取れないので、親族の方が先日捜索願を出したそうです」
「それは良かったです」
お金が請求できるから『良かった』のだろうか。ひどいなあ。
「笹本さんを最後に見たのはいつですか?」
「5月の初めですね。廊下で挨拶しました」
「最近のお写真とかはお持ちですか?」
「持ってないですよ」
「背格好や、顔の特徴を教えていただけますか?」
「中肉中背で、普通の感じの人でしたね」
何の手掛かりにもならない。
「他の住人の方にお話を伺えますか?」
「今は笹本さんしか住んでいないんですよ」
気まずそうにいうと、そろそろと部屋を出て行った。
「儲かってなさそうなアパートですねえ」
そういって早川君は、窓から外を眺める。無駄に眩しい日差しが差し込んでいる。
「カーテンもかかってないし、本当に越してきたばかりなんですね」
適当に相槌をうって、段ボールの中を覗き込む。
パックごはんとレトルトカレー、ミネラルウォーターと鍋。
やたらと明るいストライプのタオルケットと、ビニール製の蛍光カラーのブルゾン。懐中電灯。
ビニール袋には飲みかけのお茶のペットボトル。
「物が全然ないですね。ミニマリストだったんですかね?」
うーん。
「スマホや財布とか貴重品は持ったまま失踪したんですかね。引っ越して来たらあまりにボロすぎて逃げたのかも知れないですね」
「なんであの大家さんは派手なスニーカーだったんだろう」
「あの人スニーカーでしたか?気が付かなかった」
うーん。
「帰ろうか」
「そうっすね」
早川君は一秒でも早く帰りたいようだった。
帰り際、再び大家さんの部屋に寄った。
「お邪魔しました」
「いえいえ。何かわかりましたか?」
「荷物がほとんどないので、なんとも言えないですね」
「そうですか」
「笹本さんの家賃はいつも手渡しでしたか?それとも口座振り込み?」
「いつも手渡しです」
「笹本さんから中央区に知り合いがいるという話を聞いたことはありますか?」
「ないねえ」
なるほど。
「失礼します」
警察署の分室に帰ると、上司がスマホゲームをしていた。
「お疲れ。どうだった」
「収穫なしですね」
早川君のその言葉をさえぎるように、凛ははっきりと言った。
「アパートの家宅捜索をして、DNAを調べたら死体の『笹本』さんと一致しそうな気がします」
「気がする?根拠はないのか」
「どういうことですか?」
早川君はポカンとしている。
「引っ越してきたんじゃなくて、引越しして出ていくつもりだったんだと思います」
「来たんじゃなくて、出ていく?」
「あんなに日差しが強い部屋なのに、カーテンがなかった。四月に入居してひと月経ってたら、さすがに買うでしょう。おそらくもう運び出したあとなんだと思います。荷物も引っ越してきてすぐ使う物というよりは、引越しの最後に置いておくものでした。ガスと水道はまだ通ってたので、最後の夜にカレーとレトルトご飯をお湯で温めて食べるつもりだったのでしょう。ブルゾンとタオルケットは寒さしのぎかな?」
「でも大家さんは・・・」
「あの人が一番嘘くさい。大家で暮らしているなら住人の人相には気を付けているでしょうし、家賃を一回ももらっていないって割に『いつも手渡しです』なんて失言をしてました。あとはあの派手過ぎるスニーカー。『笹本』の持ち物を見るに彼は派手なファッションが好きそうでした。大家さんはおそらく被害者の頭部の傷から返り血を浴びて、あわてて自分の履いていた靴を処分したんじゃないですかね。ついでに靴をいただいた」
「そんな悪人そうじゃなかったのに」
「死体が発見された『中央区』の話をしたら、すぐに答えましたよね」
「それがなんです?」
「『中央区』なんて日本にいくつもありますよ、この近辺でも3個はある。どの『中央区』か聞かなくてもわかるのは不自然です」
「なるほど」
上司は頷いた。
「だからって簡単に家宅捜索なんてできないぞ?」
「その判断はおまかせします」
面倒を押し付け返してやると、上司はイヤそうな顔をした。
「吉田先輩、すごかったですね」
早川君はスマホをいじりながら、たいして感心してなさそうに言った。
「あの大家さんが、なんかうさん臭かったから」
「確かに!」
適当に合わせてるな。
「考えてみると、引っ越して最初に持ってくるのは充電器とかですもんね」
「あと電子レンジとか」
「確かに!」
「家賃が手渡しっていうのも、『笹本』が握っていた紙片となんとなく繋がったんだよね」
「なんでですか?」
「封筒の切れ端とかじゃないかな。家賃の集金に行った時に、引越しの話になったんじゃないかな。おそらくその時に揉めて家賃の入った封筒を奪い合って、頭を打って亡くなったのかな」
「封筒がちぎれるほど揉めたんですか?金の亡者ですね」
「あくまで想像だよ」
「唯一の住人である笹本が出て行ったら困りますもんね」
「死体は車で運んだんだろうね」
「そこまでわかりますか?」
「駐車場の車がピカピカだったよ。おそらく証拠隠滅のため事件後に洗車したんだよね。よい人そうに見えて、被害者のスニーカーも奪っているし悪人だよ」
「怖いですね」
早川君はスマホを触る手をとめて、真剣に凛を見つめた。
「そろそろ帰っていいですかね」
「帰ろうか」
また上司になにか言われたら困る。
もう面倒はごめんだ。
凛は鍵をかけて分室を後にした。
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