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私は絶叫した。
ぐるりと振り返ると、全力で駆け出した。
風の中を突っ切って、転びそうになりながら山道を駆け下り、必死の思いで家にたどり着いた。
親に見つからずに部屋に戻れたので、そのまま布団をかぶって寝た。
次の日、私は、昨日のことを誰にも言えなかった。
言ったところで信じてもらえるとは思えなかったし、かといって「じゃあ、本当かどうか見に行こうよ」なんて言われたら最悪だ。
それに、……人に話したせいで、悪霊が私を罰しに来たらどうするのだ。
この間まで下手な人のカラオケだなんて言っていたことを、心底後悔した。そんなふうに扱っていいものじゃなかった。
別のことを考えよう。
もっと楽しいことを。
それで早く忘れてしまおう。
そうしていつか、なにかの見間違いだったと思える日が来るまで、思い出さずにいよう。
そう心に決めた。
それからは裏山の話は自分からは一切しなかったし、人が話そうとすれば無理矢理にでも遮った。
例の怪談を真に受けているのだろうと、よく笑われたけど、かまわなかった。
やがて誰も、私に裏山の話をしなくなった。
おかげでだんだんと、目論見通り、私もあの日のことを忘れていった。
■
十年近く経って。
大学を出て都市部で仕事に就いた私は、一人暮らしを始めた。
お盆になり、今日は初めての里帰りで、お母さんにスイカなど切ってもらっている。
使い飽きたはずの食器たちも、家を出てみると、妙に感慨深い。
色のはげたプラスチックのスプーンを、ぼうっとつまんでいた、そんな昼下がり。
「そういえばあんた、知ってる? 裏山が住宅地になるんだって」
いきなりお母さんがそんなことを言い出したのだった。
裏山。
その一言で、私は、雷に打たれたようにあの日のことを思い出した。
せっかく、もう何年も忘れていたのに。
でもそれなら、取り壊されるのか。あの、恐ろしい小屋が。
ある意味ではありがたい。重機が私のトラウマごと、あの日の恐怖を破壊してくれる。
もうなにも恐れることはなくなるのだ。
「えー、そうなんだ。なんか昔、あそこに悪霊の家とかあったじゃん。それも木っ端みじんになるんだろうねえ」
「悪霊? ああ、あの炭焼き小屋のこと? あったわねえ、そんなの」
ほら、もう、笑い話にできてしまう。
私はけらけらと笑った。
「あんた、笑ってるんじゃないわよ。不謹慎じゃないの」
「不謹慎? なんで?」
そこで初めて、妙な予感がした。
首の後ろの毛が、ざわりと震える。
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